6 霧宮凪「黒いお月さま①」

 そこにいるのは、まるで交差点の雑踏のように統一感のない老若男女で、ざっと数えてみると三十人以上はいるようだった。


 しかし、みな一様に生気のない表情をしており、入ってきたなぎたちに視線を向けることすらしない。


「どうですか?」


 塩野しおのには見えていないのだろう。彼は壁際で三角座りをしていた少女に半分重なりながら尋ねてきた。


「かなり多いですね。……ちょっとそこどいてもらってもいいですか?」


 塩野に横によけてもらい、そこにいた少女の霊に目を向ける。どこか見覚えがあると思ったら、監視カメラの映像に映っていた赤いセーターの少女だった。


 彼女も性質的には浮遊霊のようだった。ただ、煙状ではなく人の形を保っているということは、意識や記憶がある程度残っているということだ。


 ――話を聞きたいところだけど、思った以上に意識レベルが低い。結構弱ってるな。


 試しに顔の前に手をかざしてみるが、何の反応もなかった。一階の浮遊霊のように、煙状になるのは時間の問題だろう。


 幽霊というのは、存在しているだけでも常に霊力を消費する。そのため、外部から霊力を取り入れない限り、時間とともに消えてしまう運命にあった。それは自然なことで、仕方ないことではあるのだが――


 凪は顔を上げ、他の霊たちにも視線を巡らせる。

 みな、この少女と同じような状態で、劣化の具合がほとんど一致していた。思えば、ロビーにいた煙のような浮遊霊たちも、同じ煙状態の集まりだった。


 ――おかしいな。気ままにさまよう浮遊霊たちなら、普通は状態関係なく入り乱れるはずなのに。


 けれど、このビルでは霊体の劣化具合で明確な層が形成されていた。


 ――たぶん、層になってる理由は、霊たちがこのビルに溜まってる原因と無関係じゃないはず。とりあえず、この子たちから話を聞いてみよう。


 そう考えた凪は、かざしていた手を少女の頭の上に持っていく。それから、塩野に声をかけた。


「今からここにいる霊に少し力を与えて、話ができる状態にします。ただ、この場の霊気も一時的に高まるんで、今の塩野さんにも姿が見えるようになるかもしれません。落ち着いて話ができるように、見えてもなるべく驚かないであげてください」


「わ、分かりました」


 塩野はかくかくと頷いて後退りをした。

 それを横目に見てから、凪はかざしていた手に霊力を込める。

 すると、凪の手の平から線香の煙のような細い線が流れ、少女の霊体を包み始めた。しばらくその霊力の受け渡しを続けていると――背後で塩野が「あっ」と小さく声を漏らす。


 直後に膝に埋めていた少女の顔がゆっくりと持ち上がった。


 顔つきは十歳くらいだろうか。霊の外見は必ずしも生前の年齢と合致するわけではないが、凪が感じる限りそう乖離している様子でもなさそうだった。


「こんばんは」


「……こんばんは」


 凪の挨拶に、やや遅れて少女は返す。

 とりあえず意識を活性化させる試みは上手くいったようで、凪は少しだけ肩の力を抜いた。それから膝をつき、少女の霊に笑いかける。


「ちょっとお話が聞きたいんだけどいいかな?」


 どこか眠たげな表情で少女は小さく頷く。


「お姉さんは凪っていうんだけど、あなたのお名前は?」


「……わたし、なまえは……みさ、ええと、みな? よく思い出せない」


 名前は比較的残りやすい生前の記憶だ。しかし、彼女は相当霊体の劣化が進んでいたのか、それもあやふやな様子だった。


「大丈夫。じゃあ、とりあえずミサちゃんでいいかな?」


「うん……」


「よし。じゃあ早速だけど、ミサちゃんはどうしてここにいるのかな? 多分、少し前まで色々な所をお散歩してたと思うんだけど」


「どうして? どうしてだろう……」


 少女の霊、ミサは自問するように呟き、ゆっくりした動作で立ち上がる。それから窓の外をじっと見つめて動きを止めた。


 相当記憶が混濁しているのだろう。彼女は固まったまま景色を眺め続ける。

 それでも、凪は何も言わずミサの言葉を待ち続けた。


 そのまましばらく一緒に夜景を見ていると、ふと少女が口を開く。


「……確か、お母さんといっしょにお外にいた、と思う。でもいつの間にかひとりでここにいたの」


 どうもここに来た細かい経緯までは覚えていないらしい。けれど、母親の霊とはぐれたというのが本当なら、彼女がここに留まる理由はないはずだ。


「なら、どこかでお母さんが待ってるかもしれないね。探しには行ったりしないのかな?」


「お外に?」


 ミサの言葉に凪が頷いて見せると――突然その表情が曇った。

 そして、少女は叫ぶように言う。


「お外は出ちゃだめ!」


 声に驚いた塩野が背後で小さく悲鳴を上げた。周りにいた他の霊たちも、強い感情に感化されたのかこちらに視線を向けてくる。


 ミサだけではない。こちらを向いたすべての霊たちの顔に浮かんでいたのは、明確な恐怖心だ。


 これだ、と凪は確信する。


 この彼女たちが恐れる何かが、恐怖で幽霊たちをこの建物に縛り付けているのだ。


「お外に出なくても良いから安心して。でも、どうしてお外に出たらいけないのかな?」


 あまり刺激を重ねたくはなかったが、彼女たちを助けるためにも聞かざるを得なかった。ミサは窓に背を向けて座り込んでしまうが、それでもそのうちぼそぼそと呟き声が聞こえてくる。


「お月さまが見てるの」


「お月さま?」


「うん。大きくてまるい、黒いお月さま。お外に出ようとすると、お月さまが怖い声で言うの――『出るな』って」

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