第9回 仮想空間ニコチンドライブライフ お題:VR上での喫煙

 路上喫煙はクソである。吐き出される煙は周囲の人間の肺に害を及ぼすし、そういう輩の大抵は吸い殻をそのままポイ捨てしたりする。なにより臭いしね。


 俺が煙草を嫌う理由の一端を担っているそんな路上喫煙だが、よくよく考えてみれば悪いのは喫煙をする人間の方にあって、煙草自体には全く罪がないと気が付いたのは、最近買ったVRゲームの中で煙草を吸う機会があったからだった。


 そのゲームはドライブゲームだと言うのに無駄に細かいところに凝っており、ゲーム開始地点にある一軒家の庭先には灰皿スタンドとライター、そして煙草が置かれていた。ふと思い立って煙草を箱から取り出し、ライターを着火し煙草に火をつけて吸ってみたところ、俺の胸に言いようのない高揚感が溢れだしたことを印象強く覚えている。


 そもそも俺は体質的に煙草が吸えない。遺伝もあるが単純に肺が貧弱な俺は生涯煙草の良さを知ることはないのだろうと思っていた。というかそもそも嫌いだしね。臭いし。


 がしかし、VR上で煙草を吸ってみるとホホホ、これまたなんと素晴らしい。臭いもなければ肺に害を及ぼすこともない。煙草の味は元々知らないからわからないが、この吸っている感覚だけでも満たされるものがありそうだ。映画でみた煙草を吸うワンシーンを想像しながらダンディに格好付けて煙草を吸うのは中々に楽しいものがあった。もしかしたら本当は、心のどこかで煙草を吸ってみたいという欲求があったのかもしれない───そんなことを想いながら、俺は煙草への認識を改めた。


 それが二週間のことである。


 すっかり味を占めた俺は、今では車を運転しながら煙草を吸うようになってしまった。無論VRゲーム上でのみ、でだが。それでもサングラスを掛けてハンドルを握る手は左手だけに、煙草を持った右手を常に車外に出している姿はあまり褒められたものではないだろう。よく一緒にVRゲームをしている友人─ヘビースモーカー─からは「ようやく堕ちたか」なんて言われたほどだ。


 今日も煙草を片手にブイブイと車のエンジンを吹かせていると、ドライブ終わりに連れていた友人から「いい情報があるんだ」と声を掛けられた。サングラスにアロハシャツ、金髪にチャラチャラしたアクセサリーを身にまとったりと、まるで映画の役を熟すかのような彼に、俺は笑いながらも格好を付けて答えた。


「話を聞こうか」

「実は別のVRゲームでも煙草を吸えるようになるモジュールがあるらしい」

「なんだと」


 少々怪しいとある販売サイトで購入できるソレは、なんと彼の言葉通り他のVRゲームでも煙草を吸えるようになる代物らしい。別のVRゲームをしている時にふと口元が寂しくなるような感覚を覚えていた俺にとって、友人の情報はまさに寝耳に水であった。値段が少々気になるが、覚えておいて損はないだろう。俺はその代物をメモに書き残した。


「しかしやっぱり、VRでの喫煙はいいな。無限に吸える」


 友人は車に寄りかかりながら、夜のテクスチャが張られた空を見上げてそう言った。俺は同意するように頷いた。


「税金を納める必要もなければ、身体をボロボロにすることもねぇ」

「そうだな。金が掛からないのは最高だ」

「ったく、こっちは税金払って死にに行ってるんだぞ? 値上げとかふざけんじゃねぇよ」

「また値上げするんだったか。大変そうだな、喫煙者は」

「他人事に言ってくれるじゃねぇの」

「じっさい他人事だからな」

「羨ましいぜ」

「……羨ましいといえば、実際のタバコって味あるんだろ? VRだとそこら辺どうなんだ?」

「味ィ? まぁ、しないのはちょっとばかし気になるが……フーッ、この感覚だけで吸った気分になれるからイイ」


 なんの取り留めのない話だが、後になって重要な意味を孕むことになるとは、その時の俺は想像もできなかった。まぁできるわけもないだろう。



 友人とVRテニスゲームで一試合を終えると、俺の身体は自然に煙草を吸うようなしぐさをした。そして手に煙草を持っていないことに驚いて、落胆。もう何度目になるのだろうか、同じようなことを繰り返している自分に呆れて笑いがこぼれた。


「この前お前がいってた別ゲームでも煙草が吸えるやつ、買えばよかった」


 そう呟く俺に友人は「そういえば」と、何もない空間から煙草を取り出した。


「これ。結構稼いでいたらしいんだけど、作者が脱税で捕まったらしくて販売停止になったぞ」

「はぁ?」

「煙草買う金欲しさについ、って言ってたらしい」


 ジュポ、とライターの火を煙草に移す友人。しばらくの間、俺達の間には沈黙が訪れた。


「煙草吸いたくて脱税しちゃ訳ねぇだろ……」

「まぁ別ゲーで煙草吸うのもあんまよくなかったから、いいんじゃないか? 俺とかこの前このゲームでマッチングした相手に煙草やめてくださいなんて言われたし。お前以外の前じゃもう吸えねーよ」


 そう言って友人は煙を吐き出す。確かに現実でも、喫煙所以外での喫煙は嫌われている。というかそもそも俺が煙草を嫌いでいた一因であった。ゲーム上だし、とも思っていたが、もしかしたらVRでもそれは同じなのかもしれない。危うく路上喫煙と同類になるところだった。なんともまぁ複雑な気分だ。


 ひとまず俺がVR上で煙草を吸うのは、件のドライブゲームのみで収まることとなった。



 程なくしてその喫煙モジュールはほとんどのVRゲームにて使用が不可能になった。製作者の逮捕もあるが、元から改造一歩手前のような処理をしていたらしく、それはまずいと対策は早急に行われた。友人は試合の後に一服できなくなった、と嘆いていたが、やがて試合後に現実の方で煙草を吸うことを覚えたらしい。本末転倒である。


 しかし自分も気が付かぬ間に随分と呑まれていた。煙草とは恐ろしいものだ。やはりこういったものは用法用量を守って程々にした方がいいのだろう。わかっていながらもそれが止められないのは、人間の性か。


 そんな役にも立たないことを考えながら、今日も今日とて仕事終わりのVRドライブを敢行する。両手はハンドルに、煙草を口に咥えて。ブンブンとエンジンを唸らせて進むアスファルトは、今日も元気にタイヤに打ち付けられていた。

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