2 折桜裁巳「笹垣ビル」
都心に近いオフィス街。そこに目的の『
白い大理石風の外壁をした背の高い商業ビルで、都内ならどこかしらで見かけるタイプの建物だ。周りを取り囲むようにちょっとした庭園があり、散策路やベンチなどが整備されていた。
そこを抜けると、一面ガラス張りの入口が見えてくる。脇には館内の店舗を案内する看板が設置されていて、
ただ、案内板のスペースは半数近くが空欄だ。
そして、その事実を覆い隠すように『設備点検のため全店休業』の大きな張り紙がしてある。入口の自動ドアにも同じものがあった。奥に見える館内は、灯りこそ点いているものの、人の姿はまったく見えない。
「人払いは済んでいるようですね。まあ、これだけ霊の気配が濃ければ、自ずと寄り付かなくなるでしょうけど」
「この感じ、聞いてた以上の量だよ」
隣でビルを見上げていた
近くのコインパーキングに車を停め、ここまで少し歩いてきたのだが、建物が見える前から気配を感じることができるほどだった。まるでセールで混雑したデパートのようだ。
「霊道ってわけでもなさそうなのに、一体どうしてこんなに溜まり込んじゃったんだろう?」
「さあ? わたくしそういう細かい習性とかさっぱりなので。……とりあえず中に入りませんか? 依頼主のオーナーからも話を聞けるのでしょう?」
裁巳は単純な寒さからコートの袖を擦る。ここのところ、夜になるとすっかり冷え込むようになっていた。霊の気配も数が多いだけで、とりわけ強いものは感じない。今は風の冷たさのほうが嫌だった。
凪は裁巳の言葉に頷くと、建物を回り込むように進み始めた。裏手に回ると道路に面した搬入口が見えてくる。そこに従業員用の通用口があった。凪は扉の前に立つと、横にあるインターホンのボタンを押す。
『はい』
間もなく、男の声で応答があった。
「あっ、ごめんください。あたしたち【
『ああ、少々お待ち下さい』
少し上ずったような声がすると、すぐに扉がガチャリと開いて男が顔を覗かせた。
「お待ちしてました。ささ、中にどうぞ」
扉を大きく開けて笑顔で裁巳たちを招き入れてくれる。少し小太りの中年男性で、紺色の制帽を被っているところを見るに警備員のようだった。彼の案内で狭い通路を少し進み、警備室と札の出ている部屋に通された。
中に入ると、狭い室内にはロッカーやモニターが並んでいて、休憩スペースらしき場所には恰幅の良い男が一人いた。彼は裁巳たちを見ると、手にしていた紙コップを置いて椅子から立ち上がる。
「よく来てくれた。あんたたちがオリ何とかの霊能者か」
「はい。【澱攫い】の
「祓い人?」
「一般的にいう除霊師のことです。うちでは特にその道の専門家を指します」
「なるほど。オーナーの
短く名乗った男性は、少し憮然とした表情で凪の様子を眺める。
「しかしずいぶん若いな。優秀な霊能者を寄越してくれるっていうから、てっきり袴を着たじいさんみたいのが来るかと思ってたんだが……本当に大丈夫なのか?」
失礼な質問だ、と裁巳は思ったが、凪は表情ひとつ変えずに笑顔で答える。
「もちろんです。うちは形よりも能率重視なので」
「ならいいんだが……それで、そちらさんは? また一段と若いみたいだが、この人も?」
「あ、はい。彼女が今回の――」
凪がそう言いかけたので、裁巳は僅かに顔をしかめて舌打ち――淑女がしても問題ないとされるごく軽微な舌打ちだ――をして、抱えていた傘の柄でその脇腹を突いた。
それに驚いた凪は、すぐにしまったといった表情で言い直す。
「ええと、あたしの弟子です。どうぞ、お気になさらず」
「はい。先生の弟子で、荷物持ちのようなものです。名乗るほどの者ではありません」
裁巳は笑顔で言って、これが先生の荷物だと言わんばかりに抱える傘を持ち直して見せる。
もちろん、そんなわけはない。これは事前に凪と決めていた小芝居だ。
裁巳は当然、家族や友人に隠して幽霊狩りを行っている。だが、社長令嬢として、万が一にもその事実が外部に漏れるわけにはいかない。そこで、依頼人と顔を合わせるとき――特に一定以上の社会的立場を持ち、少しでも
彼女はすっかり忘れていたようだが、裁巳が自由に活動をするためには重要なことなのだ。
「ふむ、そうか。やっぱり偉い霊能者にはそういう弟子がいるもんなんだな」
幸い志島のイメージには合っていたようで、彼はすぐに納得してくれた。
隣で繕うような笑みを浮かべる凪にため息をつきつつ、裁巳は話題を逸らすために話を促すことにした。
「それでは、今回遭われている心霊現象について、先生に詳細をお聞かせ願えますか?」
「ああ。と言っても、俺はいくつもビルを経営していて、普段からここにいるわけじゃない。俺よりも、彼に聞いてもらった方が良いだろう」
そう言うと、志島は二人を案内してきた警備員に向けて顎をしゃくる。裁巳たちが視線を向けると、彼は少し緊張したような面持ちで頷いた。
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