10 折桜裁巳「滅殺」
白い腕が周囲を薙ぎ払う度に、潰れた幽霊たちの肉片と血飛沫が舞う。
けれど、それらはすぐにさらさらと粉になって消えていった。壊され、霊力を失った霊体は、しばらくすると塵と化し霧散する。霊の体にこうした性質がなければ、今頃ロビーは屍の山で埋まっていただろう。
ただ、霊の血液は霊力そのものであり、堆積すると少しの間残ってしまう。そのため、辺りには引いては返す血の波打ち際ができあがっていた。
「一、二階はあらかた潰し終えましたか。やはり、このフロアの霊たちにまともなものはいませんね」
「上にはもっと人の形をしたのはいたよ」
天井を突き抜けて伸びていた腕の一本が、さっと裁巳の元に降りてくる。
「ああ、いやあぁ! 離せ、離せええ!」
握り込んでいたのは、恐怖に引きつった女の霊だった。確かに、下の階にいたものよりは人型を保ってはいる。だが、裁巳の興味を引くほどではなかった。
「完全にハズレです。やはり現れた怨霊以外はダメかもしれませんね……ああ、ここで潰さないように。血が飛び散るので」
裁巳が言うと、腕は霊を握ったまま再び天井に向かって伸びていく。そのうち上の方から絶叫がしたが、それが女の断末魔であるかどうかは、他の悲鳴と入り混じって判別ができなかった。
そうして、しばらく腕が暴れまわっていると――ふと、魚に引っ張られた釣り糸のように、上階を漁っていた傘の右腕が震えた。
「あ、かかったみたい」
「大変結構。ここまで引きずり下ろしなさい」
裁巳の命令により、白い腕が高速で傘の中に戻り始める。
すると、吹き抜けの天井に――ぬるりと巨大な黒い一つ目の顔が現れた。
「ぬうううううう!」
唸り声と共に、傘の腕と組み合う黒い手もすり抜けて来る。そのまま、黒い巨人が倒れ込むようにして吹き抜けを落下してきた。
そして、床の血の海に激突。せりあがった赤い波が裁巳の足元を濡らした。
「まったく。もっとゆっくりやってください」
「ごめんごめん。でも、大物だよ」
それは確かに大きいは大きかった。
黒い皮膚をした巨人は、ロビーに上半身しか収まっておらず、残りは壁を突き抜けてしまっていた。立ち上がれば、このビルの半分近い高さになるかもしれない。
「貴様らか! 俺の客を横取りしている奴らは!」
白い腕を振りほどき、黒い巨人――
だが、裁巳は臆するどころか、むしろ興味深そうにその顔を観察していた。
「まあ、確かに大物ではありますね。サイズ的には、ですけど。中身はどうでしょうか?」
「どいつもこいつも話を聞かぬ者ばかりだ!」
怒り狂った黒入道はその巨大な腕を振り上げた。そして、裁巳の小さな身体めがけて一気に振り下ろす――
「静かに。今見ています」
裁巳は傘を持っていない方の手で指を二本立て、それからさっと横に
まるで舞っているほこりを払うような、小さな動作。
けれど、それと同時に黒入道の腕は空中でぴたりと静止し――直後に
「あ?」
赤黒い断面を残し、上腕の半分ほどが血の海に墜落する。
黒入道は、しばらく呆然とその切り口を眺めていたが――やがて黒い血が吹き出し始めると、ようやく状況が飲み込めたようだった。
「あ、あ、あがああああああぁぁっ!」
絶叫を上げてのたうち回り、血飛沫で辺りに黒い雨を降らせていく。
「ああ、失礼しました。軽く払い除けたつもりだったのですが、思ったより
裁巳は、血の雨を蛇の目傘で受けながらくすくすと笑った。
「やはり得た力をうまく変換できず、単に肥大化してしまっているだけのようです。怨霊としては『下の上』ってとこでしょうか」
「じゃあ、こいつもハズレ?」
「いえいえ。貧弱さはともあれ、習性や性質は現代の怨霊として趣きがありますから、蒐集する価値はあるでしょう。とはいえ、これ全部を『展示室』で飾るわけにはいきませんからね……」
裁巳は小首を傾げて考える。
「そういえば、急激に肥大化した怨霊は、元の霊体が核として残っている、とクズレから聞いたことがあります。今回はそれを引きずり出して、コレクションに加えることとしましょう」
よい案だろう、と裁巳は傘を見やったのだが、聞こえてきた声はとても不満げなものだった。
「えーっ、そのカクってやつさがすのってボクがやるんでしょ?」
