第8回 幻罪 お題:大学時代のこっぴどく振られた二回目の失恋
「……せんぱいが見ているのは、わたしじゃないですよね」
「えっ」
半年ほど仲良くしていた後輩からの、事実上の破局宣言である。間抜けに開いたままの口は思わず固まった。
「せんぱいは誰を見ているんですか? 誰に告白しているんですか?」
「君……だけど」
俺の言葉に、彼女はわざとらしくため息を漏らした。
「最初はちょっといいかな、とかわたしも思いましたけど、段々わかるようになりました。せんぱいは、わたしを見ていませんでしたよね、ずっと。よく……告白なんかできましたね」
もう金輪際関わらないでください、と立ち去る後輩に、俺は何の言葉も掛けることができずに撃沈した。
そこは大学内でも有名な告白スポットだった。一本の大樹を中心に芝生が勢いよく広がっており、その隣には丁度二人ほどがギリギリ座れる木製のベンチがある。そのベンチは告白後にお互いの体温を感じ合うために作られた、なんて噂が大学内では流行しているが、終ぞ使う機会など訪れなかった。
その中庭の外れにある告白スポットで、「そこで告白すれば恋が成熟すること間違いなし」という先輩から聞いた与太話を馬鹿みたいに信じた挙句こっぴどく振られ、離れたところで様子を見ていた友人二人に哀れみの目と慰めの言葉をかけられながらもショックで立ち尽くしたまま動けないでいた男が───つまるところ俺だった。
後から聞いた話だが無様に立ち尽くす姿はまるで年季の入った案山子のようだったという。
「結果は……聞くまでもないみたいだな」
「お前なんて言われたんだよ……」
友人達の言葉に真っ白になっていた頭が徐々に回りだす。なんとか声を絞り出したが、それは絶え絶えだった。
「先輩は、わたしを……見てませんよね、って。誰を……見てるんですかって。か、関わらないでください……って」
「うわ、ひっでぇ。そんなこと言われたら俺死ぬわ」
「いやでも……後輩ちゃんの言葉聞くにお前にも原因あるくね……?」
後輩とは、随分と仲良くしてきたつもりだ。ばったり電車で会って一緒に大学に行ったり、彼女が降りる駅まで見送ったり、二人で遊びに行ったり。それなりにいい雰囲気だったと思っていた。だというのに結果はこの様。俺はそんな現実を受け入れられず、事実確認を二人に投げかけた。
「お、俺の恋は……終わっちゃったってコト!?」
「うん」
「残念ながら」
無情に突き付けられた言葉に俺は遂に涙した。見兼ねた友人たちはその日、午後の講義をサボってまで俺をカラオケに連れて行ってくれた。そして朝になるまで歌い続けて喉を潰した。失恋した男は馬鹿であったがその友人二人も馬鹿であった。馬鹿ながらも馬鹿なりの優しい気遣いに、俺は更に涙した。
ただし一つ間違いがあったとするならば、振られた理由をこれっぽっちも考えなかったところだろう。
おかしいな、前まではそういう大切な事をキチンと教えてくれる奴がいたハズなのに。
◇
朝帰りのファミレスに入ると、店内には見知った顔が客席に座っていた。俺にホラを吹き込んだ先輩と、件の後輩である。先輩は俺に気が付くと、「おーい」と言って手招きした。後輩はというと、俺をチラリと見た後はまるで存在を無視するかのように視線を外していた。やはり俺の恋は終わっているらしい。
「聞いたよ君。随分と派手に振られたんだってね? 大学内で噂になってたよ?」
「えぇ……なんすかそれ」
どういう訳か大学内で噂になるほどになっているらしい。そして俺の声を聞いた先輩は少し驚いた表情を見せた後、ケラケラと笑った。
「声ガラガラじゃん」
「カラオケ行ってたんで」
「あの馬鹿二人なら連れていきそうだなぁ」
と、彼女はそう言って、ガラスコップに入れたコーヒーをストローで啜った。どこか納得した表情なのは、友人二人のことをよく知っているからなのだろうか。
「というか普通呼びます? この子が居るのに」
そして俺はそもそもの疑問を彼女に投げかけた。関わらないでください、と言った後輩がそこにいるのだ。ファミレスで二人で居たということは先輩も後輩からどんな振り方をしたかくらいは聞いたはずだろう。ならば呼ぶ方がどうかしている。
「まぁいいじゃない。別に嫌いになった訳じゃないんでしょ?」
「彼女に関わらないでください、って言われたんですけど」
「それは言葉の誤りだよ。ね、後輩ちゃん」
そう言って先輩は後輩に返事を促す。長い沈黙の後に帰ってきたのは、肯定の言葉だった。
「まぁ……はい。ちょっと言い過ぎました。ごめんなさい」
