ばれたウソ

 昼休みになると、同級生たちは夏奈さんの席の周りを囲って、彼女にあれこれと訊いていた。

 だがしかし、ぼくがお手洗いから戻ったとき、夏奈さんの周りにいた同級生たちは跡形もなく消え去っていた。


「あれ、きみのファンはどこに行ったの?」


 ぼくは自分の席に座ってから、机に載せたスクールバッグの中身をあさる夏奈さんに声をかけた。


「……ファン?」


 不愉快そうに夏奈さんはこちらをにらみつけたが、すぐにぼくという人物に興味をなくし、再び彼女はスクールバッグの中身を乱暴にあさり始めた。


 なぜかは知らないが、今の夏奈さんはとても機嫌が悪いらしい。


「おい、翔」


 そのとき、ぼくは徹から声をかけられた。


「おれ自身も忘れていたが、昼食後、恋愛反対運動の定例会議を行うから、そのつもりでいてくれ。場所は屋上だ」

「了解!」


 気合いが入ったぼくの返事を聞き、徹は「うむ」と満足そうにうなずいた。

 最後、徹は荒れた様子の夏奈さんを一瞥してから、自分の席に戻っていった。


 ぼくが徹のほうに気を取られていると、いきなり夏奈さんが「ちくしょう!」と声を荒らげたため、たまらずぼくは夏奈さんに目を向けた。

 だが、鋭いまなざしの夏奈さんと目が合ってしまい、あわててぼくは口笛を吹きながら、さりげなくスクールバッグから母が作ってくれた弁当を取り出す。


「いただきます」


 ぼくは弁当箱の蓋を開ける。

 弁当箱の中身を見て、ぼくは「おお」と小さく歓声を上げた。


 見事なまでに、弁当箱の中身は白飯のみで構成されていた。

 梅干しひとつない、真っ白に輝く弁当。

 日の丸弁当ではない。これは白飯弁当だ。


 これはなぜかというと、先週の金曜日、ぼくが弁当を残したまま、家に帰ってきたことによる母からのお仕置きだった。

 なんでも、食事のありがたみを知るためにはこれが一番なのだとか。


「……見ろよ、たまらず白飯も青ざめてやがる」


 ぼくはワイルドに笑うと、弁当箱を口元に寄せ、箸で白飯をかき込んだ。


 これぞ漢の弁当。


「くっ……物足りないぜ」


 そんなことよりも、ぼくが立ちションをしているあいだに、夏奈さんの身に何が起こったのだろうか。


 夏奈さんをよく知る遙香さんはというと、彼女は小暮先生に呼ばれ、二人で職員室に行ってしまった。

 なので、遙香さんに相談することはできなかった。

 だとすれば、このぼくが夏奈さんをなんとかするしかないのか?


 などと白飯を食べながら考えていると、夏奈さんのほうから声がかかった。


「恋愛反対運動って、何? この高校では、そういう反対運動が流行っているわけ?」


 もぐもぐ、ごっく――むぐっ。

 …………。

 ……ふう。

 危うく、盛大にむせるところだった。


 ぼくは喉が落ち着くのを待ってから、夏奈さんのほうに目を向けた。

 先ほどとは違い、今の夏奈さんはこちらを笑顔で見つめるほど、機嫌がよかった。

 まるで別人だ。


「いや、違うよ。文字どおり、恋愛反対運動っていうのは恋愛について反対し、抗議するための反対運動。

 メンバーはぼくを含めて四人しかいないけど、うちは少数精鋭だから、それは大した問題じゃないんだ」


 ぼくが自信満々に言い終えてから少しして、夏奈さんは吹き出した。

 当然、笑われたぼくはいい気分などするはずがなく、むっと顔をしかめた。


 どこが吹き出すほどにおかしかったのだろう。


 けれど、夏奈さんはこちらに謝らず、そのまま「じゃあさ」と話を続けた。


「メンバーには誰がいるの? やっぱり、翔くんの彼女である遙香もメンバーの一人だったりするわけ?」


 そのとき、ぼくは夏奈さんの目の中に純粋ではない“何か”を見た気がした。


 それがどういうものだったのか、ぼくには分からない。

 けれど、純粋ではない“何か”は夏奈さんの目を横切り、それからすぐに影を潜めた。

 ひとつ言えることは、それが不純であり、決してよいものではなかったということだけだ。


 一瞬ではあるが、ぼくは事実を伝えることにためらいを覚えた。

 なぜなら、その事実というものは夏奈さんが期待するものなのか、それとも失望するものなのか、分かりかねたからだ。


 けれど、ぼくはありのままに事実を伝えた。


「いやいや、とんでもない。ぼくの彼女、遙香さんは恋愛反対運動のメンバーではないよ。

 彼女は恋愛反対運動とはなんの関係もない人間だ。

 代表の徹、ぼく、環奈、茜の四人が恋愛反対運動のメンバーで……ほら、みんなとはおととい、ぼくの家で会っただろう?」


 直後、夏奈さんは無表情になる。


 それがあまりに唐突だったため、ぼくは驚くこともできなかった。

 だがこのとき、ぼくは夏奈さんの正体らしきものを知ることができた。


 先ほどから夏奈さんの様子がおかしく見えたのは、彼女が本心を隠しているからだ。

 なぜそうしているのかというと、それはこちらを観察し、ぼくらの事情を知るためだろう。


 しかし、最後の彼女はミスをした。

 それは素の反応が出たことだ。

 なるほど、そう解釈すると、先ほどから続く違和感の説明がつく。


 はっきり言おう。

 ぼくの予想では、夏奈さんは好きなことである人間観察を駆使して、ぼくらの内情を探ろうとしている。


 なぜそんなことをしているのか?

