第10回 白昼夢の幽霊 お題:昼間の月


 僕は机の上に投げ出されていた日記を手に取った。何の変哲もない大学ノートだけど、そこにはここ三日の間に僕の身に起きた、不思議な現象について書かれている。


 白昼夢、廃墟、正午、ツキ、地球……。


 読み取れるのはそんな単語ばかりで、何が起こったのかなどはサッパリ理解できない。 何度も読み返してみたが、変わらず内容はどこか他人事で、曖昧で、理不尽だった。きっと誰が読んだって、僕が読み返したって、毒にも薬にもならないだろう。


 それはキチンと現実に起きたハズだけど、全てが過ぎ去ってしまった今、それが現実での出来事だったのかを確かめる方法など一つも残ってはいない。日記に書かれているように、それはただの白昼夢だったのかもしれない。


 だからこの物語は、いや、ただの現象の羅列でしかないこの文字列は、誰の理解の範疇にも収まらないだろう。


 ただ一つわかることがあるならば、僕はきっとナニか致命的なミスを犯した。



 それは僕が大学の午後の講義に出席するために最寄り駅までの道のりを歩いていた、丁度正午のことだった。残暑が尾を引く炎天下の中、フラフラと歩いていた僕は世界がひっくり返ったかのような感覚に陥った。一瞬視界が真っ黒になったと思ったら、急に僕の目の前には廃墟が現れた。


 その廃墟は焼け付いたように黒焦げで、鉄骨のようなものしか残っていない無残な姿をしていた。その黒焦げの鉄骨の向こう側に見える青い空は、不気味な程に雲一つなかった。ただそれだけしかない景色が、そこにあったのだ。


 突然訪れた訳の分からない光景に、僕は慌てて周りを見ようとした。だけど身体や首どころか視点すら動かせないことに気が付き、僕はパニックに陥った。


 ここはどこだ? どうして動けないんだ? 身体の感覚がない? なんなんだこの光景は? この廃墟の倒壊に巻き込まれでもしたのか? 僕は死んだのか?


 疑問が次々と溢れ出すが、それに答えてくれるような人も、生物も、なにもなかった。僕はその時、哀れな程に発狂し続けていた。


「うわああああああっ」


 気がどうにかなりそうだと思った瞬間に、僕は道路に戻った。突然叫び声を上げた僕に奇異の目が集まったけど、内心それどころではなかった。左に付けた腕時計を見ていると、数十分は廃墟にいたハズなのに、一分たりとも針は進んでいなかった。


 僕はしばらく息を上げながらその場に立ち尽くして、思い立ったかのようにコンビニへと駆け込んだ。新しい大学ノートを購入し、駅前のカフェに立ち入ってさっき起こったことを事細かく書くことにした。その時の僕は、それをなにかの天啓かと思った。あの現象は、もしかしたら白昼夢でしかないのかもしれないが、重要な意味を持っていると思って。


 だけど結局、全てはわからず仕舞いだった。そう言えるのは全てが終わってしまった今だからなのだろう。


 その日、僕は大学の講義に遅刻した。



 二日目もまた、丁度正午にソレを見た。午前の講義を終わらせて、帰宅して昼ご飯のコンビニ弁当でも食べようとしていた時だ。日記を見るに、僕はとりあえずソレを白昼夢と呼称することにしたらしい。その時に見た白昼夢も、前日と同じような焦げた廃墟と不気味な程に青い空を映しだしていた。


 本当に突然視界を持っていかれるものだから、少し焦った。だけど発狂するようなことはしなかった。きっと僕はここで何かを掴まなければいけない。そんなようなこと考えていたのだと思う。


 ひとまず動こうとした僕だったが、相変わらず身体も視点も動かない。まるで固定カメラが一点を映しているかのような視界だった。全く訳が分からないが、その時の僕は自分がカメラかなにかになっていると仮定し納得することにした。


 そして次に僕はここはどこなんだろう、と自分の居る場所を推測しようとした。焦げた廃墟になにかないかと目を凝らすが、そこにあるのは黒く、光も反射しない鉄柱だけだった。焦げていなければ文字の一つでも見つけてこの場所を知るヒントにもなっただろうが、そういう訳にもいかないらしい。


 僕は困った。思った以上にこの場所にはなにもないのだ。


 取得できる情報が廃墟と鉄柱と青空しかない。どうしたものかと空に目を向けると、なにか半透明なものが浮かんでるものが見えた直後に、白いものが視界を遮った。


「あれ? 人がいる」


 それは白いワンピースに麦わら帽子を被った少女だった。その長髪は白く、目の瞳は紅い。いわゆる、アルビノだろうか? そんな現実離れしたような少女が唐突に現れ、俺は目を見開いた。


(き、君は……?)

