「花園と降霊会」

1 折桜裁巳「塩と砂糖」

 折桜おりざくら裁巳たつみは、ゴーストハンティングに並々ならぬ情熱を注いでいるが、それがすべてではない。


 上品な塩味は適度な甘さによって引き立つ。同じように、狩りの刺激を引き出すためには、日々の生活も大切な要素だった。

 特に、学校生活は格別な意味を持っている。


「ねえ。昨日の『みちかの心霊探訪』の特番見た?」


「見た見た。あれ本当に怖かったよね」


 柔らかな日差しが差し込むラウンジの一角。裁巳は昼食後の紅茶を片手に、目の前で繰り広げられるクラスメイトたちの談笑に耳を傾けていた。


 裁巳が通う夕崎女子大学付属高等学校――通称『夕高ゆうこう』は、都内有数の名門女子校だった。大学と共に英国の古い名門校から枝分かれした歴史を持ちながら、前衛的な制服や最新設備を備えた校舎を誇っている。通っている生徒も裁巳をはじめ、一流企業の重役や政治家の娘たちばかりだった。


 要するに、富裕層向けのお嬢様学校だ。

 しかし今この瞬間、華やかな少女たちの興味は昨夜放送された心霊番組に向けられていた。


「廃墟でスタッフを追いかけてたあの大きな真っ白な女。あれって八尺様だって解説されたけど、本当かな」


「八尺様?」


「昔流行った都市伝説の悪霊なんだって」


「前にも出てたよね。みちかちゃんが取り憑かれてるって噂もあるけど大丈夫なのかな」


 そんな話を聞きながら、裁巳は静かにカップに口をつける。


 ――ふむ。学校でする俗っぽい会話は本当にいいものですね。


 もっとも、実物を知っている身からすると、こうした話題は明らかに作り物めいているのだが。けれど、重要なのは彼女たちが楽しそうにしていることだった。真実かどうかは問題ではない。


「あとあれも怖かったよね。鏡に映る大きな顔! ねえ、裁巳はどれが怖かった?」


 と、中でも活発そうな少女が話を振ってくる。


 彼女は宇佐美うさみひかり。幼稚園からの幼馴染で一番の親友だった。

 光は栗色の短い髪を揺らして、その可愛らしい大きな瞳で顔を覗き込んでくる。それは裁巳の好きな仕草のひとつだった。


「ごめんなさい、光。わたくしその番組見てなくて」


「えー、すっごく面白かったのに!」


 光の頬が膨らむ。その愛らしい様子に思わず笑みを浮かべつつ、裁巳は彼女の機嫌を取った。


「まあ、それは損しました。一体どういう内容だったんです?」


「ええとね。今回は有名な廃病院に、みちかちゃんたちが一泊するっていう特別企画で――」


 光は目を輝かせながら番組の内容を語り始めた。不自然にカメラが揺れたり、突如として扉が閉まったり。お決まりの演出が並べられていく。

 それに対して、裁巳は否定することなくにこやかに相槌を打った。光の話を聞きながらその好奇心あふれる仕草を観察するのは、コレクションした霊を眺めているときのような充足感がある。


「――で、スタッフさんが鏡にカメラを向けると、一瞬大きな老人の顔がばーって!」


 脅かすように両手を上げて顔を近づけてくる光。その様子に、怖がるどころかその場の全員が笑顔になってしまった。


「もう! あれはどう見ても本物だったもん! 嘘だと思って笑ってると、本当におばけに取り憑かれるんだからね!」


 光が可愛かったから笑っている、とはもちろん口にしない。穏やかな午後の日差しに裁巳は胸がいっぱいになった。


 ただ――

 こんな和やかな学校生活の中でも、裁巳は一つ譲れないポリシーを持っていた。それは、狩りに赴く『死者の世界』と平穏な『日常の世界』。その両者を完全に分離すること。

 故にこう返す。


「でも、そういった現象ってほとんどが科学的に説明がつくものだと聞いたことがあります。例えば、奇妙な映り込みの大半は別の方が不意に映ってしまったものだとか。鏡なら鏡面の歪みによる変形とかも多いみたいです」


