第2話

 ――最初は、ただの腹いせだった。

 エマの両親はエマが十歳の時に帝都に呼び出され、以降連絡の一つも寄越したことはない。兄のクラウスと二人で暮らしていたが、その頃エマは幼馴染のレオンが作る武器を持ち、義賊の真似事を始めた。悪い奴を懲らしめ、困っている人を助ける。政府も警察も役には立たないとエマは思っていた。義賊としていつか名が知れて、両親がこの街に戻って来ないかと、そんなことを考えていた。

 そうして、十五歳の時。手を出した相手が悪かった。マフィアから金を盗んでスラムでバラまいて家に帰った後、マフィアたちが報復に来たのだ。銃弾がいくつも体を貫き、殴られ、蹴られ、エマはこのまま死ぬのだろうと覚悟をした。そこに、買い物に行っていたクラウスが戻って来て――

 『人間』のエマの記憶はそこまで。目を覚ますと、体が機械になっていた。レオンとレオンの両親がベッドの上のエマを見て、涙を流していた。クラウスはいなかった。クラウスは、自宅で壊れ、修理不可能なほどだったという。兄が本当の兄ではなかったことを理解するのに時間がかかった。だが、納得もあった。自分の記憶にいるクラウスは、幼い頃から姿形が変わらなかったからだ。

 それからは、『機械人間』のエマとして生きることになった。自宅は壊れてもう住めなかった。離れたところで一人で暮らすというエマに、レオンが心配だからと言い、職人街に持つというレオンの工房にエマが居候として住み着くことで二人の生活が再スタートした。以降、エマのメンテナンスはレオンが行っている。義賊は相手にバレないように姿を隠して夜目立たないように行うようになったし、少しばかり大人しく行動するようになったとエマは思っている。


 そんな昔のことを考えながら、ガスマスクをつけ外套を羽織ったエマは新しい自分の右腕を左手でぶらぶらと揺らしていた。ガタン! という音がして、エマは屋根の上から地上に目を向ける。レオンの工房の前に見知らぬ車が停まっていた。すぐにレオンと思しき麻袋が運ばれ、車に投げ込まれ、発進した。エマは右腕を肩にはめると、屋根の上を跳んで車を追いかけた。

 このクリソプレイズは最初小さな町だったと聞いている。技師たちが集まり、どんどん外へ外へと街が拡張されていったお陰で、真っ直ぐな道はほとんどなく、建物も自由に建っていると言っていい。機械にしか興味がなく、建築に興味のなかった人間が作った街だ、仕方がない。そんな街の屋根を自在に跳んで歩けるのは、エマは十八年間この街で育ったからであり、機械の体を持ってからは入り組んだ道より屋根の上の方が開けていて便利なためだった。

 やがて車はクリソプレイズの街を出て行った。一番端の建物の上でエマは足を止める。マスクを外して、エマは走り去る車を見た。


「あっちに街は一つしかないはずだけど……国境を超えてると厄介だな……」


 そう呟いて、エマは一度工房に戻ることにした。

 工房は争った様子も少なく、ほぼいつも通りだった。レオンは大きく抵抗することなく捕まったのだろう。自分と違って戦闘などできない男だ、賢明な判断だった。

 遠出するならば、とエマは一度寝ることにした。脳は自前のものだ、休ませないとパフォーマンスが出せないのは面倒だと思っている。

 翌朝、適当に食べ物を口に入れてエネルギーを補給しながら、シャツとベストの上に長袖の黒い革のジャケットを羽織った。首の金属部分を隠すために赤いマフラーを巻いて、邪魔にならないように後ろで縛る。レオンの予備のゴーグルと壁にかかっているキーを手に取った。工房の片隅にレオンの大型バイクがあった。外に押して出すと、工房の戸締りをする。ゴーグルを目元に下ろし、バイクに跨ると、キーをバイクに差し込む。朝のまだ誰も起きていない時間に、バイクのエンジン音が高く響いた。


