4 霧宮凪「祓い人の気苦労と『蛇の目姫』の弱点」

 ――裁巳たつみさん、今絶対に『八つ裂きにする』って言おうとしたな。


 警備室を出ると、志島しじまは他の仕事があるからとビルから去っていった。その背をにこにこと見送る裁巳は、なんとも上機嫌そうだった。それは、これから恐ろしい狩りが始まることを示唆しているようで、なぎは怨霊よりもそちらの方が恐ろしかった。



 折桜おりざくら裁巳――。

 一年ほど前に【澱攫おりさらい】のリーダーであるクズレが連れてきた野良の霊能者。

 霊能者は組織に属さず活動する者も多く、たまにクズレがそれをスカウトしてくることがあった。若いな、と最初見たとき凪は思ったが、霊能者としての才能は年齢によらない。二十代半ばの凪も【澱攫い】の中では十分若いほうだが、霊感の強さを買われて霊視役の筆頭と評価してもらっていた。


 恐らく、この子も素晴らしい才能を持っているのだろう。話してみると、心霊対処の知識はまるでないようだったが、優秀な原石ならば少しの修行で開花することもある。凪は期待の後輩が入ったと、最初は嬉しく思っていたのだが――


 裁巳はそんな生易しい存在ではなかった。

 彼女のテストも兼ねた最初の怨霊の除霊で、同行していた三人のはらにんが一時意識不明に陥った。怨霊に襲われたのではない。裁巳が除霊しようと、あの蛇の目傘を開いたことで溢れ出た負の霊気――瘴気しょうきに当てられ昏倒してしまったのだ。

 凪は今でも忘れることができない。怨霊から裁巳を守るはずだった守り札が、あっという間に燃え落ちていったあの光景を。


 その後の祓いもあまりに凄惨せいさんだった。

 【澱攫い】の心構えをあざ笑うように、彼女は暴虐の限りを尽くして怨霊を滅殺した。


「ちょっと歪んではいるが、すごい力だろう? 正しく導けば稀代の祓い人になるよ」


 脂汗を浮かべて言うクズレの言葉に凪も同意せざるを得なかった。いくら元々の素質が物を言うこの世界でも、最初からここまでの霊能力を持つ者はそうはいない。けれど、その歪み具合がでないことは誰の目にも明らかだった。


 今でこそ霊力を操作して傘の瘴気をカバーするようにはなったが、一緒にいるだけで呪いに近い被害を受けるかもしれないのだ。霊の魂に対して思いやりの欠片もないことも祓い人として致命的となり、最初の祓い以降、誰も裁巳と一緒に仕事をすることはなかった。


 しかし、そんなもの関係ないというように、彼女は圧倒的な力で成果を上げていった。通常、何人ものベテランが命を賭して当たる大怨霊の対処を、彼女は一人で平然とやってのけた。そして、戻ってくるなり「大変有意義な狩りでした」と優雅に微笑みながら言うのだ。


 彼女の噂は瞬く間に界隈全体に広がり、一年も経つ頃には神がかりの霊能者の一人として数えられるようになっていた。

 今では主に畏怖を込め『じゃひめ』と密やかに呼ばれている。



「それでは始めましょうか。わたくしが様子を見てきますので、先生は塩野さんとこちらでお待ち下さい」


 来たな、と凪は思って身構える。

 経験を積み、クズレから心霊対処の知識も学んだ今の裁巳にとって、もはや除霊という行為は単なる遊びに過ぎない。珍しい者は捕らえられ、そうでない者は憂さ晴らしの道具にされてしまう。並の怨霊では抵抗を示すことすら難しい。


 凪が裁巳の祓いに付いて回るようになったのは、こうした心無い行いを止めるためだった。もう一つ別の理由もあるのだが、それは今は急を要さない。クズレと協力し、裁巳を正しい祓い人に導くこと。それから、それまでに彼女の玩具にされてしまう魂をなるべく救うこと。そのために凪はここにいるのだ。