「当然です」
「めんどくさいなあ。食べながらやるにしても、切り分けてこっちにもってこなきゃいけないし、時間がかかるよ」
「まったく仕方ないですね。それなら、もう少しこちらに出てきても良いですよ」
「ほんと!?」
途端に傘から興奮の声があがる。
裁巳は降り注ぐ血に打たれないようにしつつ、僅かに傘を傾けて天井を見上げた。
上には
「ただし、あなたが全部出てくると流石にみなさん危ないでしょうから、半分くらいまでにしておきなさいよ?」
「うん!」
明るい返事とは裏腹に、次の瞬間傘からおどろおどろしい瘴気が溢れ出す。
そして、先に出ていた白い腕の間から、それは姿を現した。
白い鱗に、切れ目のような瞳孔を持つ丸い大きな目。頭の半分ほどを占める顎からは、赤く長い舌がちろちろと揺れている。
それは、白い大蛇の頭だった。
さらに続いて長い身体が傘から伸びていく。けれど、そこに蛇に似つかわしくないものがあった。艷やかな胴体に掛かっていたのは、くすんだ黄色いビニール製の雨合羽。それが袖まで出てくると、先に出ていた白い腕の根本が合流した。
雨合羽を羽織った人の腕を持つ白蛇――それが裁巳が『じゃのめぼうず』と呼ぶ傘の中の存在だった。
「ふう。ひさびさの現し世の空気はうまいなあ。血もうまい」
じゃのめぼうずは、長い蛇舌を血の雨の中で踊らせながら言う。
すると、前方から野太い悲鳴があがった。
「ひ、ひいいい! なんなんだ! お前たちは、なんなんだ!」
じゃのめぼうずを目にした黒入道は、痛がることも忘れて戦慄していた。
霊は人以上に霊気に敏感だ。じゃのめぼうずは見た目こそ可愛らしい――裁巳の中では――が、放つ瘴気は尋常ではない。霊の目にはよりおぞましく映っていることだろう。
「この子はわたくしのお友達、じゃのめぼうずと言います。霊能者として言うなら、式神や使い魔と言ったところでしょうか」
裁巳は楽しげに白蛇の胴をなでながら言う。
「ただ、元は『祟り神』だったもので、少々乱暴で食いしん坊なのです。餌として霊を与えないと、暴れ出す悪い癖があって――ああ、せっかくですからあなた。ただ食われるのではなく、少々この子と遊んでくださいませんか? 身体が大きいので良いストレス発散になりそうです」
「いいね! ねえおじさん、いっしょにあそぼう!」
楽しげに笑う少女と大蛇。
差し込む月光を遮り、震える黒入道に大きな影を落とした。
「いやだ、やめろ! やめてくれ! ああ、お願いします! 来ないで! 来るな、来るぁ――」
結局のところ、その後行われたのはただの“解体”だった。
ひたすらに、ちぎり、砕き、押しつぶす瑞々しい音が響くばかりなので、詳細は省くが――裁巳が退屈そうに残骸を眺め、じゃのめぼうずがうまいうまいと貪る様は、いつもの狩りの光景であった。
――――――――
「あっ、あったかも」
しばらくして、
「これがタツミの言ってた『カクのレイタイ』ってやつじゃないかな」
「素晴らしいです。では、拝見しましょう」
裁巳は目を輝かせ、その塊に視線を向けたのだが――
「男性の霊ですね。確かにこれが怨霊の核に間違いなさそうですけど、この方……」
その黒い塊は、まるまると太った男だった。けれど、怯えつつもどこか傲慢さが抜けきらないその表情には、どうにも見覚えがある。
唇に指を当てて考えると、裁巳はすぐに思い出した。
「そうです。よく見れば、あの方にそっくりじゃないですか。……なるほど。それでこのような怨霊になったのですね」
「なになに? 知り合いのユウレイだった?」
「いえ。さっき会ったばかりなので覚えていただけです」
そっけなく言うと、裁巳は怨霊の核に手をかざした。黒入道の腕を切り飛ばしたときのように指を二本立て、切っ先を向ける。
「あれ、消しちゃうんだ。コレクションはいいの?」
「気が変わりました」
僅かに顔をしかめる裁巳。それから、続けて言った。
「わたくし、ああいう失礼な方はキライなので。近くに置いておきたくありません」
そして、指が空を切り、すべてを終わらせた。
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