幽霊ってもう死んでるんだから何しても大丈夫ですよね?

Tes🐾

プロローグ「折桜裁巳の優雅な楽しみ」

 折桜裁巳おりざくら たつみには、今日の放課後、楽しみにしていることが三つある。


 一つは、友達とおしゃれなコーヒーショップに行くこと。

 新作『クリムゾンレイン・クリームフラッペ』が今日から発売されるとのことで、裁巳が通っている学校でもずっとその話題で持ちきりだった。


「そういえば、あのスタダの新作。真っ赤なベリーソースの中には、裁巳が大好きなブラッドベリーも入ってるらしいよ!」


「まあ。それは絶対に飲まないといけませんね」


 ハロウィン限定商品らしく、今をときめく女子高生がこれを逃すわけにはいかない。放課後、友人たちと店に乗り込むことが決まっており、裁巳はそれを待ちわびていた。



 楽しみの二つ目は、今日から両親が家を空けること。

 彼らは裁巳の父と母であると同時に、製薬会社『桜華製薬おうかせいやく』の社長とその秘書でもあった。つまり、その娘である裁巳は社長令嬢。いわゆるお嬢様だ。家柄が妙に古いことも相まって、父はまだしも母の監視の目は厳しい。姿勢がああだ、格式がこうだ。思春期の裁巳にとってうるさいことこの上なかった。

 しかし、そんな彼らは今日からしばらく海外へ商談に出かけてしまう。


 お陰で、憧れだった一人暮らしの疑似体験ができることになり、裁巳の心は躍っていた。もちろん、お目付け役の家政婦はいるものの、夜にはみな帰ってしまう。そうすれば小言を言う者はいなくなる。

 それに加え、『アレ』のために色々隠さなくてよくなるのも嬉しことだった。



『アレ』というのは、楽しみ三つ目のことだ。

 お嬢様の裁巳が長年はまり込んでいて、けれど親友や両親にすら隠している秘密の遊び。


 それは――幽霊探し。


 普通の淑女ならば、ホラー映画を観るのも怖くてたまらないもの。肝試しなんて以ての外だろう。


 けれど、裁巳は違った。

 幼い頃から幽霊と接してきた彼女にとって、彼らは恐怖の対象ではなく、興奮と楽しみの源泉だった。期間限定のドリンクを追い求めるように、裁巳は珍しい幽霊を探し歩いていた。


「ふふ、真っ赤な幽霊、一体どんな子なのでしょう」


 午後の授業中、ふと制服のポケットからスマートフォンを取り出し、こっそりメールを開く。ある馴染みの情報提供者から届いたその内容は、近くの踏切に出没するという『真っ赤な幽霊』について書かれていた。


 文面を見る度に裁巳の心は高揚する。

 新しいターゲット。しかも服や流血の色などではなく、まるで塗料でも塗ったかのように均一な赤というのだから珍しい。放課後、新作フラッペの味が舌に残る中で、自由気ままな幽霊探し。これ以上の楽しみはないだろう、と彼女の胸は期待に膨らみ続けていた。


 けれど、このときの裁巳は知る由もなかった。

 彼女を待ち受けているのはいつもの楽しい遊びなどではなく、言い表しようもない悲劇だということを。


「真っ赤な幽霊、食べたら甘酸っぱそうですね」


 惨劇の夜が幕を開けようとしていた。



          ――――――――



「あああぁ、うあぁあああああああぁ!」


 濃いオレンジ色の照明に包まれた線路下のトンネル。そこには、耳を塞ぎたくなるような悲痛な叫び声がつんざいていた。


 それは、先程まで友人と笑い合っていた少女の悲鳴――

 ではなかった。


 逆だ。


 泣きながら地べたを這いずり、必死にこの場から逃れようとしているのは中年の男だった。その肌は異様に白く、またかすかに透けていて、一目で生きている人間ではないことが分かる。

 そして、それをゆっくりとした足取りで追い詰める者こそ、折桜裁巳だった。


「これは悲劇ですよ」


 開いた青い和傘――じゃがさと呼ばれる白い円模様が入った傘を肩に立て掛け、裁巳はくるくると回しながら歩く。空いたもう一方の手には、傘の柄よりも太い物を掴んでいた。


 ちぎれた人間の足。

 正確には、目の前を這いずる幽霊の足だ。

 裁巳は男の霊のすぐ後ろまで歩み寄ると、それを照明にかざした。


「こうして透かして見てみれば、オレンジ色。確かに透けているタイプの幽霊は光を拡散しやすいものですけど……まさか真っ赤というのも、出没地点にある『踏切のランプの色』だったなんて。驚きました」


