5 霧宮凪「真価」

 なぎ裁巳たつみを乗せた車は、トンネルへと続く道路をゆっくりと登っていった。日の沈み始めた空には灰色の雲が低く広がり、夕立が車のフロントガラスを叩き続けている。


 ――今日のうちに祓いに行くなんて。相変わらず裁巳さん強引だな。


 あれから詳細を聞いた裁巳は、話しが終わるなりすぐさま祓いに向かうと言い出したのだ。普通の祓い人なら、調査結果を鑑みて色々準備を整えるものだが、裁巳は持っている蛇の目傘があれば十分らしい。

 確かに、彼女であればそれで問題ないのだろう。しかし、凪が心配なのはそんなことではなかった。


「あら、そう固くならないでください。今回は最初からわたくしが祓いますから、前みたいに危ない目に遭う心配はありませんよ」


 助手席から裁巳の声が聞こえる。凪は無言のままちらりとその様子を窺った。

 彼女は微笑みを浮かべ、脇に抱える蛇の目傘の柄を指で打っていた。見るからに待ち切れないといった雰囲気で、それが余計に凪の中の不安を煽り立てた。


 裁巳の祓いはとにかく過激だ。

 彼女は傘に潜む『じゃのめぼうず』という式神を使い、珍しい霊は捕らえ、つまらない霊は滅殺してしまう。魂を救済する成仏などさせはしない。普段、人に接する態度とおおよそ真逆のことを幽霊たちにしてしまうのだ。


 凪の役目は、先輩の祓い人としてそれを正しい方向に導くことにある。ただ、裁巳は気難しく、こちらの言う事など聞いてくれた試しがなかった。


 ――うう。大変だけど、ひどい目に遭わされる幽霊たちはなんとか減らすようにしないと。


 そうして、胃を竦ませながら車を走らせること一時間ほど。

 あの峠道の途中にある工事現場が見えてくる。凪はそのまま車をトンネルの前まで進めて停めた。


「これが佐盛トンネルですか」


 現場を前にして、裁巳はその瞳を一層輝かせる。

 凪も深呼吸をして現場の様子を窺った。トンネルの入口が車のヘッドライトの明かりでぼんやりと浮かび上がっている。不気味だが、幽霊たちの気配はむしろ昨日よりも静かだ。


「確かにいかにもな場所ですけど、随分と静かですね」


 裁巳は言いながら車の外に出て傘を開く。しとしとと降る雨粒が、青い蛇の目傘の表面を打つ音がした。


「人を驚かせることを目的としているのなら、近づけば何かしら動きがあると思っていたのですが……さっぱりです。凪さん、本当にここに怨霊が隠れているんでしょうね?」


「それは間違いないけど……」


 確かに少し妙だった。

 凪もドアを開けて外に出る。手が塞がらないよう傘は差さず、裁巳と並んでトンネルに近づいた。けれど、幽霊たちはやはり遠巻きに様子を窺うばかり。それはトンネルの中へと足を踏み入れても変わらなかった。


「うーん。札とか使って調べたから警戒させちゃったのかな?」


 入口近くの壁に残っていた青札を見つけ、凪は手を触れてみた。しかし、どこかの札が欠けているようで、霊視の結界は機能しなくなっていた。


「それって、幽霊たちを怯えさせるような物なんですか?」


「いや、魔除けの結界とは違うから、そんなはずはないんだけど……」


「ふむ……まあいいです。目的は中心となっている怨霊一匹なのでしょう? 引きずり出し方ならいくらでも――」


 その時だった。

 突如として敵意の籠もった気配が奥の暗闇から吹き出し、辺りに黒い煙として流れ込んできた。

 凪は鳥肌を立てる。薄いが、これは間違いなく瘴気だ。


「あら。やっぱり血気盛んな方もいるじゃないですか」


 強張る凪とは裏腹に、裁巳の嬉しそうな声がする。それに引き寄せられるかのように、トンネルの奥から重い足音。それから、金属が擦れるような不快な音が響いてきた。


「ぎひ、ぎひひひひひ! まさかこんなに早く、しかもうまそうな獲物が来るとはなあ」


 低く唸るような声と共に、頭陀袋を被った大男の怨霊が姿を現す。上半身が異様に大きい体格は人間離れしており、頭陀袋に空いた穴から覗く目が不気味に光っていた。

 怨霊は錆びついた大斧を握り締め、凪たちの方に向かってくる。


 ――そ、そんな、まさかいきなり出てくるなんて!


