「騒がしいトンネル」

1 霧宮凪「心霊調査」

 斜面を吹き下ろす風の冷気が車内に滲み、背筋に微かな震えが走る。

 霧宮きりみやなぎはヒーターの温度を上げ、フロントガラスの向こうに広がる山々を眺めた。紅葉の季節はとうに過ぎ、山肌は深い緑とこげ茶色が残るばかりだ。視線を落とせば真新しい峠道が目に入ってくるが、相変わらず他に走っている車はなかった。


 ――通行止め中だから当たり前だけど……ここのところ裁巳たつみさんにつきっきりだったから、こういう寂しい感じは久々だなあ。


 はらにんである凪は、ある除霊依頼の調査に向かっているところだった。

 ただ、車内にいるのは凪ひとり。いつもの傍若無人な少女の姿はなかった。それを思うと、どこか不安なような、むしろ安心できるような、少々複雑な気分になるのだが――ともあれ、これが本来のワークスタイルではあった。


 心霊絡みの事件に対して、プロの霊能者というのは圧倒的に数が少ない。さらに、凪の所属している霊能者組合【澱攫おりさらい】では、祓いの分業化も進んでいる。そのため、祓い人は特別な場合を除いて単独行動が基本となっていた。

 数の少ない人員を効率よく運用するために仕方のないことだが、自分でも少し気が小さいと自覚している凪にはそれが辛かった。


 ――でも、最近ちゃんと仕事できてなかったし、調査班のみんなに負担を掛けないようにあたしも頑張らないと。


 そんなことを考えながら車を走らせていると、やがて工事現場が見えてきた。

 オレンジ色のバリケードが道の脇に並び、その向こうには大型の建設機械が停まっている。ただ、相変わらず人けはない。まだ日も高く、本来ならば工事が忙しい時間帯のはずだが、現場は死んだように静まり返っていた。


 凪はゆっくりとブレーキを踏み、事前に指定されていた事務所らしきプレハブ小屋の近くに車を停める。


 ――大丈夫。この間みたいな読み違えをしないように、今日はしっかりやろう。


 心の中で言い聞かせながら、車を降りて深呼吸をする。それからプレハブ小屋に近づき、簡素な扉をそっと叩いた。

 すぐに中から「どうぞ」という男の声が返ってくる。


「失礼します」


 扉を開けて入ると、中は事務机やスチール製の棚が所狭しと押し込められていた。

 その奥、散乱した書類に埋もれるようにして、ひとりの男が座っている。彼は凪の姿を見るとゆっくりと立ち上がった。


「ええと、あなたが……」


「はい。【澱攫い】から派遣されました祓い人、霧宮凪と申します」


「ああ、良かった。本当にお祓いを呼んでくれたのか……」


 凪の名乗りを聞くなり、男はほっと胸を撫で下ろした。


「現場監督の小川おがわです。今日はご足労いただきありがとうございます」


 小川は物腰柔らかな態度とは裏腹に、目の隈がひどく無精髭も伸び放題だった。どうやら、今回の一件でかなりの苦労をしている人物らしい。

 凪は彼が荷物をどかしてくれた机の前に座ると、手帳を取り出して開いた。


「早速ですが、今日はこれから除霊のための調査を行います。まず、今回『工事中のトンネルの除霊』ということでご依頼を頂いていますが、改めて経緯と状況をお聞かせ願えますか?」


「は、はい。ただ、何が本当のことだったか、自分の中でもまだよく分かってなくて……」


「確証がなくても大丈夫です。現場にいた小川さんが見たと思うもの、感じたものを知りたいだけなので」


 凪がそう言葉を掛けると、小川は頷きゆっくりと説明を始めた。


 この『佐盛さもりトンネル』の改修工事が始まったのは、今から二週間ほど前のことらしい。全長五百メートルほどのトンネルは、近くの避暑地へと続く道のひとつだったが、老朽化が激しく全面的な補修工事を行うことになった。周囲の道路の改修も含め、当初は順調に進んでいたのだが――ある日を境に異変が起き始めたという。


「まず、作業員たちが体調を崩し始めたんです。頭痛や幻聴を訴える者が何人か出て。それだけなら過労か何かだと思ったんですが……」


 小川は言葉を切り、窓の外を見やった。


「それからすぐに奇妙な人影を目撃したって話が出始めたんです。私は見ていないんですが、複数の作業員たちが見たと言って、みんな『明らかに生きた人間じゃなかった』と。それに加えて、道具や資材なんかもいつの間にか移動していたりするようになったんです。この間なんて、誰も乗っていないはずのブルドーザーが突然動き出したんですよ」


「そ、それは危ないですね」


「ええ。怪我人は出ませんでしたが、この暴走事件のせいで工事を一時中断することになりました」


 表向きは機材トラブルによる点検ということにしたらしいが、現場の作業員たちはそれが建前であることは知るところだろう。工事が止まる直前には、怖がって出勤拒否する者も出始めていたらしい。


 そうして工事計画が頓挫しかねない状況となり、建設会社から【澱攫い】に除霊の依頼があった、というのが今回凪が調査に来るまでの経緯だった。


「何とかなりそうですか?」


「とりあえず現場を見ないことには。……ただ、その前に伺いたいんですが、このトンネルには何か噂とか謂わくってありませんか? 例えば、昔の事故とかの」


 心霊現象の背景を調べることは調査の基本だ。もちろん、凪はここに来る前にトンネルやその周囲について調べてきている。ただ、すぐに手に入る資料を漁る程度では何も見つからなかった。