 すると、それを聞いた光はげんなりした顔で肩を落とした。


「はー! 裁巳ってこういう話になるとすぐ現実主義者になるんだから!」


「そんなこと言われましても、わたくしたちが生きているのは現実ですからねぇ」


 心霊関係の話は、学校生活を送る上で稀に話題にのぼることがある。しかし、その場合はこうして現実的な視点を持ち出し、懐疑的な態度を取るよう心がけていた。間違っても霊感があるなどと口にはしない。


 ――幽霊が見えるなんて言えば、周囲からどういう目を向けられるか火を見るより明らかですからね。まあ、光あたりは大喜びしそうですけど。


 しかし、裁巳にも社長令嬢としての体裁がある。

 それに、しっかり分けられているからこそ良いこともあった。塩気が効いた物のあとに食べる甘味が格別であるように、日常と幽霊狩りも交互に味わった方が楽しめる。それぞれが引き立て役であり、主役でもあるのだ。それを無理に混ぜ合わせる必要はない、というのが裁巳の考えだった。


「でも、あの映像はどうみても加工やヤラセじゃないように見えたけどなあ」


「その映像のことは分かりませんけど、番組以外で幽霊を見たことあるんですか?」


「むう。確かに見たことないけどさ」


 光が霊感を一切持っていないことは幼いころより知っていた。同じくクラスメイトたちも霊が見えないことは調査済みだ。その上でなお、ボロを出さないよう言動や行動には細心の注意を払い続けている。


 だが、そうまでしても両者が混じってしまう危険は残っていた。


「でも全部が全部科学で説明がつくことばっかりじゃないし、幽霊はいると思うんだけどなあ」


 そう言う光の背後に白い人影がちらつく。

 それは、首が不自然に捻じ曲がった若い女だった。女は光の顔を覗き込み、ぐっと血の滴る顔面を近づけてくる。しかし、自分の姿が見えていないことを確認すると、興味を失ったように部屋から出ていった。


 浮遊霊だろう。女の霊以外にも三体ほど周囲を彷徨っているのが見受けられた。

 浮遊霊自体はどこにでもいるもので、さして危険はない。だが、学校というのは霊の集まりやすい空間だった。多くなりすぎれば以前の幽霊ビルのように、霊感がなくても目に見える形での心霊現象が起こることもある。狩りのときならばまだしも、今この場所に彼らが存在することは好ましくなかった。


 ――まったく。時々『掃除』しているというのに、知性の乏しい方々は恐れも知らないので厄介ですね。


 裁巳は時々校内に入り込んだ霊を秘密裏に祓い、そうした問題の芽を摘んでいた。

 ある程度の力を持つ霊たちは、それで恐れを成したのか近づかなくなった。だが、問題なのはむしろ弱い霊の方だ。彼らは裁巳の示威をほとんど意に介さなかった。消しても消しても、しばらくするとまた集まってくる。幽霊の知性は持っている霊力に比例するので、裁巳もある程度は諦めてはいるのだが――


 しかし、それにしても今日は数が多い気がした。他にも廊下や教室で十体以上は見かけている。もしかしたら、光たちが話題にしている心霊番組の影響なのかもしれない。


 ――幽霊というのは自分たちの話題には敏感ですからね。一時的なものでしょうけど、念のために放課後あたりに臨時の『掃除』を……。


「裁巳、急に難しそうな顔してどうかした? もしかして、幽霊がいる可能性を思いついたとか?」


「ふふ、それはありません。ちょっと放課後の用事を思い出しただけです」


 裁巳は少女たちの会話に意識を戻した。

 深く考えることもない。学校生活を気持ちよく送るための簡単な掃除。

 この時はまだ、その程度の認識だった。

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