真珠採りの恋
真珠採りの恋(ラール)
*新書の本編「ダイヤモンドの傷」までのネタバレ含みます。
夏が過ぎようとしていた。
ラッシルの夏はただでさえ短いが、今年は冷夏のため、あちこちで夏風邪を引いた、と愚痴が飛び交っていた。
夏風邪の次の話題は、皇都が「エカテリン」から、「アレクサンドラ」に改名になる、という噂が広まり(もちろん噂に過ぎなかったが。)、納めるために、特別委員会ができた事だった。
私も委員に選出されそうになったが、なんとか回避した。さすがにそこまで暇ではない。
だが、それを回避したために、冬の新オペラ座のこけら落としの企画を手伝わされる事になった。
現役ガードを退いてから、こういう役目が増えた。
昨日は劇場から、演目の一覧が送られてきた。オペラとバレエは、新作も上演するが、その原作小説が三冊送られてきた。
どの原作も、長いものはなかったので、一日で二冊読んだ。三冊とも、比較的新しい小説のようだ。
一冊目は昔のチューヤと北方民族の戦いを扱った、「シーア将軍」という歴史小説だった。本当は長大な物語だが、そのうちの「屯田兵の蜂起」の部分になる。この蜂起のあった地域は、現在はラッシル領だ。
見事に男性しか出てこない。これはバレエに選ばれていたが、どんなバレエになるのだろう。
二冊目は、「愛の水晶杯」というファンタジーだ。多神教の世界観で、愛の女神が、「二人で酒を注いで、ほぼ同時に飲めば、永遠の愛が芽生える」魔法の水晶杯を一対作って、人間に与えた。それが、人間界に多大な迷惑をかける。「諷刺小説」とも言える。
諷刺とは言え、一応、冒険もロマンもある。オペラ向きではある。ただ、主人公の剣士のニヒルな性格は、表現しにくいと思う。
最後は、南方を舞台にしたコーデラの冒険小説で、「真珠取りと海賊」とタイトルがついていた。どこかで聞いたような、と最初の数ページを読んだ時、郵便がきて、速達だと言われた。
ミルファからだった。
内容は速達にするほどでもない近況報告だった。
主にリンスクでの事を書いていた。大変な目に遭ったようだ。
シイスンに行く事になった、たぶん狩人族の土地を回る、公式な用事だが、グラナドも一緒だし、心配ない、とあった。暗殺未遂に関しては、あっさり書いてあるだけだった。
暗殺未遂の話も、シイスン行きの話も、女帝陛下から聞いていた。陛下は私より心配していた。私は、シイスン行きについては、十八歳未満の外国人を使うのに、事後承諾なのは引っ掛かったが、一人前だと思って同行させた以上、細かい心配はしていない。
シイスンは初めての土地ではないし、グラナドやラズーリ、ハバンロと言った頼もしい仲間達と一緒、それに、向こうにはサヤンもいる。
グラナドに関しては、「婚約者」として扱って良いか、と陛下に聴かれたが、私はそういう話は聞いていないし、確定した話ではない、と返答した。
グラナドは私にとっても家族のような物だ。だけど、ミルファが幸せになるには、身分が高すぎる。
私の母は、「身分の高い男性の、愛の言葉は信用してはいけない。」と言い残した。父がそういう面はいい加減な人だったから、と聞いている。それをミルファに押し付けるつもりはないが、先を考えると心配だった。昔から二人の様子を見てると、このまま、ずっと一緒にいるのが、自然に思えてしまうならだ。
私は、キーリの、穏やかな笑顔を思い浮かべた。結局は別れてしまったし、その事に後悔はないが、彼と共にした年月にも、後悔はなかった。
まあ細かいことはあるが、なんといっても、ミルファにとっては、今回、父親の故郷深くに、初めて脚を踏み入れる事になる。
さらに手紙には、新しい仲間の事もあった。
リンスクで再開したカッシーという女性(《ミステリアスで綺麗な人。意外と姉御肌。何でも出来るみたい。》)、暗魔法が使えるファイスという男性(《無口てクールだけど、意外に子供好きな所がある。もしかしたら、子供がいるかも。》)。元「潜称者」の姉弟。
《シェードは、ヴォツェク伯爵の真ん中の息子さんに、感じが似てる。グラナドは、ルミナトゥス陛下に似ていると思ってるようだけど、私は違うかな、と思った。濃い綺麗な緑色の目をしてるけど。ラズーリさんも、似てるとは言ってなかった。》
