二人の暑苦しい教師

 それからしばらくして、ぼくらは奈蔵高等学校の正門をくぐった。


 本当はあきれてはいけないのかもしれないが、遙香さんは教師や同級生の顔を見つけるなり、「実はわたしたち、付き合っているの」とうれしげに教えていた。

 これを聞いた者は誰も彼もが驚き、うさんくさそうにぼくらを(特にぼくを)じろじろと見て、疑わしそうに祝いの言葉を口にした。


 ぼくは先ほどの凄惨な事故(あるいは事件)現場を頭の中から追い出し、遙香さんの隣で苦笑したり、笑ったりしていた。

 それが決して忘れられるもの、忘れていいものではないとしても、ぼくは彼女の隣で無力に笑うことしかできなかった。


 もはや、ぼくらの日常が続く保証はどこにもない。

 それどころか、もう実際に“異変”は起こってしまった。

 それなのにぼくらは何をしようと、今を生きているのか。

 否、それはぼくらにしかできない青春をしようと、今を生きているのだ。


 揺るがないはずだった決意が揺るいだことに、ぼくは動揺した。

 しかし、ハプニングがあってこその青春だということに気付き、ぼくの動揺は収まった。


 そうさ、夏奈さんがぼくらには言えない“秘密”を抱え、ぼくらに“ウソ”をついていたとしても、それは青春の世界では日々当たり前のことなのだ。

 それで一喜一憂することはなんら不思議なことではない。


 それが青春。

 普通の尺度ではかることのできない問題。

 ぼくらにとって、その世界で生きることは成長を意味する。


 そうこう考えていると、ぼくらは生徒の出入りが激しい一号館一階、昇降口にたどり着いた。


 すでにぼくの体は汗まみれで、もうこれ以上の汗は不快なだけだった。

 たとえ、発汗には熱を逃がす機能が備わっているとしても、これ以上の汗はかえって心に毒なだけ。

 そうぼくは結論付けた。


 ハンカチを使って体の汗をぬぐい、昇降口でローファーから上履きに履き替えようとしたそのとき、いきなり遙香さんが「ひひひ」と不気味に笑い出した。


「急にどうしたんだよ」


 ぼくは隣にいる遙香さんに目を移し、彼女のおかしな笑い声に眉をひそめた。


 下を向いて何もせずに笑うところが、なお不気味に映る。


 先ほどとは一転、今度の遙香さんは困ったような表情でぼくを見つめてくる。


「どうしよう……わたしったら、大勢の人にウソをつくことが楽しくなってきちゃった。

 あーあ、せっかくなら翔くんみたいなひ弱で卑怯な男の子なんかじゃなくって、知的で頼りがいのある男の子だったらよかったのになぁ。うーん、残念」

「…………」


 ぼくは遙香さんに地獄へ落ちろというようなジェスチャーを送ると、さっさとローファーから上履きに履き替えた。

 それを見た遙香さんも、あわてて上履きに履き替える。


 まったく、遙香さんが性格ブスとはよく言ったものだ。


 そのとき付近から、ただならぬ敵意を感じた。

 振り向くと、そこには小暮先生と小沢先生が臨戦態勢といった様子で立っていて、ぼくは恐怖を覚えた。


「なるほど、道理でおかしいはずだと思いました。優等生の天野さんが不良の大浦くんなんかと付き合うはずがありませんよね。

 ――大浦くん、先生たちの目をごまかそうとしたって、そうはいきませんよ」

「大浦ぁ、お前も漢だよな? だったら、ここは潔く卑劣漢だということを認め、わしら教師にけじめをつけてみせろ。それが天野を脅した報いというもんだろうよ」

「小沢先生の言うとおりですよ、大浦くん。

 あなたはまだ若い。ええ、そうですとも。若さゆえの過ちとも言いますが、と・に・か・く! 悪に染まるには、まだあなたは若すぎるのです。

 それだというのに、あなたは自ら悪に染まろうとしている。

 そんなあなたの暴走を、このわたしは止めることができるのでしょうか? 否、止めてみせます。

 教え子の暴走を止めることができなくて、何が教師よ。

 さあさあ、大浦くん……バトルよ、バトルをしましょう!」


 小暮先生と小沢先生の二人は、ぼくらに詰め寄ってきた。

 ただでさえ、曇天で湿度が高いのに、こうまでされたら暑苦しくてかなわない。


 そんな暑苦しい二人はぼくらが共犯関係にあるという事実を無視して、ぼくが加害者で遙香さんが被害者だと頭ごなしに決め付けていた。

 どころか、二人はぼくのことを不良や卑劣漢などと呼んでいて、とても教師が口にする言葉とは思えなかった。

 二人はろくでもない教師だが、こんなにもぼくの胸が躍るのはなぜだろうか。


 倒すべき敵は、青春の道を阻む教師。


 よし。


 いざ、ぼくが二人に立ち向かおうとしたとき、みぞおちに痛みが走った。

 一瞬のことで何がなんだか分からなかったが、犯人は隣にいる遙香さんに違いないだろう。


 まるでスローモーションのように、ぼくはその場に崩れ落ちた。


「いえ、違うんですよ、小暮先生に小沢先生。

 わたしたち、この高校に通学する以前から付き合っているんです。

 交際期間は……もう四年は経つかな? ですから、無理やり翔くんと付き合っているわけではないんです」


 ぼくの頭上では遙香さんが口達者に二人を説得していて、正直腹が立った。


 せっかく、このぼくが二人を説得しようと思ったのに、これでは出番がない。

 恐るべし、天野遙香。


「……天野さん、それは本当なの? 今の話は大浦くんの妄想ではなくて?」

「本当ですって、小暮先生。というか初キスなんて、ずいぶん前に済ませましたし」


 担任教師の小暮先生に向かって、平然とウソをつく遙香さん。


 もっとも、それは必ずしもウソとは言えなかったが、とにもかくにもウソはウソだ。


 初キスというみずみずしい言葉を聞き、小暮先生は「初キスですって?」と声高に叫んだ。

 けれど、小暮先生の動揺はすぐに収まった。


 彼女は隣に立つ年長の小沢先生に「小沢先生、どういたしますか」と判断を委ねた。


 しばらくのあいだ、小沢先生はうなっていたが、やがて、

「常識の範囲内での交際ならば、許すほかないだろうよ」

 と、ぼくらの交際(?)を認めた。


 こうして、ぼくらは厄介な教師コンビに別れを告げ、どこまでも続きそうな階段を上り、三階にある二年一組の教室の中に入るのだった。

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