第12回 深夜、死にかけ、トスをする お題:バレーボール

 仕事の終わりの深夜。

 そう、仕事の終わりの深夜である。


 街灯以外に光のない街をトボトボ歩いて、ようやく家にたどり着いた矢先に、古い友人から電話がかかってきた。ちょうど玄関のドアノブに手を掛けた、その時だった。


「バレーしようぜ、桃木公園な」


 それだけ言い放って途切れる通話。返事をする暇もなかった。


 正気かコイツ、と思うのも今に始まったことではない。中学時代のバレーボール部で仲良くなって今でも関係が続いている友人は、有り体に言えば度を超えた変人だった。もう驚くことも減ってきたと思っていたけれどまだまだ度肝を抜かれる。二十代後半に差し掛かっているというのに今でもフリーターで、少し働いて目一杯遊ぶという生活を繰り返しているらしい。まったく羨ましい限りだ。


 俺は玄関の扉を開けると、上着のスーツだけを投げ込んで再び鍵を閉めた。駐輪場から自転車を引っ張り出し、懐かしの桃木公園へとハンドルを向ける。明日も仕事がある身ではあるが……馬鹿みたいな友人の声を聞いたらどうでもよくなってしまった。


 自転車で駆け抜ける静かな深夜の道路は、風が心地良かった。



 桃木公園は、かなり大きな公園だ。一軒家に換算すると、六軒くらいは入る大きさだろうか。休日の昼間なんかはお年寄りがゲートボールを楽しみ、普段から子供達は遊具でワーキャーと楽しげな声を上げている。


 そんな桃木公園だが、深夜にもなると流石にひと気がなくなって寂しく、数本だけ立てられた街灯の光が点滅していてとても不気味だった。そしてその不気味な公園の奥に、バレーボールを弄ぶ男の影が見えた。


「よぉ、来たか」

「仕事終わりで死にかけなんだが」

「相変わらず苦労してんなぁ」


 友人は俺に気が付くと、ボールを掴んでそう言った。中学の頃のジャージ姿に短パン、おおよそ大人とは思えない格好に俺は苦笑した。


「まぁ、運動不足には丁度いいだろ」 


 ポン、と友人がレシーブでボールを飛ばす。こちらに飛んできたボールを俺はトスで返した。暫くの間、その応酬と会話が続いた。


「明日も仕事だってのに」

「やめちまえよ、死にかけるくらいなら」

「そういう訳にはいかない」


 レシーブ、トス。レシーブ、トス。レシーブ、トス。


 トーン、ポス、というバレーボール特有の甲高い音が公園に鳴り響く。それ以外に音がなくて、この世界から俺達以外に誰もいないかのように錯覚してしまう。本当はトスもなるべく音がしない方が良いのだが、まぁ、ただの遊びで気にする程でもないだろう。


「そっちは今どうしてんだ?」

「パン屋で働いてる」

「この前は花屋じゃなかったか?」

「そっちはもう満足した」


 どうやらまた仕事先を変えたらしい。相変わらず変な奴だ。そのフットワークの軽さが羨ましい。とてもじゃないが、俺には真似できない。しかしどうしてそんなに仕事を変えるのだろうか。気になった俺は素直に聞いてみた。


「なんでそんなに仕事先変えるんだ?」


 友人は俺の疑問に、ボールをトスで返した。


「人生一回しかないんだから、色んな仕事体験したほうがいいだろ?」

「なんだそれ。一理……あるのか?」

「知らね、やりたいことやってるだけだし」

「そう……」


 やりたいことが花屋やパン屋だったのか、と友人の意外な一面に驚いて、更に言えば急に眠気が襲ってきて、俺はトスを変な方向にあげてしまった。


「あ」

「あっ」


 ガサリと音を立てて黒い木の中に吸い込まれてしまったバレーボール。俺達二人は目を見合わせてからその木の方向を眺めたままで、馬鹿みたいにしばらく突っ立っていた。


「ごめん、どうする?」

「登るか」

「あぶねぇよバカ」

「深夜だから見えねぇしなぁ」

「スマホは?」

「電話した後に電池切れた。そっちは?」

「上着と一緒に家に置いてきちまったよ」


 そう言って俺達は顔を見合わせて、なぜだか無性におかしくなってお互いに笑いあった。そして良いことを思いついた俺は「なら」と、友人に提案を投げかけてみた。


「次会うときは、アレを取りに行こう。ちゃんとライト持ってな」

「珍しいな、お前がそんなこと言うなんて」

「今回ばかしは俺が悪いからな」


 お互いに肩を竦めて、桃木公園に背を向ける。


「次までにバレーボール残ってっかな」

「子供に取られるかもな」

「そん時はそん時だな」


 俺は自転車に跨った。友人は徒歩で来たみたいで、歩いて帰ろうとしていた。


「……元気がでたよ、ありがとう」

「俺はただバレーボールがしたかっただけだ」


 照れると後頭部を掻く癖は相変わらず治っていないらしい。素直に感謝を受け入れない友人は、やはり変わりなかった。


 その後は特に言葉も交わさず、ただお互いに片手を上げてから別れた。家に帰って寝る準備を済ませてからは、いつもと違って驚くほどグッスリと眠れた。


 そのお陰で次の日の仕事には、ずいぶんと遅刻したのだが。

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