5.終幕(五位夫人)
皇帝陛下から、
「コーデラから勇者の子孫が王子の使いとして来ているから、歓迎の宴に、皆、出るように。」
と賜りました。その時は、皆、喜びました。暗い話が続いていたからです。
四位様だけ浮かない様子でした。
彼女は、後宮に残っている女性の中では、一番ヤーイン様を知っているわけですから、当たり前といえば言えます。
四位様は、宴席には出ましたが、勇者の一行を見たとたん、気分が優れない、と下がってしまいました。
理由はわかりました。
ファイスです。
彼は私達を見ても平然としていました。私達の身分はわかっているはずなので、知らぬふりをしていたのでしょう。
皇帝陛下はわかりませんが、六位夫人はファイスを見るなり、私の顔を見ました。気づいたようです。
当のファイスはどこ吹く風で、静かに杯を重ねています。
彼も勇者の一行なのですが、この時の私は、彼が勇者サヤンの息子のハバンロと、神官の女性レイーラの護衛として雇われていると思っていました。護衛の身で飲むのは意外ですが、どうやら、お二人が飲めないので、代わりに飲んでいるようでした。
チューヤの宴会には、コーデラやラッシルのような、出席者同士の踊りはありません。風習もありますが、男性と女性の出席者の数が、そもそも違います。
また、男性は男性だけ、女性は女性だけ、という宴席が大半です。もともと椅子に座る習慣がなく、酒が入ると姿勢が崩れるので、男女の事故を防ぐ意味もあります。皇帝陛下は、「男女が列席する宴会では、椅子を使うように」とお触れを出していました。ですが、酔って椅子から転げ落ちる人が増えたため、「酒を出す場合は、背もたれのある椅子を使うように」とのお触れも追加しました。
今回は、コーデラのお客人を招いた、皇帝陛下主催の男女混合の宴会です。とは言っても、女性は主催者の奥方である私達と、レイーラ様だけです。侍女や舞姫は別です。
やがて「主賓退出」の時刻になりました。主人や奥方、身分の高いお客人は場所を変え奥に、後は本格的に無礼講で、下の者達が広間で楽しみます。
私達は、奥に引っ込みました。
退出したとたん、陛下を呼び止める者がいました。剣は持っていませんでしたが、出で立ちは剣士でした。
「イオ隊長からの…」
といいかけましたが、陛下の後に私達を見つけて、黙りました。
その時、剣士は
「ファイス!」
と叫びました。ファイスも驚いたようです。
「勇者の護衛の色男って、お前だったのか!お前、全然、変わってないな!…でも、確か黒髪と…」
と言ってしまってから、皇帝の前だと思い出したようです。
「…それは俺じゃなくてもう一人の…それはそれとして、相変わらずだな、シュウ。ということは、イオ隊長ってのは、あのイオ様か?」
ファイスは、少し笑っていました。皇帝陛下もです。
シュウ、はよくある名です。ですが、叫んだ時の声は覚えていました。あの、ファイスと共にいた、シュウです。
シュウが答える前に、奥から、ばたばたと足音がし、ユィホウが走って来ました。奥に移るから、四位様に、ご気分がよろしいなら、と、呼びにやったものです。
「四位様がいらっしゃらなくて、侍女も知らなかったようです。みな、慌てております。」
驚きました。いつ出られたかわかりませんが、引っ込んですぐだったとしても、女性、しかも皇帝の側室が外出する時間ではありません。
陛下は、一瞬、確かに驚きましたが、
「ああ、そうだった。レイホーンの所に用事があると言っていた。忘れていたよ。」
とおっしゃいました。
続けて、二位様には、お話がある、と、三位様には、四位が戻るまで、侍女達をなだめてくれ、とお言い付けになりました。
そして、お客様達に、
「イオの手伝いをお願いできますかな。詳しくはシュウから。」
とお頼みなされました。お客様達は、承知しました。
私は、部屋に引き取りましたが、その夜は眠れませんでした。
夜が明けると、きっと、すべてが終わっている、そう思いました。ですが、それは、本当に「終わり」が必要だった人たちには、何ももたらさない終わり方でしょう。
私は全体像などは知りませんが、その事だけはわかりました。
