休戦協定
いつものように徹たち三人は、教室後ろの窓際の場所に集まっていた。
いつもと違うのは、その群れの中にイレギュラーな二人――詩織さん、亜門も混じっていたことだ。
彼らの会話と雰囲気から察するに、どうやら徹と亜門は言い争いの真っ最中らしかった。
ぼくと遙香さんはそれぞれスクールバッグを席に置くと、徹たちの元に合流した。
ぼくらが来たことによって、徹と亜門の非難の応酬は途中で終わり、一同の視線はぼくらに注がれた。
ぼくは徹を刺激しないよう、なるべく穏やかな口調を心がけて、彼に何があったのかを訊いてみた。
徹は興奮したように息が荒く、端から見ても冷静とは言い難い様子だった。
「どうもこうもないな、翔。
亜門が茜を利用して、おれたちの情報を聞き出したことにおれは抗議しているのだ。
あとはこいつがおれたちに謝れば、この場は丸く収まるはずだった。
だが、この愚か者は謝りもしなければ、反省することもなく、ただ澄まし顔で自分は正しいことをしたとほざくありさま。
――翔、きっと亜門は人間ではないぞ。おれの想像では、人でなし以下の醜い存在だ。
そんでもって、こいつの前世は人食い鬼に違いない。
む、そうか。道理で、亜門の口からは人の血の臭いがするわけだ」
亜門の前世が人食い鬼かどうかはさておき、状況は把握した。
つまり、こうだ。
おとといの会合が詩織さんや亜門に筒抜けだったのは、亜門が茜を利用し、情報を聞き出したことが原因で、それをなんらかの方法で知った徹は亜門と口論になった……。
ざっとこんなものだろう。
しかし、一番の被害者である茜は状況をよく理解していないのか、自分のために怒っているはずの徹に向かって、「ダメだよ、徹くん。お友達にそんなことを言ったら、不幸になるよ」と非難していた。
この非難の言葉をどう捉えたのか、急に徹は冷静さを取り戻した。
それを見ていた亜門は片眉を上げ、「おや、ようやく癇癪が鎮まったようですね。まだ気分が優れないようでしたら、ぼくがあなたを保健室に連れて行ってもいいですよ」と余裕の笑みで、ライバルである徹にほほ笑む。
そんな亜門の嫌みに対し、徹は鼻で笑った。
「心配無用だ、亜門。おれに寝首をかかれぬよう、常に警戒を怠るなよ。
さもないと、あすにはお前の居場所がなくなるからな」
「上等ですよ、ARC代表」
ただでさえ暑いというのに、この二人はどこまでも熱かった。
「仲直りの握手でもするか?」
「それは寝言ですか、ARC代表?」
「ご冗談を」
「ご冗談を。その言葉はぼくのセリフですよ、ARC代表」
自然と軽口を叩き合う二人にあきれ、ぼくは大きなため息をついた。
そのとき、環奈が両手を叩き、「それで? 元々はわたしたち、休戦協定を結ぶはずではなかったかしら」と驚くべきことを言い出した。
「何、休戦協定だって?
――おい徹、そうなのかよ」
ぼくは半信半疑のまま、徹に確認した。
けれど、確かに徹はうなずいた。
「うむ。そうだ、そうだったな。このおれとしたことが、すっかり失念していた」
口に出すつもりはなかったが、納得がいかなかったので、思わずぼくは「どうして」と小さくつぶやいてしまう。
ぼくのつぶやきが聞こえたのか、それとも最初から説明する気でいたのか、詩織さんは「すべては夏奈さんのためです」とぼくのほうを見ながら、真顔で事情を説明した。
「わたくしたちが敵意をむき出しにして争えば、きっと夏奈さんはわたくしたちを避けてしまうでしょう。すると、それは夏奈さんの心を閉ざしてしまう原因にもなりかねます。
それはなんとしても避けたい事態です。
ですから夏奈さんにとって、この教室が家庭の次になる居場所となるよう、遙香さんとの思い出作りにふさわしい舞台となるよう、わたくしたちは休戦協定を結ぶべきなのです。
――分かりましたか、大浦翔」
とりあえず納得はした。
遙香さんを見ると、彼女も納得したように何度もうなずいていた。
「うん、そうだね。それが夏奈にとって一番の環境なのだと、わたしも思うな。
端から見たら、徹くんと亜門くんの“それ”はシャレにならないもんね。ありがとう、みんな」
徹たちの心遣いに感動したのか、遙香さんの目には涙が浮かんでいた。
徹は咳払いをすると、全員を見回し、それから、
「この場の全員に告げる。
本日より、恋愛反対運動と恋愛反対運動対策委員会の両方は、同じ目的のため、無期限の休戦協定を結び、ともに助け合うことをここに約束したい」
と高らかに宣言した。
ぼくらは徹の宣言に対する反応として、それぞれ力強くうなずいた。
亜門は鼻をすすってから、「これは全員の意志です。全員の意志のおかげで、この休戦協定は結ばれました。どうか、そのことをお忘れなきよう」と最後には徹と握手を交わした。
ぼくらのあいだで巻き起こる拍手。
そのとき、ぼくのすぐそばから人の気配を感じた。
ぼくは拍手をやめ、後ろを振り返ると、そこには勇人がいた。
どういうことか、ぼくら同様に彼も拍手をしていた。
「すばらしい、すばらしい! 宿敵同士が休戦協定を結ぶなんて、これは歴史に残る出来事に違いないですよ。おれ、感動しました。そうですよね、翔さん?」
お前は引っ込んでいろ、とぼくが冷ややかに言おうとしたとき、茜が「ちなみにね、勇人くんにはすべて説明済みだよ」と無邪気な笑顔のまま、重要なことを打ち明けた。
「な、なぜだ!」
ぼくが茜に詰め寄ると、茜は邪気のない顔で「だって勇人くん、なんだか知りたがっていたから」と答えてくれた。
冗談じゃない。
もしも、勇人が夏奈さんにすべてを話してしまったら、一体どうするつもりなのか。
これでは先が思いやられる。
頭が痛い。
ぼくは頭を抱えた。
そんなぼくの心情を知ってか知らでか、勇人は「大丈夫ですって、翔さん。おれ、口は堅いほうですから」と胸を叩いてみせた。
それを見た徹は申し訳なさそうに「すまないな、勇人」と勇人に向かって話し出す。
「勇人には悪いが、お前の力も借りることになりそうだ。頼む、全力でおれたちに協力してくれ」
「任せてくださいよ、徹さん。おれはこう見えて、雰囲気作りには自信があるんです。
人呼んで、雰囲気作りの王! 重要な場面での際には、しっちゃかめっちゃかな雰囲気にしてみせますよ」
勇人の返事を聞いて、思わずぼくはずっこけた。
しっちゃかめっちゃかな雰囲気にしてどうする気だ、勇人。
だが、ぼく以外のメンバーは勇人を快く受け入れていて、なんだかぼくはつまらなかった。
ぼくが勇人をにらんでいると、彼はこちらを見た。
勇人はすべてを見透かしたような笑みで「よろしくです、翔さん」と頭を下げてきた。
ぼくは勇人の人柄のよさにあきれ、思わず苦笑した。
「勝手にしろよな」
そのぼくの声は、自分が思った以上に愛に満ちていた。
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