精神攻撃

 閑静な住宅街の一角に、遠山家の家はあった。

 ダークブラウンで統一された木造二階建ての庭付き5LDK、そこが凪たちの住宅。


 いつものように家の玄関に着けば、凪と悠奈の仲良しタイムは終了する。


 それまで凪と手を繋いでいた悠奈は急に手をパッと離し、「着いたか」と重々しく言ったかと思えば、家の鍵を持っているにも関わらず、家のインターホンを押した。

 正直になれずにいる難しい年頃の悠奈を見て、思春期だな、と凪は思ったが、そんなことは一切口にしない。

 代わりに、凪は「インターホンは押さなくてもいいんじゃないかな……?」と独り言のように疑問をつぶやき、それで少しでも寂しさを紛らわせる。


 しばらくすると、インターホンからノイズとともにハキハキとした女性の声が聞こえた。

 凪と悠奈の母親、遠山亜季とおやまあきの声だ。


「一応聞くけど、あんたたち……鍵はどうしたの?」


 もちろん、この亜季の質問には悠奈が答えた。

 誇らしげに。


「無論、余は今も鍵を所有している! ……しかしな、余は鍵などという薄汚いものには触りたくない。よって、余はインターホンを鳴らした」

「あら、そうだったの? 奇遇ね、あたしも薄汚いインターホンの操作はしたくなかったのよ、今は料理中だったから」


「料理中だったか、それは忙しい」

「でもね、チャイムが鳴ってしまったから、あたしは薄汚いインターホンの操作をしたのよね、わざわざ料理を中断して」


「それは気の毒に。さぞや無念だったはず」

「ええ、無念だわ。無念すぎて、怨念になりそうなのよね」


 なんとなく嫌な予感がしたので、凪は素早くポケットから鍵を取り出し、いつでも使えるようにしておいた。

 そのあいだにも、悠奈と亜季のやり取りは続いていた。


「むっ、怨念とな。母上には心穏やかに過ごしてほしかったが、それも叶わぬのなら、仕方あるまい」

「その通り。たった今、あたしの心穏やかな一人きりの時間は終わりを告げたけど、仕方ないのよね、結局」


 ところで、と悠奈はおもむろに口を開いた。


「自称ではあるが、余の知り合いに面白い除霊師がいてな……そう遠くない未来、彼女の除霊を受けてみるのはどうだろうか」


「……その除霊師さん、まさか中学生?」

「うむ」

「悠奈の同級生?」

「いいや、後輩であるぞ」


「ひょっとして……あんたと同じ中二病?」


 亜季は震える声で悠奈に尋ねた。

 嫌な予感がし、すかさず凪は鍵を構えた。

 凪が鍵を構えると同時、悠奈は力強くうなずいた。


「うむ!」


「…………」

「…………」


「……そうね、夕食どきに帰ってきなさい。悪いけど、それまでは家に帰ってこないでくれるかしら。正直、料理の邪魔よ」

「なんと……くっ、そんな馬鹿な。母上、母上? 余は母上の娘である。ならば、ここを開けるがよい」


「ごめんなさい、悠奈中二病バージョン。あたしのかわいい娘はね、変な一人称やおかしな言動はしないのよ」

「なっ……精神攻撃、だと? 愚か者め。そんな攻撃、余には通じぬぞ」


「さようなら、悠奈中二病バージョン。日の入り頃に帰ってきなさい。……それまでは家に帰ってこないでよね」

「ふっふっふっ……精神攻撃なぞ、余には効かぬ!」


「じゃあね、もう切るわよ」


「えっ、やだっ……え? えっ、お兄ちゃん、どうしよう?

 ――ママ、ママ、ママー! わたしだよ、悠奈だよ……?

 えっ、ごめんなさい、でも開けて!」


 亜季の精神攻撃が効いた悠奈は、個性的な一人称や言動をやめると、そう泣き叫ぶ。

 隣で見ていた凪はというと、笑いをこらえるのに苦労した。

 しばらく素に戻った悠奈を見ていたくて、凪はこっそり鍵をポケットに仕舞った。


 それからほどなくして、玄関ドアは亜季の手によって開かれた。

 高身長の亜季は水色のTシャツの上から桃色のエプロンをつけていて、長い茶髪はヘアゴムで結び、ポニーテールにしていた。

 そんなクールなつり目をしている彼女の目は、今や穏やかではなかった。


「もう、凪ぃ? 鍵嫌いの悠奈はともかく、あんただって鍵を持ってるし、普通に手で持つこともできるじゃない。あんまり妹をいじめないでちょうだいよ」

「えっ、これってぼくが悪いの……?」

「ママ……ママ―!」


 こうして凪と悠奈は遠山家に帰宅した。

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