第二の死
授業中、ぼくは何度か夏奈さんと話す機会を得た。
夏奈さんが転入生ということを配慮してか、授業を担当する教師からは何も注意は受けなかった。
その代わり、一部の同級生からは白い目で見られはしたが、背に腹は代えられぬと思い、それについては我慢することにした。
四時限目の授業が始まってから少しして、ぼくはこんなことを夏奈さんに訊かれた。
「人の死ってさ、呼吸停止・心停止・瞳孔散大の三徴候が確認されてから、その人が死んだと認められるじゃない?
臓器移植の目的で行われる法的脳死判定だと、脳全体の機能が失われた状態、全脳死を人の死としているよね。
わたしはさ、それらの死の次には第二の死が訪れると思うわけよ。それがなんだか分かる?」
ぼくは夏奈さんから目を離し、黒板前で授業を進める数学教師の顔色を窺った。
…………。
よし、大丈夫。おそらくではあるが、彼もぼくらを見逃してくれそうだ。
ぼくが数学教師の顔色を窺っているあいだも、夏奈さんはこちらをずっと見つめたままだったのか、ぼくが夏奈さんに視線を戻したとき、彼女はこちらをじっと見つめていた。
なぜだろう、ちょっと気まずい。
「いや、分からないな……見当もつかないよ。で、夏奈さんが提唱する第二の死って?」
本来は学習するための授業時間に何度も夏奈さんと話すと、不安や罪悪感などの感情がつきまとい、自然とぼくの声は小さくなってしまった。
それでも、ぼくの声は夏奈さんに聞こえたのか、彼女は小さくうなずくと、第二の死がどういうものかを語った。
「第二の死っていうのはさ、Aという人間が生きていた証を知る者がいなくなること……つまりはAが生きている姿を見てきた人間がいなくなることだと思うのよ。
だって、Aという人間が生きていた証を知る者がいなくなれば、Aの存在はあやふやになってしまうから。
たとえ、Aという存在がいたことを知らせるものがあっても、それはただの情報に過ぎない。
でも、Aは確かに生きていた。この広い世界で生きていた。ずっとあがいていた。やっぱりあがいていた。
けれど、Aが生きていたという証を知る者は誰もいない。
……人ってさ、なんだかんだ言っても、他人なしでは生きられないんだよ。
他人を見下しながら生きても、最後はきっと自分と同じ人間を頼らざるを得ないんだと思う。
わたしたちがAの死を後世に伝えようとするのは、彼の死と同様、彼の“生”を忘れないようにするためでもあるんだと、わたしは解釈するけど……でもさ、悲しいよね。
数百年後の未来には、Aどころか、わたしたちが生きていた証を知る者はいなくなって、わたしたちも先祖同様、第二の死を迎えてしまう。
だけど、そうしてこの人間の世は続いている。
――翔くん、わたしは死ぬのが怖いよ。この世界で生きてきた証を失うことが、とてつもなく怖い」
夏奈さんは寂しげにほほ笑んだ。
けれど、やはりそれは無理に笑っていたのだろう、すぐに彼女はほほ笑むのをやめ、深刻そうな表情になる。
思わずぼくは息を呑んだ。
だが、驚いている場合ではないことに気付き、あわててぼくは「どうしたの?」と夏奈さんに訊いてみた。
夏奈さんはぼくに向かって、何かを言おうと口を開いた。
ぼくは一言一句も聞き漏らさぬよう、己の精神を研ぎ澄ました。
「翔くん、実はわたし……」
けれど、そのとき。
「こらこら、大浦と倉木。お前たちの仲がいいのは勝手だが、授業中に見つめ合うのはどうかと思うぞ。
大浦の彼女の天野も、これには真っ青だ。
ほらほら、少しはおれの授業に集中せい」
思わぬところで数学教師による邪魔が入り、たまらずぼくは舌打ちをした。
同級生たちのあいだで、どっと笑い声が起こる。
ぼくが複雑な心境で数学教師に返事をすると、隣の夏奈さんも「はぁい」と気怠げに返事をした。
授業再開後、ぼくは未練ありげに夏奈さんをちらりと一瞥したが、もうすでに彼女は元の表情に戻り、先ほどとは打って変わって授業に集中していた。
仕方がない。
ぼくも数学の授業に集中し、夏奈さんが言いかけた言葉を忘れることにした。
こうして、ついにぼくは夏奈さんが言いたかったことを聞けぬまま、四時限目が終わってしまった。
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