「出られないビル」

1 折桜裁巳「狩人への依頼と小さな期待」

 裁巳たつみは小さい頃から珍しい物を集めるのが好きだった。

 きれいな装飾品や宝石――というわけではなく、河原に落ちているまんまるな石や変わった形の枝、さらには虫や動物の骨など。彼女の興味の対象は、おおよそ名家の娘とは思えないチョイスばかりだった。


 祖父はよく標本にするのを手伝ってくれたが、母や祖母は大いに嫌った。それで一度、コレクションを捨てられて喧嘩になったこともある。彼女の一風変わった嗜好を満たすものは、いつだって障害がついて回った。


 けれど、幽霊という存在だけは別だ。

 折桜おりざくら家は、江戸時代から続く古い家柄を持つ。しかし、別に陰陽師おんみょうじの家系というわけでもなく、親類一同、誰も霊感を持っていなかった。その中で、どういうわけか裁巳だけが強い霊能力に目覚めた。それはつまり、家族の前で妙な素振りさえしなければ、幽霊をどうこうしても誰にもとがめられないということだ。


 虫と違い、ばらばらにして反応を観察していても平気だったし、リビングに置き忘れたとしても捨てられる心配はない。また、中には珍しい特性を持つ者や、知性が残っていれば会話することすらできた。


 こんな面白いもの、好奇心旺盛な子供が食いつかないはずがなかった。こうして生まれた裁巳の秘密の趣味は、長年に渡り彼女の好奇心を満足させ続けてきた、はずなのだが――



          ――――――――



「……面白くないですね」


 裁巳は長い髪の毛先を指でもてあそびながら独りごちる。

 もたれ掛かっていた車の後部座席の窓が深く吐いた息で曇り、流れていく街並みがもやに包まれた。その様子はまさに今の裁巳の心中のようだった。現在の彼女の状況は、かつての楽しみとはかけ離れている。


 指先を回していくとつややかな黒髪が巻き付き、やがて弾むようにほどける。そんなことを繰り返していると、前の運転席でハンドルを握る女性が声を掛けてきた。


「裁巳さん、これから現場に行くんだよ? 溜息ついてないでもう少しやる気出そうよ」


 その呆れるような態度に、裁巳の片側のまぶたがぴくりと震える。


「まったく。誰のせいだと思ってるんですか」


「へ?」


「いいですか、なぎさん。あなたが事前調査でただの怨霊を『真っ赤な幽霊』なんて間違えて報告したから、昨晩は無駄足を踏んでしまったんです。歩き疲れてしまったし、友達とカラオケにもいけなかったんですからね」


「わわ、やぶ蛇だった、ごめんなさい!」


 霧宮きりみやなぎは、少し丸まった短いポニーテールを揺らして縮こまった。

 彼女は裁巳が協力している霊能者組合のはらにん――簡単に言えば除霊専門の霊能者であり、主に除霊前の調査を担当していた。霊の性質を見抜く霊視が得意で、裁巳も気づかないような隠れた霊を安々と見つけ出すことができる。ただ、そそっかしく情報の真意を見誤ることも多々あるのが玉に瑕なのだが。


 一応、組合内では凪の方が先輩だったが、今は訳あって裁巳の相棒、というか助手のような役回りになっていた。


「まあでも、ちゃんと成仏させられてよかったよ。クズレさんも喜んでたし。だからこそ、こうして別の依頼をすぐに回してくれたんじゃないかな」


「まったく。あの人が選んだ依頼だから余計にやる気が出ないんです」


 石葉いしはクズレ――組合のまとめ役の老紳士。温和で人当たりは良いのだが、そのせいか最近回してくる依頼までも生ぬるいものばかりになっていた。今日の仕事もきっとそうに違いない。