 凪は固まったまま驚愕していた。

 それは昨日見つけた気配そのものだった。この頭陀袋の幽霊こそ、今回の事件の元凶。トンネルを支配している怨霊に違いなかった。


 ――おどかし役の幽霊たちが静かだったのは、こいつが起きてたからか!


 どういうわけか他の幽霊たちを使うのを止め、怨霊自身が襲うように方針転換したらしい。しかも、その強い殺意からおどかすどころか取り殺すつもりのようだ。


「裁巳さん、気をつけて! こいつが――」


「喰わせろおおおおおおおぉぉ!」


 しかし、凪の警告を怨霊の叫びが掻き消してしまう。

 錆びた斧を振りかぶり、その巨体が物理法則を無視した動きで飛び掛かってくる。印を結ぶ暇もない。凪は咄嗟に塩の包みに手を伸ばしたが――


「あなた、少しうるさいですね」


 次の瞬間、斧は宙を舞っていた。

 凪は頭陀袋と一緒になって、くるくると回転する斧の先端を見送る。


「え? ああと……ん、んん?」


 斧が闇に消えると頭陀袋はゆっくりと振り返った。寸断された柄。凪の隣に立つ少女。その視線が慌ただしく行き来する。


 ――まあ、そういう反応になるよね。


 一瞬だったので凪にもその瞬間は見えなかったが――彼女の手元を見るに、指先から霊力を放出して逆に斧を切り飛ばしたようだった。


 それは彼女がよく用いる手だ。術や道具も用いない。言ってしまえばただの力技。とはいえ、放出だけで影響を及ぼすのだから出力の桁が違う。

 それをいとも容易く繰り出せることこそ、裁巳という霊能者の真価と言えた。彼女が神がかりと評されているのは、じゃのめぼうずを使役しているからでも、優れた技術を持っているからでもない。その馬鹿げた霊力量によってすべてをごり押せるからなのだ。

 しかし、怨霊にはそのことを理解するのが難しいらしかった。


「何だ、何が起きた? まさか、お前が……?」


「ふふ、どうでしょう。それより、せっかくの狩りなんです。獲物と言えど、もっと上品に振る舞ってくださいな」


 冷たい笑みを浮かべる裁巳に、頭陀袋はびくりと震えて一歩後ずさる。目の前の少女がこれまでの獲物ではなく、自分たちを狩りに来た『狩人』であることに気づいたようだった。


 と、そこで裁巳は頭陀袋から目を逸らして凪の方へと顔を向けてきた。


「さて、それでは手分けをしましょうか」


「へ、手分け? 何を?」


「何をって、聞き込みですよ」


 察しが悪いな、と言うように裁巳は人差し指を向けてくる。


「ほら、トンネルの奥の方に他の霊たちがいるでしょう? あなたは彼らから『トンネルの親玉』を引きずり出す方法を聞き出してください。わたくしは、この方から話を伺いますので」


「…………」


 凪は、そこでようやく彼女が大きな勘違いをしていることに気づいた。


 ――た、裁巳さん、こいつがその『トンネルの親玉』だって気づいてないんだ。


 目の前にしてそんな馬鹿な、と一瞬思ったものの――考えてみれば彼女には無理からぬことではあった。


 裁巳は確かに強力な霊能者だが『霊視能力が極端に低い』という問題も抱えている。それは、彼女が異常とも言える霊力を持っていることの裏返しのようなもので、仕方がないことなのだが。しかし、その状態では目の前にいる幽霊のここでの立場が見抜けないのだろう。