 関心したように言うものの、その言葉の芯は驚くほど冷たい。


「もしかしたらと思って、こうして覗いてみましたけれど……至って普通の霊体ですし。大ハズレですね、これは。あとでなぎさんに文句を言ってやらなくては」


 落胆したように呟き、裁巳は興味のなくなった足を放る。びちゃ、と音を立てて男の前に落ちると、足は急速に朽ち、溶けるように消えてしまった。


「ひぃあああぁ! いやだ、消えたくないぃ!」


 男の霊はさらなる恐慌状態に陥る。その様子がどうにも裁巳のしゃくさわった。


「はあ。あなたさっきから騒ぐばかりですね。最初の威勢はどこへいったんです?」


 人を襲う怨霊にとって、霊感がある人間というのは恰好の獲物だ。霊感が無い者と比べ、霊のエネルギーである『霊力』を多く持つ。そのため、自分のことが見えると気づけば、怨霊はすぐさま取り憑こうとしてくる。


 この男の霊もそうだった。裁巳と目が合うなり、唸り声を上げながら襲いかかってきた。けれど、中身を調べたあとは、その面影もすっかりなくなっていた。

 これではつまらないことこの上ない。


「せめてもう少し骨のある方でしたら他の楽しみ方もあったのに。ああ、憎らしい。八つ裂きに、いえ、十六裂きにでもしましょうか」


 いよいよ我慢ならなくなり、裁巳は指を立ててその切っ先を男の霊に向ける。

 と、


「それボクにちょうだい」


 耳元でささやかれる。少し高い、小さな男の子の声だった。

 けれど、裁巳の近くに誰かがいるわけではない。声は彼女のやや後方。肩に掛けた傘の中から聞こえてきていた。


「どうせけしちゃうなら、ボクがもらったっていいでしょ?」


 甘えるような子供の声に、裁巳はひとつ息を吐く。それから、振り上げていた手をゆっくりと下ろした。


「まったく、仕方ないですね。好きになさい」


「やった!」


 声が言うや否や、傘の奥から何かが飛び出した。

 裁巳の長い髪を掠めるようにして現れたのは――青白い大きな腕。腕は蛇のように蛇行しながら伸びると、一瞬にして霊の身体を鷲掴みにしてしまった。


「――ッ!」


 男の霊は状況が理解できないのか、見開いた目をせわしなく動かしている。何かしら叫んでもいたようだが、口元を指に覆われ内容は聞き取れなかった。

 まるで子供に握り込まれた人形のようだ、と裁巳は思う。


 そして次の瞬間、まさに乱雑に扱われる玩具おもちゃの如く、男の霊は全身を巨大な手のひらに締め上げられた。ぐりゅっ、という妙な音、続けて絶叫がトンネルにこだまする。


 呼応するかのように、辺りの照明も激しく明滅し始めた。

 白い指の隙間から吹き出す血、破裂した腹部から飛び出る管のような何か、それらがコマ送りのように移り変わっていく。

 そして、遂には明かりが完全に落ち――


 オレンジ色の光がトンネルに戻ったときには、裁巳の目の前には何も残っていなかった。悲鳴を上げる男の幽霊も、青白い大きな手も、すべてが嘘のように消え去っている。

 残っていたのは静寂と、心の中の虚しさだけだった。


「はあ。こんなことなら、みんなのカラオケについていけば良かった」


 裁巳は静かに蛇の目傘を閉じる。

 そして、傘を抱えるようにして持つと、優雅に、けれど寂しげに、トンネルの出口に向かって歩き出すのだった。



 これは、折桜裁巳というしとやかで冷徹な“幽霊狩りゴーストハンター”の物語。

 悲鳴を上げるのは映画のか弱いヒロインではなく、数多の魑魅魍魎ちみもうりょうたちの方。


 けれど、悲しいかな。

 この世には幽霊を守る法も、彼女をとがめる決まりも、どこにもないのだ。

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