「あ、しゃべった。珍しいね、お兄さん」


 俺はそれを言葉にしたのだろうか。声が出ないのだから聞こえるはずがないのだが、どういう訳か少女は俺の言葉を理解したらしい。少女はワンピースを抑えるようにしゃがんで、俺を覗き込んだ。


(君の名前は……?)

「私? 私は、ツキ」


 ツキと名乗った少女は。そう言ってニコリと笑みを浮かべた。彼女の不思議な雰囲気がそうさせるのか、僕は思うがままに彼女に質問を投げかけていた。


(ツキちゃんは、ここがどこだか知ってる?)

「なに言ってるのお兄さん、ここは地球でしょ?」

(それは、そうなんだけど)


 場所を聞きたかったのだけれど、彼女がつまらなそうな顔をするから仕方ない。僕は操られるように質問を繰り返した。


(ツキちゃんは、なにをしていたの?)

「昨日ここで声がしたから、様子を見に来たの。お兄さんだったんだね、あの叫び声」

(聞こえたんだ……)

「うん、バッチリ」

(自分が情けないよ)

「ふふ、面白いね。お兄さん……あぁ、そっか」


 そう言って彼女は僕の頬部分に手を当てる。やはりこの場合では僕はカメラにでもなっているのか、彼女の体温と感触を確かめることはできなかった。彼女は少し目を細めると、僕にこう言った。


「ねぇ、お兄さん。周りを見てみたい?」

(……え?)

「この廃墟の周りが、どうなっているか」

(……うん、見たい)

「そっか。じゃあ、また明日ね」


 彼女はそっと僕の視界を隠した。その日の白昼夢はそれでお終いだった。



 三日目になった。これが最後の白昼夢となる。まるで熱に浮かされたようなまま道路を歩いていた時に白昼夢は訪れた。丁度正午のことだった。


 相変わらずの焦げた廃墟と青空だけの景色だが、その端っこには彼女が居た。白い髪に白いワンピース、間違いなくツキだ。彼女がいるだけで、この白昼夢はどこか彩られたような気持ちになる。僕は(おーい)と声を掛けた。


「あ、お兄さん。来たんだね」

(どうやって来ているのか、わかってないけど……まぁ、うん)

「今日は約束通り、見せるね」

(お願いするよ。どういう訳か、僕は動けないから)

「……お兄さん、やっぱり面白いね」


 そんなやり取りをしながら、彼女は俺を持ちあげる。彼女の細い身体が映って、くるりと視界を回されて僕はついにその世界の全容を見た。


(なに? これ?)

「近い未来の地球だよ」


 彼女の胸のあたりから見た世界の光景は、地平線まで続く一面の黒だった。不気味な程に青い空と、その下に続く焦げた鉄柱達……いままで見てきた景色が、地平線の彼方にまで続いている。それを彼女は「未来の地球」と言う。


「お兄さんは間違えたんだよ。私を突き放すべきだったの」

(なにを、言って)

「私のせいで、こうなったんだよ?」

(なにを言って?)


 ここからの日記の内容は、もう支離滅裂だった。彼女と交わしたであろう会話がそのまま殴り書きされている。今の僕も、その時の僕も、彼女の言葉を理解したくなかったのかもしれない。


「私は、ツキ」

(ツキちゃん?)

「あなたに、引かれたの」

(引かれた?)

「そうでしょう? ウミさん」

(どうして僕の名前を?)

「やがてあなたに辿り着くわ」

(何を言っているんだ?)


 最後に彼女は、僕を瞳にくっつきそうな程に寄せて、白昼夢での僕を見せてくれた。


「面白い人」


 深紅の瞳に映った僕の姿は、黒く焦げたしゃれこうべのようだった。



 この日記は、やはり何度読んでも理解ができない。彼女が何者で、僕が何をしたのか。それを確かめる術はもうない。あれ以降、白昼夢はなくなってしまったのだ。


 三日ほど変な気分で過ごしていたが、白昼夢がなくなってからは結局いつもの日々に戻った。僕は昼ご飯を買いに、薄暗い家を出た。晴天の空には、雲一つない。ここ最近はずっとそんな空だった。


 一つ不思議だと思ったのは、この真昼の空に、幽霊みたいに半透明な月が、いつもより大きく浮かんでいたことだ。

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