そして、その通りになりました。
私はレイホーン殿には、同情しませんでした。
昔、イーナの好んだ役に、「魔女メイリーナ」という演目がありました。
メイリーナは神の声を聞く聖なる巫女でしたが、上司に当たる聖職者を愛してしまいます。禁断の恋に燃え上がる二人でしたが、男はやがて、別の巫女に心を移します。最初は男から誘惑したのにもかかわらず、です。
最後は、嫉妬に狂ったメイリーナは、恋人と浮気相手、浮気相手の子供ばかりか、自分の子供まで殺してしまいました。彼女一人になったところで、幕が下ります。
正直、脚本は悪かったのですが、第一幕で姉の歌う、恋と呪いの独唱が、素晴らしかったです。姉が死んだ後は、全幕上映は無くなりました。
私は、この話の、メイリーナの恋人が嫌いでした。
レイホーン様には、彼と同じものを感じてしまいました。
ですが、メイリーナの気持ちも理解できませんでした。姉の歌には泣きましたが、脚本だけ見ていると、姉が好んで演じた理由さえわかりません。
ヤーイン様、レイホーン殿、姉のメイリーナ。私は、知りたくても、知るのが恐ろしい、そう考えて身震いしました。
同時に、知らなくてはならない、これを逃せば、知る機会はない、そう思いました。
お客様達が出発される前の日。私は、陛下にお願いし、最後に、お客様と話したい、と申し上げました。
今度の事は、二位様と四位様に関わる事なので、私が知る権利はありません。ですが、私の知りたいことは、おそらくお二人には直接影響しないでしょう。
陛下は、少し考え込んだ末、
「ファイスと、カッシーという婦人をお呼びしよう」とおっしゃいました。そして、こうお続けになりました。
「五位よ、君は、他の者達とは、側室になった経緯や段階といったものが、異なる。だから気になるのだろう、無理もない。もしかしたら、皇后や二位も、君と同じものを感じているかもしれない。」
私などが、皇后や二位様と同じわけはありません。ですが、陛下のおっしゃることも解るような気がいたしました。矛盾した気持ちではありますが。
その日は、かなり涼しゅうございました。私は外宮でなく、内宮の私室で、二人に会いました。私は陛下の計らいから、二人が夫婦なので内宮入りを許可したのだと思いました。
私の問いに、ファイスは、
「そういうお話であれば、ラズーリを連れてきましたが。」
と言いましたが、カッシー夫人が、夫をこづき、
「五位様が仰有りたいのは、別の事よ。」
と笑いました。
カッシー夫人は、こう言いました。
「五位様が御覧になったのは、総て『本当にあったもの』です。ですが、『本当』は、『別の本当』に変わってしまうものなのです。
真っ赤な布地が年月を経て、暗い赤になるかもしれませんし、薄い赤になるかもしれません。もしかしたら、赤の名残なんて、まったくない色に変わってしまうかもしれません。でも、一度は、鮮やかな赤い布だったことには代わりありません。箪笥にしまって、赤いままと思いたい人、色が変わったなりに愛着を持つ人、色が変わってしまったなら、捨ててしまう人もいます。
例えていうなら、二人の間にあったものは、古い赤い布地の、今の姿なのです。」
カッシー夫人は、お分かりですか、とは言いませんでした。
私は、二人に感謝の言葉を述べて、お送りしました。
夕方、遠くから、イーナの愛した歌が聞こえて来ました。
六日後は、イーナの誕生日です。劇場は、事件の影響で、派手な出し物は延期するとの話ですが、街の人々は、こんな前から、歌ってくれています。
私は、久しぶりに、すっきりとしました。
その夜は、よく眠れました。
私は、今も昔も、これから先も、五位として生き、五位として死ぬでしょう。陛下が亡くなれば嘆き悲しみますが、涙の意味は、他の夫人達とは、違うものになるでしょう。
ただ、人の心はうつろいやすい物です。最後にどうなるかは、当事者にもわかりません。
私は期待と諦めと混じりあった、ですがすっきりとした気持ちで、お客人を見送りました。
心の中で、鮮やかやな、赤い布を降りながら。
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