 その答えはひとつしかない。

 ずばり、夏奈さんはぼくらのウソに気付いている――!


「……ふふふ。そういえば翔くんさ、さっきわたしの“ファン”はどこに行ったのか、不思議に思っていたよね。

 実はあれ、みんな購買部に向かったの。そう、わたしの昼食を買うためにね」

「……え?」


 急に夏奈さんはほほ笑むと、ぼくがいぶかしむのも構わず、さらりと話題を変えた。

 まるで、ぼくが夏奈さんの正体を知ったことに気付き、さりげなく自分の正体を隠したかのようだった。


 夏奈さんは人間観察が好きなことだと言っていたが、観察程度でそこまで分かるものなのだろうか。


 こうなると、夏奈さんの前で油断はできない。


 ぼくの中で倉木夏奈という人物の更新が行われた。


 夏奈さんは仕切り直すように、こほんと咳払いをしてから「つまり、こういうこと」と笑顔を絶やさず、人差し指を一本伸ばした。


「昼休みになって気付いたんだけどさ、スクールバッグを探す限り、どうやらわたしのマザーは弁当を作らなかったらしいのよ。

 そしたら、わたしの“ファン”が機転をきかしてくれて、限定品のサンドイッチを買いに行ってくれることになったわけ。

 ちなみに言うと、さっきわたしがスクールバッグをあさっていたのは、ヤケクソですとも、ええ」

「……その“ファン”っていうのは、ぼくへの当て付けか?」


 できるだけ穏やかに言おうと心がけたのだが、それでもぼくの言葉はかなりきついものとなってしまった。


 だが、夏奈さんの表情は明るいままだった。

 もっとも、夏奈さんはぼくの敵意に気付いたのか、彼女の言葉も相当きつかった。


「まあまあ、そうカッカしないで。むしろ、わたしのほうがきみたちの所業に怒りたいくらいだよ。

 だってさ、ウソをついて楽しいのは、小学生までだよね。

 それ以降で楽しいとなると、それはもはや病気しか考えられないじゃん」

「……ウソ、だって?

 いやいやいやいや! すまないけど、きみが何を言っているのか、ぼくにはさっぱりだ。ごめんよ、夏奈さん」


 ぼくは全力で否定し、力なく笑った。

 それはぼくの決意が揺らいだ瞬間だった。


 ぼくが父たちに大見得を切るために使った言葉。

 詩織さんを説得するために使った言葉。

 遙香さんを元気付けるために使った言葉。


 それらの言葉は夏奈さんの前ではなんの力も発揮しないばかりではなく、このぼくに恥をかかせた。

 それらの言葉はマイナスの効果しか発揮しなく、プラスな意味での効果は皆無だった。


 こんなはずではなかった。


 なぜって、ぼくらは遙香さんと夏奈さんに再び友達になってほしかった。

 それがどれほど難しくとも、“愛”というスパイスと“ウソ”という隠し味によって、彼女たちは友達になれると信じていた。


 だが、それらは偽善というものだったらしい。


“愛”というスパイスは料理をわざとらしい味にさせ、“ウソ”という隠し味は料理を台無しにした。


 そう、ぼくらは揃いも揃って、卑怯者で嘘つきの偽善者だったのだ。


「……いや、そうじゃない」


 違う。


“愛”というスパイスは料理の味を引き立たせ、“ウソ”という隠し味は料理の出来をよくしたのだ。


 たとえ、それらを夏奈さんが否定したとしても、決して料理が台無しになることはない。

 なぜなら、ぼくらの思いは本物だからだ。


「ぼくらがきみにウソをついたとしても、ぼくらのきみへの思いは本物だ。それだけは信じてほしい」


 ぼくが真顔でそれを言うと、夏奈さんもまたまじめな顔付きになった。


「ふうん、それがきみたちの答えなんだね」


 夏奈さんはそう言ってから、表情を曇らせた。

 そして、彼女は寂しそうにほほ笑んだ。


「でも、もうどうでもよくなっちゃった。遙香たちがウソをついているかなんて、もうわたしには関係ない。……だって、もう意味ないから」


 嫌な予感。


 ぼくは夏奈さんの目をよく見ながら、今度こそ訊いてみた。


「夏奈さん、それは一体どういうこと?」


 だがその直後、夏奈さんの昼食を買いに行っていた同級生たちが慌ただしく戻ってきた。


 夏奈さんは表情を明るくし、恩人である彼らにお礼を言ったり、笑ったりしていた。


 またもや、ぼくは肝心なことを聞けなかった。


 ぼくは肩を落とすと、再び白飯弁当を食べ始める。

 無論、その味は――。

「……物足りないぜ」

 なのだった。

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