「さて、行くか!」



 ブリタニア帝国は複数の島国、大陸の土地を持つ国だ。職人都市クリソプレイズは大陸側の内陸にあった。昔、隣国のグロム共和国、リス共和国と戦って手に入れた土地だった。どちらも大きな国で、隣国同士で三竦み状態だったが、最初に蒸気機関の技術で抜け出したブリタニア帝国が二国を襲撃した。こうして、負けたグロムとリスは土地を割譲することになる。それから、数十年は大きな戦いは起きていない。どの国も蒸気機関の技術向上に忙しいからだ。今は物理的な戦争ではなく、技術でいかに敵国に勝てるかという戦いが起きている。

 今回レオンが連れ去られたのはグロムとの国境にある街ベリネと思われる。ベリネにいなければ、本当にグロムに連れ去られている可能性があるが、国境を超えて人間を連れ去るには無理がある。

 森や草原の中の道を抜け、一時間程のバイク旅行の末、エマはベリネに到着した。何度か来たことはあるが、ここは国境の街だけあって強硬派が多い。ブリタニアの領地を守るためと言いつつ、不穏な動きをしていて隣国に捕まる人間も度々いるという。

 エマは以前世話になった人物の家を訪ねることにした。正直バイクで来たはいいものの、街中を探索するには邪魔でしかない。


「じいさん、ヨーゼフじいさん。生きてるか?」


 目的の家のドアをノックしながら問う。ドアが開くなり、エマの頭上に鉄の杖が降ってきた。


「生きとるわ! 失礼なサイボーグめ!」

「生きてたのか。元気そうで何よりだ」


 ヨーゼフとは薄い髪と口髭は白く、背中は曲がっている、高齢の男だ。鉄の杖を使って歩くことをエマは知っている。家の中から足音が聞こえ、少女が顔を出した。


「まあまあ、おじいちゃん、エマさんじゃないですか! 殴っちゃだめよ!」

「フン、たまに痛みを感じるくらいでちょうどいいんじゃ、この娘は」


 そう言って、ヨーゼフは杖をつきながら家の中へと戻っていく。


「元気そうだな、クレア」

「ええ、おかげさまで! 今日はお一人? レオンさんは?」

「その辺りの話を聞きたくてな。少し話していってもいいか?」

「? ええ、どうぞ」


 クレアは金の長い髪を引く位置で二つにまとめている、エマより少し年下の少女だ。ヨーゼフは昔クリソプレイズで技師をやっていたが、腰を悪くして引退、このベリネにやってきた。それを心配した孫娘のクレアが共に暮らしている。クリソプレイズにいた頃、エマとレオンは揃ってこのヨーゼフに世話になったことがある。両親がいなくて誰も叱る人がいないエマを唯一叱ってくれた人だった。


「で、レオンがいないということは、また一人で義賊の真似事でもしている途中ということか?」


 安楽椅子に座り込み、ヨーゼフが問う。エマはクレアから飲み物を出すと言われて断ったところだった。


「いや、あいつが誘拐されたんで、探してるところだ」

「レオンさんが誘拐!?」


 クレアが驚いて口元を覆った。


「最近、クリソプレイズで技師の行方不明事件が続いててな。あいつも巻き込まれたってわけ」

「ははーん。おまえさん、レオンを囮にしたな?」


 ヨーゼフが言う。エマは口元で笑みを浮かべるだけで答えた。


「愛想を尽かされても知らんぞ……」


 ヨーゼフがため息をついた。


「頭を叩くのが手っ取り早いだろ。それで、最近のこの街の様子を教えてくれ。技師たちは先月から誘拐されている。何か変わったことはあるだろ?」

「変わったこと……おじいちゃん、何かある?」

「フン、わしは外に出んから知らん。クレア、おまえの方が商店街に行くんだから何か気付くことはあるだろう」

「ええ? そうは言ってもねえ……」


 クレアが考え込む。


「この街は相変わらずよ。強硬派が大きな顔をして街を歩いているし、野菜もお肉も高いし……ああ、少し空気が悪くなったかな、クリソプレイズ程じゃないけど。あと地震が少しあるくらい」

