6.風の中の人

現在のリュイセント伯は、ディニィの母方の従兄弟にあたる。彼は「グラナドが貴族であるうヴェンロイド男爵の子である場合は支持する。」と言っていたが、ルーミが自分の子と認知してしいたため、事実がどうであれ、エスカーの子であると公には明らかにならない。それを考えると、反対派に属すると言ってもいい。


公式にではないが、リュイセント伯は、ディニィの婿にエスカーを推していたという話だ。


カエフ伯と共にリュイセント伯の家を訪れた時、例の愛人にも会った。貴族至上主義のわりに、ジェーニャより少し年上程度の、庶民的な若い娘だった。ラッシル人らしく、色白の黒髪で、背は高く、標準よりはふっくとしていた。柔らかな話し方をする女性で、身分は小間使いのため、お茶を運んだ後、ほどなく奥にひっこんだ。後でグラナドから聞いた所によると、反対にリュイセント伯爵夫人は、明るい金髪に、小柄でほっそりした方で、かなり勝ち気だという。身分はそれほど高くないが、裕福な地方貴族の娘で、モラルに厳しい土地柄からきた事もあり、宮廷人のモラルに染まったリュイセント伯とは、もともと合わないと言われていた。彼女は、一時は神官を志望した事もあり(素質がなくて諦めたらしいが)、ディニィに似ているグラナドには、やや好意的だったそうだ。


伯爵は、罰が悪そうな顔をしたが、感謝している、と真摯に言い、「ルミナトゥスの息子としてのグラナド」に、礼を述べた。支持に回ってくれるかどうかはわからないが、「内心では、サッシャが即位すると、現在、神官長にふさわしい者がいないので、危惧していた。」


と言っていた。


王宮では、アレクサンドラ女帝に、久しぶりに会った。彼女も俺の顔を見て驚いていた。当然だが、他人のそら似とは思ってないようだ。


これが計画者達の狙いだろうか。確かに、ホプラスに子供がいた、としたら、ルーミとの事はただの噂になり、グラナドの育ての親の経歴としては悪くはない。ただ俺個人としては釈然としない。


仮にホプラスに子供がいるとする。彼は遊ぶタイプではないので、そう仮定した場合、恋人と正式に結婚しなかった理由は何か、という問題が残る。


別れた後で産まれた、としても、生前、噂にすら出なかったのは何故か、など。


俺が考えても仕方がない問題ではあるが。


ただ、昔、一定以上、親しかった者に関しては、グラナドの能力がなくても、わかってしまうようだ。




「二人でどこに行っても、私には静かすぎて、彼には賑やかすぎたのね。」


ラールの屋敷に一晩泊り、朝食は彼女が作った。大きな家だが、それに比べて使用人の数は少ない。昔は、留守番の老婦人が一人いただけだった。


「喧嘩した事は一度もなかった。でもたぶん、いつかは別々の道を行く、と思っていた。最後、ちょうど、皇帝陛下と、狩人族の長老の死が重なった。どちらともなく、私はラッシルに、彼はシイスンに向かったわ。分かれ道を逆に、再会は約束しなかった。道を進んで暫く、そろそろお互いが見えなくなる所で、偶然、同時に振り返って、手を振った。あれが最後だったわ。」


ラールは懐かしげに微笑んでいた。年月は若さを吸いとっていたが、美しさは吸いきれなかった。


彼女の家には、俺達が揃った肖像画があった。全員でこういう絵を残したことはなかったが、そっくりに仕上がっていた。中心にルーミとディニィが座り、ディニィ側にサヤンとユッシ、ルーミ側にラールとキーリが立っている。ディニィの背後にエスカーが立ち、ルーミの背後にはホプラスがよりそっていた。後年のルーミお気に入りの画家ダレールの物だ。現在はラッシルに亡命し、ローデサにいるという。


「宮廷にも似た絵があったでしょ。この絵はルーミがくれたんだけど、宮廷のは、これをもとにして模写した絵なの。


ダレールは、もともとあんたとルーミの風刺画を描いてたんだけど、それが『まるでカンバスの向こうに、もう一つの可能性があるよう。』に生き生きしていたから、ルーミが気に入って。ヘイヤントの、あんたの記念館にも、何枚か、ルーミが描かせたのがあるわ。」


一瞬、二重の意味で心臓が止まった。グラナド、ミルファ、ハバンロは、庭の花を見に行って、ここにはいない。グラナドが聞いてなくて良かった、というのが一つ。


もう一つは、ホプラスの記憶による物だ。ルーミが想い出を大切にしてくれた事が、嬉しかった。


「大使の件は心配ないわ。『病気』なのは本当だから、引き受けられるはずもないのよ。」


それは聞いてなかったので驚いたが、「非公式情報」だという。


「皇帝陛下が亡くなる前の年、いきなり倒れたらしいわ。持ち直したけど、それ以来、たまにだけど、錯乱状態っていうのかしら、今まで笑ってたのが、急に怒って、従者を殴ったり。調度品を壊したり。特に暑いと悪化する。


原因はわからないから、色々言われているけど、公式には熱射病の後遺症になってる。あの年は、これまでにないくらい、暑かったから。」


確かに、ラッシルの夏で耐えきれなくなるのなら、コーデラには出せないと考えるだろう。しかし、コーデラでは夏は、魔法動力の空調を使用する。暑さだけなら解決方法はあるが、目の届かない外国には出せないだろう。錯乱がなくても、独身の皇族に、リュイセント伯のような事をされては、後継者問題になる可能性すらある。


