反撃の時

 だが、と凪は思い直した。

 やられっぱなしでは終われない、そう凪は消えかけていた心の炎に薪をくべる。


 今こそ反撃の時、と凪は覚悟を決めるや否や、美麗の手を振りほどき、美麗の目をキッとにらんではニヒルな笑みを浮かべた。


「……ええ、そうですよ。この事件、ぼくが犯人です」

「はっ……とうとう自白したな。貴様、恥を知れ」

「ですが、ちょっと待ってください、竹原教諭」

「なんだ、遠山。言い訳なら、もうたくさんだぞ」


「いえ、そうではなく……この事件の裏にはもう一人、罪を犯した者がいます。……窃盗、それが彼の犯した罪です」

「窮鼠猫を噛むとは言うが……ほう、窃盗とな」


 美麗の目が鋭くなる。


「彼……一体誰のことか、その下劣な窃盗犯とは」


 彰人は机の上で手を組み、教室にいる男子生徒の誰かが窃盗犯だと疑うように、何度もギョロ目で男子生徒連中をにらみつけていた。

 そんな彰人の様子を見て、凪は話を引き延ばすほうがより愉快だと感じ、教室にいる全員に聞こえるよう、よく通る声で叫んだ。


「このクラスには、ぼくという最悪な愉快犯とは別に……クラスメートである女子のハンカチを盗み、それを実際に使っている変態な男子の窃盗犯がいます」


 それまでは静まり返っていた教室が、この凪の暴露によって不穏な空気になっていた。

 不穏な空気を醸し出すのは、主に女子生徒だが、疑われる側の男子生徒は早くも犯人捜しを始めていた。


 一方の彰人はというと、一見冷静に机の上で手を組んでいるように見えるが、その組んでいる手は宙に浮かび、その表情は生きたまま死んでいるように見えた。


 そんな不穏な教室で唯一、心地よさそうに昼寝をしている奏を見て、凪は心から尊敬した。


「一体誰か、そのかわいそうな窃盗犯とやらは! 見つけ次第、リンチにかけろ」


 だいぶ精神が参っている証拠なのだろうか、そう彰人は叫ぶなり、白目をむいて泡を吹き、机の上に突っ伏した。

 彰人を心配して駆け寄ろうとする猛者だが、残念ながらこのクラスにはいなく、相変わらず教室は殺伐としていた。


 頃合いだ、と察した凪は、教室中に響き渡るような大きい声で叫んだ。


「全員、落ち着いて!

 ……いいですか、よく聞いてください。極悪非道の窃盗犯とは、白目をむいて泡を吹いた彼……黒原彰人くんです」


 凪は気絶した彰人の元へ行き、彼のスラックスのポケットから例の“ブツ”を取り出すと、それを全員が見えるように掲げた。


「遠山くん、それ……っ!」


 出席番号二十七番の氷室彩ひむろあやは、信じられないとばかり、両手で口を押さえた。


 悲鳴、悲鳴……悲鳴。

 瞬く間に、悲鳴が女子の間で伝染した。


 彰人が奪ったハンカチ、それを凪は元の所有者である彩の机の上に置くと、耳を押さえながら、早足で自分の席に戻った。


 悲鳴者続出の中、すべての元凶の美麗は澄まし顔で「……今日はだな、お前たちに転入生を二人紹介する。――二人とも、入ってきていいぞー」と何事もなかったかのようにショートホームルームを始めた。

 さらにこのとき、校舎では一時限目の授業の始まりを告げるチャイムが鳴り響く。


 この状況、いくらなんでも教室に入りづらいのでは、と凪が苦笑していたら、東城高校の制服を着た転入生の二人――スクールバッグを肩に提げた琉歌と裕貴は、堂々と教室に入ってきて、教壇に立った。

 おそらく美麗が書いたのだろう、一体いつの間にか、黒板には白いチョークで転入生二人の名前が大きく書かれていた。


 単純にも、すでに教室の騒ぎは収まっていた。

 男子生徒は皆、琉歌に目を奪われたかのように大きく目を開け、女子生徒は皆、裕貴にハートを奪われたかのように胸を押さえていた。


 この光景を見て、凪は思わず大笑い。

 見ると、すでに奏は昼寝から起きていて、満足げな笑みで腕を組んでいた。


 琉歌、裕貴――ともに自己紹介をした。


「ごきげんよう、みんな~。西倫女子高等学校からの期間限定転入生、青柳琉歌だよっ。よろしくね。

 ――あっ、凪くんに奏ちゃんだぁ、ワ~イ。昨日は楽しかったよ、ありがとねっ」


「きみたち、わたしは喜多裕貴だ。期間限定の転入生といったところだな。

 とまあ、なんだ……言うまでもないが、わたしはクラスメートの北埜奏くんの専属運転手であり、彼女の許嫁だ。

 わたしの許嫁に手を出したり悪さをしたりする輩には、容赦のないゲンコツをお見舞いしなくてはならないのでな……とまあ、奏くんには余計なことをしないほうが身のためだ、諸君。

 何はともあれ、よろしく頼む」


 男子生徒は皆、凪に殺意を向け、おっかないまなざしでにらむ。

 女子生徒は皆、奏に敵意を向け、それでもぎこちなくほほ笑む。


 先ほどまで生徒たちの心は皆、バラバラだったが、この自己紹介により、生徒たちは男女分かれて共通の敵を持ったらしく、合図なしに結託したようだった。


 恐ろしいものだ、と凪は真の意味で殺伐とした教室を見回し、恐怖で体をブルッと震わせた。


 そのとき、コンコンと教室の引き戸を叩く音がした。

 どうやら引き戸を叩いたのは、一時限目の授業を担当する数学教師のようだった。


 美麗は教え子となった琉歌と裕貴にそれぞれ席を教えると、毛虫のいるハンカチを持って、さっさと教室から出た。

 数学教師はおずおずと教室に入ってくると、ぎこちなく数学の授業を始めた。


 昨日は春の嵐に桜の嵐で、今日はなんの嵐だろうか、と凪は数学の授業中、ずっと考えていた。

 そうして思いついたのが、この言葉。

 青春の嵐。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る