 それから、気に食わないことはもう一つある。


「それと、あんな赤い色に見えただけの偽物、別にわたくしは成仏なんてさせてませんからね」


「えっ。でもメールじゃ成仏させたって……」


「無駄足だったのにそんな丁寧なことするもんですか。あなたとクズレがうるさいから、そう書いておいたまでです。今頃は『じゃのめぼうず』のお腹の中でしょうね」


 そう言ってみせると、ルームミラー越しに凪から睨まれた。


「お、怨霊だからって、軽々しく滅殺めっさつするのはあたしたちのやり方に反する。『闇夜に沈んだ魂も掬い上げる』。それが【澱攫おりさらい】の心構えだって、最初に教えられたはずだよね?」


 彼女は精一杯凄んでいるつもりなのだろうが、童顔のせいでまるで怖さがない。


 ともあれ、【澱攫い】――それが裁巳と凪の所属している組合の名前だ。

 裁巳は、そのどこか暗い雰囲気の名前があまり好きではなかった。書きにくく読みにくく、響きもどぶさらいっぽくて嫌だった。にも関わらず、怨霊も成仏させるなどときれいごとを言うのだから始末が悪い。


「そもそも、わたくし別に【澱攫い】に入ったつもりはありませんよ。幽霊の情報をくれるというから、あくまで協力者として手伝っているだけです。まあ、クズレには一応、心霊対処の基礎を教わった恩義はありますけど」


「だったら少しくらい――」


「それはそれ。あなたがたの心構えとやらに賛同した覚えはありません。どうぞ、ご自分たちだけで守っていらしてください」


 裁巳は飄々ひょうひょうと返し、視線を窓の外に戻す。


 このように、凪もクズレも魂の尊重がどうのといつもうるさいのだ。

 多くの人々に見えない幽霊というものは、社会的に存在しないことになっている。当然、それに関する法律も条例もない。ならば、それをどう扱おうが自由、というのが裁巳のスタンスだった。

 ただ、凪のような正義感の強い者には、どうにもそれが気に食わないらしい。


「そんなことより、今日の依頼の詳細はどうなっているんですか。わたくし、『幽霊ビルの除霊』としか聞かされてないのですけど」


 付き合っていられないと思った裁巳は、さっさと話題を変えることにした。

 それに対し、凪は諦めるように肩をすくめてから答える。


「実は先日入った飛び入りの依頼らしくて、事前調査はできてないんだ。一応、『ビルに起きる心霊現象を止めて欲しい』って話みたいなんだけど」


 なんでも、依頼人の持つビルで最近心霊騒ぎが起きているのだという。テナントが退去し始める事態にまで発展しており、早急の解決を求め、すぐにでも除霊を始めて欲しいということだった。


「急な話だけど、ウチと繋がりのある霊能者からの紹介で、どうにも断れなかったみたい」


「霊能者からの紹介?」裁巳は眉をひそめた。「先に相談を受けた霊能者がいたなら、なんでその方が対処しなかったんですか?」


「それが、その霊能者からは『手に負えない』って断られたらしいよ。なんか、とんでもない量の霊がいるとかで」


 そして、その代役として【澱攫い】が紹介された。一度断られているオーナーは、とにかく問題を確実に解決できる者を派遣するように言ってきたのだそうだ。


「それでわたくしに話が回ってきた、と」


「うん。すごいことだよ。霊を祓うことに関しては、筆頭クラスだってクズレさんにも認められてるってことなんだから」


 そう言えば聞こえは良いが、実際のところ面倒な依頼を押し付けられただけだろう。

 大量の霊が集まると、個々の力が弱くとも自然と心霊現象が起こることがある。つまり、今回の幽霊は単なる烏合の衆ということだ。“蒐集”に値する獲物には期待できそうもなかった。


 ――まあ、数がいれば別の楽しみ方もできますか。


 前回は地味な幽霊一匹だったのでフラストレーションが溜まっている。ストレス発散にはちょうど良いのかもしれない。


 そう思った裁巳は、少しだけ口角を上げ、再び窓の外を流れる街並みを追い始めるのだった。

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