思いがけない選曲
本当に奏がここにいることの驚きや戸惑いよりも、凪には気になることがあった。
「なんだか、背中がやけに冷たいんだけど……ぼくの背中、今どうなってる?」
「驚いたわたしによって、ソフトクリームのカップが押し当てられているさ」
「ぼくが何をしたって言うんだ……一体どうして、神はそんなことを許されたのだろう?」
「そんなことはどうだっていいのだよ、きみ。きみは……わたしの十四個めのソフトクリームを台無しにして、どうしたいというのだろう。
わ、わた、わたし、は……いまだにソフトクリームを完食したことがないというのに、今回こそいける! と思った、のに。どう責任を取ってくれるのだね? ソフトクリームの恨みは怖いぞ」
「それを言うなら、食べ物の恨みね」
「……そ、それはつまり、ソフトクリームは食べ物のひとつに入らないと? きみはそう言いたいのかな?」
「とんでもありません、なんでもないです。お許しを」
そのとき、それまで押し当てられていた圧力がなくなった。
見ると、奏の手にはほとんど溶けてしまったソフトクリームが乗っけられたカップが。
「……ソフトクリーム、さぞや無念だろうに」
「わたしのほうが何百倍も無念だ! ……来るがいい。この世の地獄を見せてあげよう」
「ぎょえっ」
今度も凪は奏によって首を鷲掴みにされ、ズリズリ、ズリズリ……。
今日は命日なのかも、と凪は目に涙を浮かべた。
そうして連れていかれたのが、カラオケルーム十七番。
中からは男性の音痴な歌声が聞こえる。
「地獄とは、ここでしょうか、ソフトクリーム姫」
「さあ、入ろうか。――地獄の番犬、ケルベロスが歌をうたっている場所へ」
「場所へ」
「いざゆかん!」
「いざ……ゆかない」
パッと奏は凪の首から手を離した。
咳きこむ凪、カラオケルームを開ける奏。
カラオケルームでは一人の男性が音痴な歌声で、決して面白くもない振り付けをしながら、だいぶ前のヒット曲を歌っていた。
「
「裕貴だ、愚か者め。
……それよりきみたち、早く扉を閉めなさい。あまりわたしの歌声が聞こえては、カラオケルームの前に観客ができてしまうではないか」
そう言って、裕貴は過度にねっとりとした声で歌を再開した。
凪は奏に肩を叩かれ、仕方なくカラオケルームの席、それも裕貴の隣に腰かけた。
「ほら、タンバリンだ」
「はあ」
凪は裕貴からタンバリンを受け取り、無表情のまま、タンバリンを叩く。
「この世の~、愛は~、どこに~……」
「…………」
不意に凪は周りの様子を見た。
凪の右隣には、悲しそうにソフトクリームのカップを放心として見つめる奏。
凪の左隣には、恥ずかしさの欠片もない音痴な歌い方で、この世の愛はどこにあるかを訴えた曲を歌う裕貴。
そんな二人に挟まれながら、無表情でタンバリンを叩く凪。
現状を認識するなり、凪は正気に戻った。
「っと、通報しないと」
凪はタンバリンを机に置くと、スラックスのポケットからスマートフォンを取り出し、さあ通報を、というところで――。
突然、カラオケルームの扉が開かれたかと思えば、そこには琉歌がいた。
「見つけたわよ、変人少女!」
「ぼくもいるよ!」
琉歌が奏しか見ていないことに腹立ち、凪は裕貴がマイクで歌う音量にも負けず、叫んだ。
「にゃむ?」
変人少女の自覚がある奏は、初対面である琉歌からそう呼ばれたことで、驚いた拍子にソフトクリームのカップを凪のほうに放り投げてしまった。
凪の頬にカップが当たり、溶けて液体になったソフトクリームは凪の顔や服にかかった。
ついでに言えば、タンバリンにもソフトクリームの甘い液体がかかり、絶対に触るかものか、と凪は心に固く決めた。
一方、裕貴は一曲歌い終えたようで、マイクを乱暴に机に置くと、「何者だね、きみは」と牙をむく。
それでも琉歌は物怖じしない。
そんな中、次の曲が始まった。
誰の選曲だろうか、たぶん裕貴だろう、と凪はどうでもよく思った。
君が代、国歌斉唱……♪
「何者でもないよ、わたしは――えっ、君が代……? あ、えっと、わたしは青柳琉歌です。西倫女子高等学校の二年生で、凪くんとは幼馴染です」
勢いに乗って名乗ろうと思ったのだろう、けれど君が代がそれを邪魔し、琉歌の視聴率二〇パーセントは狙えそうな名乗りは失敗に終わり、低視聴率続きの夜ドラマのようなただの自己紹介で終わった。
裕貴はうなり声を上げると、目頭を押さえながら、「了解した」と言い、大げさにも聞こえるような大きなため息をついた。
その後、裕貴は奏に向かって「そろそろ我々は撤退しよう」とカラオケから出ることを伝えた。
「あいあいさー」
奏は元気よく答えるなり、片付けもせずにカラオケルームから出た。
「あっ、ちょっと待ってよ」
その奏を追いかけるのは琉歌。
ようやく収束した、そう凪は安堵する。
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