ヴォツェク伯爵の真ん中、「雪の貴公子」とあだ名がついてたわね。ということは、白っぽい金髪に色白で、すらっとした女顔の美形ね。雰囲気のほうなら、明るくて人懐こい感じの。
ミルファがシェードという彼に関心があるようなら、恋が始まってくれないかしら。
《レイーラさんは、ふわっとした、優しい人で、シェードとは血が繋がっていないけど、本当の弟のように思っている、と言っていた。でも、どうもシェードは、レイーラさんを好きみたいで…》
ああ、そういうこと。最初から対象外の出会い、というわけね。
ミルファは、シェードとレイーラの縁で知り合ったメドラ、タラといった、「海賊」仲間の事についても書いてあった。
タラは、コーデラにもラッシルにも、よくある名だ。だが、レイーラ、メドラときて、さっきパラパラと見た、「真珠取りと海賊」を手にした。
南方のとある島。島はヒンダ国の王族で、国王の従兄弟の息子に当たる、サフィロス提督が管理している。提督はまだ若いが立派な人で、皆に慕われていた。
彼の管理する島は、大粒で金色に輝く真珠の産地として有名で、周囲の島はサイヴァ国の支配的な植民地政策下にあるが、唯一、豊かで平和な島だった。
神殿には御神体として、特に大粒の玉だけを集めて作られた、首飾りが祀られていた。
彼は、島で一番の真珠取りレイーラ(真珠取りは女性の仕事だった。)を密かに愛していたが、彼女には、サイヴァに逆らう海賊の首領の、コリンという恋人がいた。
サフィロスの副官のカストールは、平民だが、海洋貿易を一手に担う、裕福な商家の出身で、サフィロスの親友でもある。本国から両親の薦めで、財産はあまりないが、家柄の良い伯爵令嬢シモーネと婚約した。シモーネは島にやって来て、二人は初めて顔を会わせた。だが、彼は、島の神殿の巫女であるメドラと愛し合っていた。巫女は独身が原則のため、これは許されない秘密の恋だった。
サフィロス達は、コリンを捕らえたが、海賊とは言え、実際はサイヴァ国に逆らうレジスタンスのリーダーなので、彼を生かして協力してもらいたいと思っていた。しかし、子供の頃、北の海で海賊に両親を殺されたシモーネは、法に乗っ取って死刑にしてほしい、と婚約者を通じて訴えた。
一方、サフィロスは、レイーラへの恋心と、提督としての責任との板挟みで苦しんでいた。
カストールは、サフィロスに協力するため、メドラに頼み、占いで「処刑するな」とお告げを出して貰おうとした。メドラはレイーラと親友でもあり、実際、今まで彼らを占って、幸福な未来しか出たことはないため、嘘の預言は出来ないが、公開での占いなら、と引き受けた。
しかし、サイヴァ国から賄賂を受け取っていた、首席神官のエレミナースと、カストールの秘書のクラデントルが、「死刑判決を出さないと、カストールが本国に帰ってしまう」とメドラに吹き込んだ。グラデントルは、さらに、嘘の結果を出すようにメドラに言うが、メドラがそれでも毅然と断ったので、エレミナースは、占いを発表する直前に、御神体の真珠の首飾りの紐が切れた、と、不吉感を強調して煽り、メドラが慌てたすきに、結果を記入した紙をすりかえ、預言を偽造して、公の場で死刑宣告を出させた。メドラは、養父のエレミナースの背信に抗議するが、カストールとの仲を気付かれており、逆に脅される。
サフィロスとカストールは陰謀に気づき、いったんコリンを処刑した事にして隠した。サイヴァはリーダーがいなくなったと思い、攻めてきた。
しかし、生きていたコリンと、サフィロス達の活躍により、サイヴァは撃退される。
サイヴァと通じていたグラデントルの陰謀もばれ、彼は本国に帰され、裁かれることになった。エレミナースは逃げたが、島に束の間の平和が戻った。
だが、シモーネは、援軍としてわざと遅れてのこのこやって来た、部隊長ルセントに訴えて、コリンを捕らえてしまう。彼女は、婚約者の不貞には気づいていなかったが、エレミナースの嘘により、サフィロスではなく、婚約者がレイーラを愛していると思っていた。レイーラはコリンのために自分の婚約者を騙している、と信じこんだシモーネは、何とか口実を儲けて、二人とも処刑してしまおうと考えた。