「皇都に帰って、ミルファが産まれた。キーリには連絡しなかったけど、知ってたみたいね。彼が死んだ時、耳飾りと弓が、私とミルファ宛に送られてきた。耳飾りは片方だけ。もう片方は、彼と一緒に埋葬されたわ。」


ラールはただ懐かしげに微笑み、肖像画の前ある、黒い箱を示した。弓と耳飾りが、あの中にある、と言った。弓が入っているにしては、箱が小さかった。


「修理して、ミルファに持たせてやれるくらいの、良い状態なら良かったんだけど。」


キーリの最後は連絡者から聞いていた。彼は、故郷に帰ったものの、もともと俺達の訪れる前に、両親は亡くなっていた。兄弟姉妹はいない。彼は優秀な狩人だったので、長老は、そもそもは孫娘の婿にと考えていたらしい。しかし、彼はラールと何年も旅に出た。


別れて帰郷した時は、婚約者候補だった女性は、すでに他の男性と結婚して、婿が後継者に指命されていた。


狩人族はかつての英雄を粗末にはできず、いきなりの帰還に戸惑った。結局、彼は森の奥で、自然を守って、一人、静かに暮らした。


ある時、モンスターを使う盗賊が、シイスン近郊の、小さな町を襲った。彼らは自警団に追われて、狩人族の土地まで逃げ、そこからチューヤに抜けた。その時、自分達のモンスターを置いていった。その中に、アクアドラゴンの子供がいた。ドラゴンの中ではおとなしいほうだが、人を襲う訓練をしていた上に、人工的に魔力を強化していたため、成長期には「複合体並みに強く」なっていた。


「キーリは、そのモンスターが水属性で、自分は土属性だから、と、一人で倒しに行った、と聞いているわ。


でも、どうなのかしら。倒しに行くならパーティを組んだはずよ。慎重な人だったから。」


「そうだね。最初は偵察、の予定だったのに、行ってみたら暴発寸前のエレメントだった、だから、食い止めたのかもな。」


ラールは、そうね、と言ったきり、そのまま静かに肖像画を見あげた。


ラールの十代の頃の恋人は、危険な偵察に一人で行って死んだ。キーリもよく似たタイプだった。ラールの事だから、後悔はしていないだろうが、彼女は、幸せだっただろうか。


ふと、もし最初の計画通り、ラールとルーミを結婚させていたら、どうだったか、という考えが浮かんだ。


喧嘩はよくしたろうが、なんだかんだ言っても、長く楽しく過ごしたのではないか。仮に別れても、友人付き合いは続き、お互いに行き来して、さっぱりと暮らしたような気がする。


「最後まで一緒ではなかったけど、別に間違ったとは思ってないわ。あんたもでしょ。」


「うん。」


「そう、それがいいのよ。結局は。」


俺はラールと並んで、肖像画を見上げた。死後に描かれたものとは思えないくらい似ている。


そのまま、暫く、庭から段々賑やかになり、三人がしゃべりながら戻ってきた。


「まだまだ先になりそう。期待させて悪かったわ。四季咲きなんだけどね。」


「梅なら堪能させて貰ったぞ。」


「一本の木に白と紅の花は珍しいですな。」


「あ、うん、梅はね。あれは凄く綺麗だけど、薔薇のほうよ。グラナド、好きでしょ。」


そういえば、グラナドの部屋に絵があったな。備え付けだと思ったのだが、彼が選んだものなのか。


「コーデラじゃ四季咲きでも、ここいらじゃ、どうかしらね。」


ラールが声をかけた。グラナドは礼儀正しくお礼を言った。


「転送装置を使うにしても、列車で行くにしても、そろそろ出ないとね。」


「そうですね。ありがとうございました。」


「じゃ、お母さん、暫く留守にするけど。」


「何を言ってるの、あんたは残りなさい。」


俺はラールの言葉に、素で驚いた。ミルファの同行は決まったと思っていたからだ。


「そのこと、昨日も説明したけど…。」


「私も説明したでしょ。あんたはまだ、修行中。グラナド達は、これから大変な道を行くの。足手まといになるだけよ。」


ラールらしい話しぶりだ。しかし、ここでミルファに同行して貰うほうが、計画としては都合がいい。


「足手まといなんて事はないよ。今回、ミルファには助けられた。」


俺は口添えした。しかし、ハバンロは、


「ですが、次に行くところは、南で、遠い上に、ラッシルとはかなり気候が違います。雪道であれば同行してもらいたいですが。」


と、やんわり反対した。グラナドは当然、反対だろう、と思った。しかし、彼の口からは、


「そこをなんとか、お願いできませんか。」


という言葉が飛び出した。


「ゆくゆく遠距離の物理攻撃の得意な仲間と、大盾を持てる仲間を雇わなくちゃいけない、と思ってました。ギルドで雇ってもいいですが、できれば遠距離のほうは、ミルファに頼みたいと思ってましたので。」


ラールは一瞬、言葉に詰まり、


「まあ、グラナドがそういうなら。」


と、消極的にだが、承知した。ミルファは大喜びで、母親に抱きついた。


「いいわね、後衛だから守って貰おうなんて、思わないのよ。背後から、仲間を守るのが、後衛の役目よ。」


そう言って、ラールは、ミルファを送り出した。


俺とラールは、姉弟として、初めて抱擁を交わした。


「また会えて良かった。最後じゃなく、今の、新しくなった、希望に…。」




忘れえぬ人の思い出を噛みしめ、俺たちは、忘れえぬ土地に向かった。


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