 だが、


「え、ええと。あたしが先に見てくるんじゃだめかな?」


「はあ?」


 凪の言葉に、裁巳の目がすぅっと細められる。その切れ味抜群の視線に、凪の心臓は締め上げられた。狩りの邪魔をされることを裁巳は極端に嫌う。邪魔者に向けられる視線は、霊に対して向けるものと同じ。つまり、とにかく怖いのだ。


 もちろん、裁巳がその力を意図的に人に向けたことはない。人と霊とをしっかり線引きしているが故に、彼女はむしろそこらの霊能者よりも力の扱いに分別がついていた。だからと言って、どちらかと言えば気が弱い凪が直接「ダメだぞ」などと言えるはずもないのだが。


 ただ、打開策はなくはない。

 凪はその整った横顔に口を近づけ、耳打ちする。


「ほら、これだけたくさん幽霊がいるなら、もしかしたら珍しい特性のやつも紛れてるかもしれないし。ちょっとは調査してきた方がいいんじゃないかって思うんだけど」


 すると、切っ先のようだった視線がやや緩む。


「強い気配は感じませんけれど?」


「でも、珍しい特性があるかどうかは気配の強弱だけじゃ分からないでしょ?」


「まあ……確かにそれはそうですけど」


 その綺麗な茶色の瞳が左上を向く。悩んでいる証拠だ。これはもう一押し。


「幽霊調査ならあたしの十八番おはこだしさ。今度は絶対見間違いもしないよう慎重に調べるって約束するし、ね?」


 凪が強く推すと、裁巳はしばらく考え込んだ。そして、遂に諦めるように首を振った。


「仕方ないですね。あなたの目論見は大体分かっていますが……多少追加の障害があるのも面白いですからね。一時間です。一時間したら、報告がなくとも勝手に始めさせてもらいます」


「よ、よし。一時間だね」


「その代わり、ちゃんと珍しい子がいたら取っといてくださいよ?」


 最後だけは年相応の少女が甘えるように言う。けれど、彼女が求めているのは奇っ怪な幽霊であることを忘れはならない。


 そのあと、裁巳は塩野から通用口のカードキーを借りると、近くで時間を潰すと言って外に出ていった。出口の扉が閉まるのを見て、凪はようやく肩の力を抜く。


「ふう、これで少しは時間が稼げた……」


 神がかりの霊能者、折桜裁巳の弱点。

 それは、『極端に霊を探知する能力が低い』ことだった。


 別に、裁巳の霊感が弱いというわけではない。彼女は霊を視認することなら凪と同じようにできる。


 ただし、視界のとなると話は別だ。

 今も、裁巳は建物内に強力な霊がいるかくらいしか掴めていない様子だった。凪にはどの階にどれだけの霊が隠れているか、その大まかな性質まで視えている。一般的な他の霊能者でも、ここにいれば彼女より情報を得られることだろう。


 クズレによると、それは裁巳があまりに強い霊力を扱っていることに起因しているという。

 例えば、建物や街灯の明かりが絶えない都会では、その光のせいで夜空の星が見えにくい。それと同じ様に、強すぎる霊力を放つ裁巳もまた、離れた幽霊たちの気配を自ら掻き消してしまい、感知しにくいようだった。


 故に、裁巳は今でも【澱攫い】の調査報告を頼りに活動をしている。彼女の興味を満たすような変わり種は、当てずっぽうに探してもなかなか見つからないのだ。この性質と彼女の好奇心を利用することで、交渉の糸口を得る術を凪はこれまでの経験から学んでいた。成功するかしないかは裁巳の気分次第だが、今回は賭けに勝つことができたようだった。


「ええと。お弟子さん……なんでしたよね?」


「あ、あはは。なんというか、少し気難しい子でして」


 弟子が時間を潰しに出かけ、師匠がほっとしている構図は、事情を知らない者の目には不思議に映ったことだろう。とにかく、少し猶予はできた。成仏させることまでは無理かもしれないが、霊たちがこの場に留まる原因を探り、逃がすことはできるかもしれない。


 決意を固めた凪は、裁巳が向かったのとは反対方向――廊下の先にある正面広間を見据えるのだった。

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