しかし、島の真珠取りの仲間だけでなく、コリンによって解放された群島の民が連合を作って反対した。また戦争になりそうな空気が広がる。
レイーラは、コリンの捕らえられた地下牢にきて、彼を助け出そうとするが、ルセントに捕まる。サフィロスは、とっさにレイーラが自分の婚約者である、と嘘をついて庇う。
王族の結婚式には恩赦がある。カストールは、レイーラに、サフィロスと結婚して、コリンを助けるように薦める。
逃亡したエレミナースが、コリンと対立する立場の海賊達を応援にして、戻ってくる。近くの島を攻撃するが、ルセントは正規軍でもない相手との戦闘を嫌い、出撃を拒否する。
サフィロスは牢からコリンを出し、仲間を率いて戦え、愛する人と共に、と、レイーラを彼の手に返した。
彼等の旅立つ姿を見送るサフィロス。一方、メドラは巫女として必死で呼び掛け、ルセントの部下達に、骨のあるものは島民と共に立ち向かえ、と説得し、成功する。
しかし、部下を取られたルセントは、メドラを殺してしまう。カストールは、メドラを選ばなかった事を後悔して嘆く。メドラは息絶える。
その時ようやく、シモーネは、カストールの恋人が、レイーラではなく、メドラだったと悟る。また、エレミナースが連れてきた連中の中には、北から流れてきた者がいて、その一人は、両親を殺した海賊の一味だった。間接的に仇を助けた事に衝撃を受け、シモーネは自殺してしまう。
サフィロスはルセントを更迭し
、カストールに後を任せ、兵を率いてコリンの応援に向かう。
最後の戦いで敵を完全に敗走させたが、エレミナースの毒矢がサフィロスに当たる。彼は、レイーラ達を祝福し、島の平和をコリンに託し、静かに息を引き取った。
そして十年後、提督代理として島を治めていたカストールは、昇進して本国に帰ることになった。
島は平和的に独立する事になり、新しく長になったコリンの側には、妻のレイーラと、息子のサフィロスがいた。
二人目を妊娠しているレイーラは、今度は女の子がいい、そしたら名前はメドラにする、と、夢見るよう言った。
コリンとカストールは、それを聞き、感慨に耽った。
物語りはそこで終わる。
これは、まだガディナ王妃が存命だった時、コーデラで見た、新作オペラの原作だ。「真珠の島」というタイトルだったが、どちらかと言うと、メドラのドラマに重点があった。
本の間にメモがあり、バレエに「恋する真珠達」、オペラに「海賊の恋」と、二つの原作になる、とあった。
そういえば、最初のオペラ化の時、ラッシルの若手作曲家のラマフも名乗りを上げたが、コーデラの人気作曲家ビザールの物がヒットしたため、諦めた、という話を聞いた。
ラマフは、ようやく念願が叶うと言うところか。バレエも作るとは。
ビザールのものも、ラッシルでは上演された。曲は良かったが演出が不評だった。コーデラで見た物と違い、原作の南国情緒を切り離し、舞台をコーデラに移した演出になっていたからだ。そのため、真珠は南洋の大玉ではなく、コーデラのバイア湖畔の淡水真珠におきかわり、首飾りは細工の見事なティアラになっていた。しかし、歌詞の変更がなかったので、コーデラ語が分かってしまうと、歌はともかく、台詞部分に違和感があった。
また、メドラ役に予定していたプリマドンナが、現代オペラへの出演を嫌がり(ラッシルの歌手はコーデラの歌手と比べ、ふくよかな人が多く、彼女も例外ではなかった。南国風の露出の多目の衣装を嫌がったから、だという。)、新人歌手が抜擢されたが、彼女の声はメドラ役には軽やかすぎ、表現力に難があった。
その新人歌手は、今では堂々としたプリマドンナだ。恐らく、今回はレイーラ役だろう。
こけら落としは、新年になる。その頃には、一度、ミルファも戻るだろう。
委員特権は、良い席を確保出来る事だ。委員会の仕事はまめにこなそう。娘が、「誰か」を連れてきた時のために。
取り合えず、もう一度、真珠取りの恋の物語りを手にとって、進めた。
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