詐欺師

 午前十時四十五分。


 いざ決戦とばかり、ぼくは意気揚々と家を出た。

 玄関ポーチ付近にとめていた自転車のロックを外すと、ぼくは自転車にまたがりながら、前バスケットにボディバッグを入れ、颯爽と自転車をこぎ出す。


 今頃、遙香さんは「カレス」でみんなの席を確保し終え、ぼくらを待っていることだろう。


 急がねばなるまい。


 炎天下という夏の洗礼を受けたぼくは汗まみれになりながらも、自転車を使って「カレス」まで向かった。

 急いで自転車をこいだおかげで、「カレス」には五分で着いた。


 駐輪場に自転車をとめたところで、ぼくは意外な人物に出会った。

 その人物とは、我が恋愛反対運動の敵、恋愛反対運動対策委員の月山詩織だった。


 詩織さんのほうもぼくがいることに気付いたらしく、彼女は駐輪場から「カレス」に向かおうとする足を止めた。


 謎の沈黙。

 謎の見つめ合い。


「……やあ」


 ぼくは苦し紛れに声を出した。

 すると、詩織さんはぼくがいる場所までずかずかと近寄ってきたかと思えば、ぼくの顔をビシッと指差した。


「誰かと思えば、恋愛反対運動、序列ナンバーツーの大浦翔!

 よくもわたくしの前におめおめと来られたものですわね。あなたの顔を見るだけでも、なんて忌々しいことか。

 ええ、ええ……今すぐにでも、打ち首にしてやりたいですわね。そうですとも、あなたの最後はさらし首で終わるのです」


 狂人の笑みを浮かべたまま、残酷な想像にふける詩織さんを見て、ぼくはげんなりとした。

 思えば、詩織さんと会うときはいつもげんなりとしていた。


「そんな殺生な。きみは現世に蘇った侍か」


 こちらを指差す詩織さんの手をどかしながら、ぼくは彼女にツッコミを入れた。


「この現世に戦が必要であるならば、侍だって蘇らせざるを得ませんね」

「もういいよ、冗談はさ。

 そんなことよりも、なんだって詩織さんがここにいるんだよ。きみが『カレス』になんの用だ?」


 もしもこれで、「もちろん昼食を摂るためです、序列ナンバーツー」などと言われたら、ぼくは詩織さんのことを運命の相手だと認めざるを得ない。


 幸いなことに、ぼくの想像どおりにはならなかった。


「もちろんあなた方、恋愛反対運動を監視するためですよ。

 とある有力な消息筋からの情報を基に、恋愛反対運動対策委員であるこのわたくしが、わざわざこちらまで出向いたのです。当然、昼食はおごってくださいね」


 色々と言いたいことはあったが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。


「まさかきみ、これからぼくたちがする会合の内容を、すでに知っているのか?」

「当然ですとも」


 胸を張って答える詩織さん。


 憎たらしい女め。


「なるほど、きみたちもご苦労なこった」


 ぼくは精一杯の皮肉を込めて、詩織さんに言葉を返した。

 このぼくの皮肉は効果てきめんだったようで、怒りのためか、詩織さんは眉のあたりを痙攣させていた。


 分かりやすい反応をする人だな、とぼくは心の中で苦笑した。

 ぼくが心の中で苦笑しているあいだに、詩織さんの動揺は収まったようだった。


 彼女はこほんと咳払いをすると、ぼくをキッとにらみつけた。


「あなた方がしようとしていることは、詐欺師となんら変わりありません。

 あなた方は夏奈さんをだまし、純粋な心を傷つけようとしている……それをわたくしが黙って見過ごすとでも思っているのですか? この恥知らず!」


 酷い言われようだ。

 けれど、たぶんそれは事実なのだろう。

 それを言われたら、ぼくは何も言えなくなってしまう。


 だが、ぼくは遙香さんの願いをかなえると決めたのだ。

 ならば、ここで言い返すのが道理であり、善でもあるだろう。


「きみに遙香さんと夏奈さんの何が分かる?

 きみは知らないだろうけど、過去に彼女たちは絶交しているんだ。それなのにも関わらず、遙香さんはウソまでつき、夏奈さんとまた友達になろうとしている。事情は知らないけど、夏奈さんはきょうこちらに引っ越してくるそうだ。

 なあ、詩織さん。これは二人が友達になれる絶好のチャンスなんだよ。そんなわけだから、きみはそれを邪魔しないでもらえるかな」


 ぼくなりに強気な態度で挑んだつもりだ。

 この言葉で詩織さんが納得してくれたら、ぼくは快く「カレス」に入れるのだが……さてどうなる。


 この勝負を見ている観客は、太陽ただ一人。

 せっかちな太陽は、早くもぼくらに汗というおひねりを投げてきていた。


 まだ勝負は終わっていないというのに、これは早い。

 早すぎる。


 額から汗が流れ落ちる。


 またも額から汗が流れるが、その汗はぼくの目に入ってしまった。

 たまらずぼくはもだえ、うめき声を上げた。

 タイミング悪くも、そのときに詩織さんが言葉を発した。


「先ほどのわたくしはウソを……いえ、失礼。言葉を言い直します。

 先ほどのわたくしは私情を挟んでしまいました。

 あくまでもわたくしはあなた方を監視する役目で、この『カレス』に足を運んだというのに、先ほどのわたくしは私情のため、『黙って見過ごせない』と言ってしまった。

 わたくしはあなた方を監視する役目以外、何もするなと亜門くんから言われていますので、先ほどの言葉は聞かなかったことにしてください」


 詩織さんは軽く頭を下げた。


 なるほど、恋愛反対運動対策委員長の亜門も、これには一枚噛んでいるのか。


 彼はなかなか頭が切れる男だ。

 それだから会合の情報が漏れたのも、たぶん亜門の仕業だろう。


 もしかすると会合の情報を亜門たちが知ったのは、我が恋愛反対運動の弱点である天然の彼女を利用したからではないだろうか。

 天然の彼女とは、つまり……いや、これ以上は考えないほうがいいだろう。

 というか、考えたくもない。


「分かればいいんだよ」

「……一体、誰があなた方の事情を分かってあげているのですか? 無論、わたくしは分かりませんよ」


 ぼくは詩織さんの言葉を無視して、「さあ、ぼくたちを監視するつもりなら、早いところ『カレス』に入って遙香さんたちと合流しよう。ここは暑くてかなわない」とすぐ近くにある「カレス」を目指し、歩き出す。


「待ちなさい、序列ナンバーツー!」


 あっという間に詩織さんはぼくを追い抜くと、一足先に「カレス」の店内へと入り、入店音を響かせていた。


「…………」


 いいかげん、その「序列ナンバーツー」という呼び方はやめてくれないものだろうか。


 ぼくはため息をつきながら、「カレス」の店内に入った。

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