 ――それに裁巳さん、何だか期待してるような節もあったし。『トンネルの親玉』がこんなに弱いと思ってなかったんだろうな。


 それが勘違いに拍車を掛けてしまっている可能性はあった。とにかく、早く訂正しておこうと凪は口を開く。

 が、間の悪いことに、そこでまた頭陀袋が動きを見せた。


「ひいい!」


 今の一瞬で敵わないと悟ったようで、怨霊は叫び声を上げてトンネルの壁へと飛び込んでしまったのだ。


「あらあら、往生際が悪いですね。……じゃのめぼうず」


 裁巳はため息をつきながら首を振り、その名を呼ぶ。

 すると、彼女が肩に立て掛けていた傘の奥にある闇がゆらゆらと揺れ――突然、何かが飛び出してきた。


 それは大きな白い人の腕だった。

 腕はすぐさま頭陀袋を追うように壁へと突き刺さり、ぐねぐねとのたうつ。途端に壁の奥からくぐもった悲鳴が聞こえてきた。


「えへへ。げっとー!」


 傘の中から小さな男の子の声がすると、壁の中から頭陀袋の怨霊が引きずり出されてくる。怨霊は足を摘まれ、玩具のように振り回されていた。


「や、やめろ! 離せ、離せえっ!」


「タツミ、こいつコレクションする価値もないザコだよ。ボクが食べちゃってもいいよね?」


 傘の中に潜む裁巳の式神、じゃのめぼうずが言う。けれど、裁巳は口を尖らせた。


「駄目です。この方には親玉をおびき出してもらわなくてはいけないんですから。勝手に食べたりしたら、三枚おろしにしてしまいますよ」


「ちぇー」


「ただ、口を柔らかくしてあげないといけませんからね。少し遊んであげてください」


 彼女はそう言うと、空いている方の手でトンネルの壁を指し示す。すると、白い腕は頭陀袋の怨霊を握ったまま大きく振りかぶった。

 そして、そのまま投げつける。


「――――ッ!?」


 叫ぶ間もなく頭陀袋は壁に叩きつけられた。何かが砕けるような嫌な音がする。しかし、その体型のおかげなのか、完全に潰れずに跳ね返り、そのままトンネルの中を跳ね回った。


「うわっ!」


 頭上を巨体が掠め、凪はその場にしゃがみ込む。

 そうして弾むこと五回、六回――やがて勢いがなくなると、怨霊はごろごろと転がって裁巳の足元で止まった。


「うぐ……」


「ふふ、面白いですよね。霊体もこうして霊力で干渉してあげれば、物体をすり抜けられなくなるんですから」


 裁巳はにたりと笑い、這いつくばる頭陀袋を見下ろす。


「それにしてもあなた、とても良く跳ねるんですね。昔集めていたスーパーボールを思い出します。女の子らしくないと、お母様に捨てられてしまったのですけど……あなたも同じ様に弾み続けるか、試してみましょうか?」


 すると、怨霊は大きく震えてすくみ上がった。


「ひっ! わ、分かった、もう人をおどかさない! 力を奪わない!」


「では、あなたの親玉の怨霊をここに連れてきなさい。そうすれば、見逃してあげなくもありません」


「お、親玉? 何のことだ?」


 その親玉である頭陀袋はきょとんとしてしまう。けれど、勘違いしたままの裁巳は、その反応を見て不機嫌そうに顔をしかめた。


「どうやら、意識の混乱を解くにはまだ刺激が足りないみたいですね」


 そして、指をちょいちょいと動かすと、再びじゃのめぼうずの白い腕が伸びてきて怨霊を掴み上げる。


「ひいい、なんで、やめっ――」


 哀れな怨霊は、また投げつけられてトンネル内を乱反射した。

 ただ、今度は途中で放置されていた瓦礫にぶつかって進路が逸れる。そのまま凪の横を通り過ぎ、怨霊はトンネルの外へと飛び出していった。


「ありゃまあ。とんでっちゃった」


「もう、下手ですね。まあ、どこかへ行ったボールを追いかけるのもまた楽しいんですけど」


 そう言うと、裁巳は後を追いかけて走り出す。

 機を逸していた凪は、そこでようやく我に返った。


「ちょ、ちょっと裁巳さん!」


 咄嗟に呼びかける。けれど、裁巳は童心に返ったような爛々とした瞳で凪を一瞥すると、


「凪さん、そちらは任せましたよ」


 と言って、そのままトンネルの外へと駆けて行った。

 ひどく楽しそうなその背中を、凪はすぐに追いかけることができなかった。


 ――ああもう。完全にスイッチ入っちゃってるよ。ああなるとあの子、手がつけられないのに……。


 一応、凪の方が【澱攫おりさらい】では先輩ではあるのだが、裁巳は言って聞くような相手ではなかった。むしろ普段から「舐められてるなあ」と感じている凪である。もちろん、霊能力に関しても敵うはずもなく、力ずくで止めることも不可能だ。


 それに、今さら真実を伝えたところで、彼女を怒らせるだけかもしれない。そうなれば、今のような手加減をした『遊び』から、本格的な『滅殺』に切り替わってしまうだろう。


 凪は考えながらトンネルの奥に目を向けた。

 機材や瓦礫の影に隠れて、震えながらこちらの様子を伺う魂の気配がある。裁巳の気が逸れている今、これは彼らを救うチャンス、と言えなくもない。


 ――さ、先んずは目の前の救える魂だよね。それに、あのボールくん、思ったより頑丈そうだし……悪いけど、戻って来るまでしばらく耐えてて!


 凪は心の中で頭陀袋の怨霊に拝むと、トンネルの奥へと歩き出すのだった。

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