その言葉にホッと胸のつかえが取れたような気持ちになる。だけど彼女は「でも」と俺を見据えた。
「せんぱいとお付き合いするのは、やっぱり無理です」
「……そっか」
長時間見つめ合っていると先輩が「まぁとりあえず座りなよ」と自分の席の隣を叩いた。俺は少し迷った後に、ゆっくりとそこに座った。しばらく会話らしい会話は訪れなかった。
「ねぇ、付き合うのが無理な理由……聞いてもいいかな」
意を決してした俺の疑問に、彼女は「本当にわからないんですか?」と首を捻った。
「うん。ごめん」
「じゃあ言いますけど……せんぱいは、誰かをわたしと重ねてみてます。わたしの中にわたしじゃない誰かを見ています」
「そんなことは……」
「あります。わたしが好きな食べ物はチョコレートパフェです。好きなアクセサリーはネックレスです。せんぱいは、わたしになにをくれましたか?」
そう言われて、過去の思い出を振り返る。たまに彼女にプレゼントを送ったことがあるが、それらは確かに───
「わたしが好きな食べ物はチョコレートケーキではありませんし、好きなアクセサリーは髪留めじゃありません。違うんですよ、少しずつ」
違っていた。そうだ、彼女がプレゼントを開けた時、一瞬だけ困ったような表情をしていた。てっきり自分の気のせいかと思っていたけれど……本当に困っていたんだ、彼女は。
「もう一度聞きます。せんぱいは……誰を見ているんですか?」
「……」
俺は答えられない。本当にわからない。どうして俺は彼女の好きなものを間違えたりなんかしたんだろう? そもそも誰を重ねて見ているんだろう?
後ろ髪は短いのに前髪を長くしているせいでよく髪をかき分けたり、身長が低いのを気にして背伸びしようとしたり、困ったりわからないことがあると可愛げに首を傾げる癖とか笑うとお腹を抑える癖だとか、そういう何気ない仕草が可愛らしくて好きに───仕草?
「あのさ、話遮るけど」
先輩は俺の長考を止めるように、肘を着いて何気なく疑問を口にした。
「もしかして君って、初恋の人とか、いる?」
「初恋? まぁ……」
人間生きていれば誰しも初恋の人はいるだろう。友人二人は幼稚園の先生だったり同級生の女の子だったなんて口にしていた。初恋、つまり幼い頃の恋なんてものはあやふやだから、どうしてそんなことを先輩が聞いてくるかが不思議だった。
「それって、誰?」
姿勢や声色に反して彼女の視線は真面目に訴えかけて来ているように思えた。それは後輩も同様のようで、俺は少し狼狽えながらも正直に答えた。
「幼馴染ですけど」
昔は将来幼馴染と結婚する、なんて馬鹿なことを口にしていたらしい。幼馴染もまんざらではなかった、と親からは聞いている。だけど結局は普通に育って、馬鹿やって、そして───
「あぁ、そうか」
そういうことか、と納得する。
「君に幼馴染を、重ねていたのか」
幼馴染はチョコレートケーキが好きだった。綺麗な髪留めが好きだった。後輩にそっくりだった。その仕草も表情も。そんなことすら忘れていた自分の愚かさに、自己嫌悪が胸の奥からジクジクと溢れだす。後輩にだって申し訳ない。幼馴染にだって申し訳ない。俺はいつの間に、彼女のことを忘れてしまったんだ?
「なるほどねぇ」
「せんぱい、その幼馴染さんは……今どこに?」
後輩の言葉に、俺は答えた。そうしなければ許されないような気がした。
「二年前に、死んだよ。俺が大学に入学してすぐだった」
二個年下の、ちょうど後輩と同い年の幼馴染は事故でこの世を去ってしまった。それを受け入れられずに漠然と過ごして、その間に色んなことを忘れていって、幼馴染とそっくりの後輩を見て一目惚れとは……我ながら馬鹿げた話だ。
俺の告白に女性陣二人は言葉を失ったようだった。いっそ責めてくれた方が楽だったのに。でも悪いのは俺だ。そもそも最初から彼女に告白なんかしなければよかったのだ。
◇
結局俺はファミレスで何も頼まず、何も飲まずに、何の解決も進展も求めずに外に出た。 恨めしいほどの太陽は、徹夜明けの身体には鞭を打つようだった。
それでいいと、俺は思う。
これは彼女を忘れていた、押し付けていた、重ねていた、自分への罰なのだ。
あぁ、彼女が俺を否定してくれてよかった。心の底からそう思う。
彼女のことを忘れたままだったら、きっと後悔していた。今も後悔しているけれども、今よりもきっと、もっと後悔していた。
これからどう生きようか、と俺は自分に質問を投げかけた。
それに対して俺は、罪を背負い続けろと囁いた。
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