「地震? クリソプレイズは揺れてないけど……この辺揺れるような地形じゃないだろ」


 エマが眉を寄せる。


「でも本当なのよ。商店街で買い物をしていると、足元が揺れているのがわかるから」

「地下シェルターか」


 ヨーゼフが呟いた。エマとクレアが顔を向ける。


「地下シェルターがあるのか、この街」

「この街はいつグロム共和国から襲撃があるかわからん。地下シェルターは何十年も前に穴を掘り、鉄の板で塞いだものだ。この街の人間全員が入れるほど広いが、一度も使われたことはない。そこで何かが行われているため、クレアは足元が揺れていると感じておるのだろう」

「本当に揺れてるのよ? まるで工場が動いているみたいに」

「じゃあ、地下に工場があるんだろう」


 ヨーゼフはそこまで話して興味を失ったようだった。エマは二人に礼を言って、ついでにバイクを庭に置かせてもらい、街中へと歩き出した。

 一通り中心部を歩き回るが、地面は確かに揺れている。それ自体がおかしいこと以外に街中におかしなところはなさそうだ。となると、やはりヨーゼフが言っていたように地下に工場か何かがあるのかもしれない。


「地下シェルター? さあ、そんなものもあるって聞いたことはあるけど、どこに入口があるのやら」


 数人に聞き込みをするが、存在は知っていても誰も入口がどこにあるのか知らなかった。国境の街なのに随分と呑気なものだな、とエマは思う。数十年いざこざも起こっていないのなら平和ボケした人間が増えるのも仕方のないことかもしれない。表向きはグロムともリスとも同盟関係を結んでおり、友好的な交流を行っていると聞いている。


「そこのあなた。赤いマフラーのあなたよ」


 考え事をしながら歩いていると、呼び止められた。振り向くと、晴れているのに傘を差した少女が立っていた。黒を基調とした白いフリルとリボンがたくさんついた可愛らしい服。白銀の髪はウェーブがかかり、二つに結んでいた。エマよりも少し年下、クレアくらいの年頃の少女だ。


「あなた、オートマタ? 足音が人間と違うわ」


 エマは目を見開く。そしてその様子を見た少女は、片眉を寄せた。


「あ、違うかも。サイボーグかしら? まあ、どちらでもいいのだけど」

「何か用か」

「ふふ、こちらのセリフよ。この街に何をしに来たの?」

「この街を歩くのはおまえの許可が必要なのか?」


 少女はくすくすと笑う。


「いいえ、そんなことはないけれど。だって、おかしいじゃない。機械は一人で自由にその辺を歩き回るものじゃないわ。人間と一緒じゃないと」

「レプレ」


 声がかかり、少女が振り返る。黒いロングコートを靡かせて、紳士風の男が歩いて来る。


「パパ!」


 レプレと呼ばれた少女が駆け寄った。


「パパ、見て。あの人、機械なのに一人で歩き回っているの。変でしょう?」

「こら、他人を指さすものじゃないよ」


 男が窘める。はあい、と言ってレプレは手を下ろした。


「娘が失礼したようで」

「いや。随分と精巧なオートマタを連れているんだな」


 男とレプレの表情が変わる。エマは表情を変えない。


「なぜ、娘がオートマタだと?」

「簡単だよ。


 嘲笑するエマに、レプレが目を見開いた。男が微笑む。


「……なかなか良い耳をお持ちのようだ。どちらから?」

「クリソプレイズから、人を探しに。……ついでだからあんたにも聞こうかな」

「ほう、何を?」


 男は笑みを崩さない。


「この街の地下シェルター……もとい、地下工場の入口、そしてクリソプレイズから誘拐された技師たちを知っているか?」


 レプレがエマに向かって傘の先端を向けた。男が片手を上げてそれを制する。


「知らない……と言いたいところだが、今のレプレの行動で知っていると言ったようなものか。なぜ私が知っていると思った?」


 男は笑みを消していた。


「そんな人間みたいな喋り方するオートマタはクリソプレイズでも見ないんでな。どこで作ったのかと思っただけだ」

「なるほど。いや、素晴らしい。レプレをオートマタだと見破ったのは君が初めてだ。出来が良すぎるのも考え物だな」


 男はレプレを連れて歩き出す。


「私はベルクマン。知りたいならついて来なさい。もっとも、帰れる保証はないがね」


 背を向けて歩き出す二人に、エマは黙ってついて行った。

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メカニック・トロイメライ 羽山涼 @hyma3ryo

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