続・カゲちゃん事件

 教室に入ってきたのは、何かを包み隠すように丸まったハンカチを手に持った美麗だけだった。


 どうして転入生の二人を付き従えず、たった一人で教室に入ってきたのか、そう凪は疑問に思った。

 凪と同じ疑問をクラスメートは抱いたらしく、次々と美麗に向かって転入生に関する質問が飛ぶ。


 だが、今日の美麗はいつもの美麗ではない、ということを凪たちは忘れていた。

 そう、今日の美麗は怪獣。


 教壇に立った美麗は、手に持っていたハンカチを教卓に置き、何も言わずに包んでいたものを公開した。

 それを見た一組の生徒は、皆……静まり返る。

 誰も何も言わない、叫ばない、悲鳴を上げない。


 これがもし、人間の身体の一部なら、誰かしら叫んだり、悲鳴を上げたりもしただろう。

 けれど、“それ”は人間の身体の一部ではなかった。

 それにちゃんと生きていた。


 そう、それは――。

「カゲちゃん……?」

「何も知らぬ者に向けて説明するとしよう。

 ――彼女こそ、カゲちゃんだ。北埜氏が北海道から拾い集めた桜の花びらのひとつにくっついていた忌まわしき存在の……うっ、そんなのただの毛虫ではないか、なぜ奴がここにいる、どうなんだ、遠山氏っ!」

 ただの毛虫、カゲちゃんだった。


 彰人の叫び声で我に返ったのだろう、直後、何人かの女子生徒が悲鳴を上げた。

 中にはパニックに陥る生徒や吐き気を催す生徒もいて、なかなかに教室は混乱してきた。


 やがて、この状況を作った張本人である美麗のいかにも重そうな口が開いた。


「これは今朝、我が校長が昇降口で見つけたものだ。こともあろうに、奴は昇降口にある校長のお気に入りの観葉植物の葉っぱにいてな……かわいそうにも、その葉っぱは奴によって、所々食われていたそうだ」


 そのとき、スッと手を上げた男子生徒がいた。


「なんだ、黒原」

「この事件の犯人は……捕まったのでしょうか、竹原教諭」


 よくもまあいけしゃあしゃあと言えたものだ、そう凪は彰人に確かな殺意を覚えた。


 茶番劇の雰囲気を醸し出しながら、美麗と彰人による会話は続いた。


「いや、まだだ。だがしかし、確かな情報がある」

「ふーむ、その確かな情報では、一体どこの誰が犯人で……?」

「ふん……何を隠そう。いや、ここは何を隠すつもりか、と言うべきか」

「ほう……?」


「そうだ、あたしは犯人を知っている。そう、そして残念なことに……犯人はこの中にいる」

「そうか、やはりな」

「ああ。……さて、本事件の犯人だが、それは――話は終わってない、それにどこへ行くつもりだ、遠山ぁ!」


 決死の逃走も空しく、凪は教室の引き戸の前で美麗に腕をつかまれ、取り押さえられてしまう。


「無念!」


 ではなく――。


「離して、竹原先生……ぼくは何も悪いことをしていないんです、ほんとです!」

「このバカ、嘘をつけ。ここにちゃんと証人がいるんだ、下手な言い逃れはするなっ」


「竹原教諭、彼は嘘をついている。

 彼はとある女子生徒のポーチにいた毛虫を見た瞬間、この犯行を思いついたのですから……遠山凪こそ、この事件の犯人。言い逃れをすることは断じて許してはならない。それだけのことをしたのですぞ、彼は……このにっくき遠山凪は。

 ――ざまあないな、遠山氏。自分がどれほどの罪を犯したか、少しは自覚することだ」


「この……愚か者め! どれほど校長が嘆き悲しんだと思う? 校長の嘆きは、天国よりもずっと高く、地獄よりもずっと深いものと思えっ」


 凪の迫真の無実の訴えも空しく、彰人による糾弾は美麗の怒りに火をつけた。


 朝から一体何をしているのかと、凪は心の底から嘆き悲しんだ。

 きっとその嘆きは……寵愛していた観葉植物を毛虫に食われた校長の嘆きをはるかに超えるものだろう、と凪には分かっていた。


 けれど、凪はこれ以上の反論を美麗にすることはできなかった。

 良かれと思ってやったことが裏目に出て、結果として最悪の事態に陥ったのは、誰がなんて言おうと凪がきっかけを作ったことから始まり、それは凪の落ち度でもあった。

 この事件の犯人、それは遠山凪にほかならない。

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