 しかし、そういう話は現場の中で隠匿されていることも多い。

 そう考えての質問だったのだが、小川の表情が強張ったのを見る限り、その予想は当たっているようだった。


「じ、実は……そういう話があるんです」


 小川は呟くように言って目を伏せる。


「工事記録によると、このトンネルが最初に作られたのは戦前で、それから何度も改修して使ってるようなんです。で、その最初の工事の時、事故が起きて数十人もの作業員が巻き込まれたようなんです」


「事故、ですか」


 凪の呟きに小川は小さく頷いた。


「崩落が発生して作業員に死傷者が出たとか。まあでも、そういう話はこの業界だとどこにでもあるもんなんです。特に古い時代の記録はあやふやで、噂が独り歩きしていることも多いですし。私も最初はその類だと思って気にも留めていませんでした。でも――」


 言葉が途切れる。手帳から目を上げると、小川の手は机の上で固く握られ白くなっていた。


「今になって噂は本当で、工事のせいで犠牲者の怨念が呼び覚まされてしまったんじゃないかと思うんです」


「……分かりました。その可能性も含め、厳格に調査します」


 凪は頷いて手帳を閉じる。

 小川の怯えた表情は見ているのも辛かった。彼のためにも、この件は早急に解決できるように進めようと心に決めた。


「それでは現場を見せていただけますか?」


「わかりました。ただ……今はあまり近づかないほうがいいかもしれません」


 そう言いたくなる気持ちは凪にもよく理解できた。だから、彼を安心させるために精一杯の笑顔を作ってみせる。


「大丈夫ですよ。こういうケースは何度も対処してきましたから。大船に乗ったつもりで、あたしたち【澱攫い】にお任せください」



          ――――――――



 事務所を出て真新しいアスファルトを歩いていくと、すぐにトンネルの入り口が見えてきた。目の前に立ちはだかる山肌に穿たれた穴は、まるで黒い口が開いているように見える。入口周りは壁が剥がされ、工事が進められている最中だったようだ。


「これが佐盛トンネルです」


 小川と共に入口の前までやってくると、凪はその中をじっと見つめた。内部は薄暗く、こちらも壁面が崩されていた。


 もちろん、工事の中断されている現場なので、凪と小川以外には誰もいない。しかし、凪の霊感は、トンネルの奥に何者かの存在が感じ取っていた。それも一人二人程度ではない。それなりにまとまった数の気配があった。


 ――思ってたよりも霊の数が多いな。瘴気まではいかないにしても、結構悪い気も混じってるし。これは普通に溜まったって言うよりは……。


 そこまで考えたところで凪は頭を振る。以前の依頼では、目先の情報に捕らわれて痛い目を見た。今回は同じ轍を踏まないようにしなくてはならない。


「では、中の方も見せてもらっていいですか?」


「は、はい。では、ヘルメットをつけてください。今、中の照明を点けますんで、少々お待ちを――」


 小川から黄色いヘルメットを渡された、その時だった。


 ぐううう――。


 低い唸り声のような轟音がトンネルの奥から響いてきた。


「な、何だ……?」


 小川が怯えるような声を上げる。その直後、不可解な出来事が起こった。

 入口近くに止まっていたダンプカーのエンジンが、突如として始動したのだ。誰も乗っていないはずの車がガタガタと震え出す。


「ひっ!」


「ポルターガイスト! 離れてください!」


 凪は固まっていた小川を引っ張って距離を取る。

 幸い、車止めが噛ませてあったのでダンプカーが暴走することはなかった。そのうちエンジンも嘘のように止まる。けれど、その次の瞬間、トンネルの奥から人間のものとは思えない叫び声が響き渡ってきた。


 ギャアアアアアッ――。


 それは苦痛と怒りに満ちたような、凄まじい叫びだった。


「あああっ! すみません、やっぱり私には無理です!」


 小川は悲痛な叫びを上げると一目散に駆け出した。その背中は声を掛ける間もなく、あっという間に事務所の裏へと消えていく。


 残された凪は、トンネルの前で立ち尽くして頭を掻いた。最初は自分も怖かったが、途中から気づいた。いくらなんでもこれはあからさま過ぎる。


「やられた。今のって『人を怖がらせるための心霊現象』だ……」


 幽霊というのは、存在の維持に『霊力』というエネルギーを必要としていた。しかし、それは一種の生命力のようなもので、生きている生物の中でしか生まれない。そのため、一部の幽霊たちは霊感の強い人に取り憑き、その霊力を吸い取ったりする。


 ただ、取り憑く以外にもう一つ。人から霊力を奪う方法があった。


 それは『怖がらせる』こと。


 波長を合わせて姿を見せる。ポルターガイストで物を動かす。などなど。とにかく存在をアピールして『驚かせる』のだ。


 すると、今の小川のように、恐怖に駆られた人間はいつも以上の力を見せることがあった。いわゆる火事場の馬鹿力というやつだが、その瞬間的な力の発揮には霊力も含まれる。

 しかし、そうして増幅した霊力は、適正の低い者からはすぐに溢れ出す傾向にあった。


 人を驚かす幽霊たちは、それを啜るわけだ。


 ――驚かしてくる霊って、危なっかしいからあんまり得意じゃないんだよね……。


 凪は辺りの様子を窺いながら腕を擦った。

 人を怖がらせようとするということは、一歩間違えば直接的な危害を加えかねない行動でもある。傷つけるようなことを進んでやり始めれば、それは完全に悪霊だ。この暗闇の奥に潜む者たちがそうなっていない保証はなかった。


 しかし、この程度で後戻りなんてしていたら祓い人の名折れだ。

 深く息を吸いこみ、凪は決意を固めた。


「よし、行こう」


 ジャケットからペンライトを取り出し、ヘルメットを被る。それから、気合を入れるために後ろにまとめた髪を少し強く引っ張って整えてから、一歩、また一歩と、トンネルの中へと足を踏み入れていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る