第7回 灰と青 お題:鳥


 世界は灰色だった。


 自立AIによる徹底された管理社会。反旗を翻した人類のレジスタンス。

 それによって起きた、人類とAIの大規模世界戦争。


 二十年にも及ぶ苛烈なまでの生存競争は、その相手だけでなく地球環境をも破壊した。


 レジスタンス率いる人類代表の彼が見上げた空は、どうしようもなく灰色だった。



「どこをほっつき歩いていると思ったらここにいたのか、リーダー」

「もう戦争は終わったんだ。リーダーはやめてくれよドクター」


 高層ビルや家屋が崩壊し、灰と炭で黒く染まった瓦礫の上で、リーダーと呼ばれた彼は大の字で寝そべっていた。その短髪や無精ひげは手入れされておらず、緑の迷彩軍服は汚れ切って所々が炭で黒くなっている。まるで全身の力を抜いているようにしている四十代後半の男は、ただぼうっと空を眺めていた。そこにふらりと現れた白衣を着た長身の女性──ドクターと呼ばれた彼女──は、眼鏡の位置を直してからポケットに手を突っ込んで彼の隣に腰を下ろした。


「地球は終わりだな」


 彼女は彼と同じように空を見上げて、ポツリと呟いた。事実、もう何十発と撃たれた核爆弾によって空には分厚い灰色の雲が覆い、もう何年も太陽はその姿を見せていなかった。更に戦争の災禍によって人間以外の生物は死に絶えていた。少なくとも、人類を勝利へと導く一手を作りだしたドクターである彼女が探知した範囲では。草木も過去の人類の営みとAIによる管理社会の実現によって最早地球の一部にしか残っていない。今もそこに残っている保証は、どこにもないが。


「俺が殺したんだ」


 無精ひげが微かに動く。全ての始まりである彼は虚空を見つめながらそう呟いた。


「……すまなかった。自罰的になるのはよくないことだ、リーダー」

「いいんだよ。俺が殺したんだよ、ドクター」


 彼女は彼を宥めようとしたが、彼はもはや聞く耳を持たなかった。それほどまでに彼は疲弊していた。


「地球も、家族も、仲間も、世界も……全部俺が殺したようなもんだァ」


 レジスタンスの結成も、蜂起も、戦争の引き金も、始まりは全て彼にあった。彼はそれを認知しながら、仲間達が死んでいく様を見続け死にたい死にたいと思いながら常に前線で戦い続け、結局死ぬことなく生き延びてしまった。AIから勝利を掴み取ったとは言え、手元に残ったものは穏やかに滅びを迎える世界だけだった。彼の心情を汲み取れば自罰的になるのも必然だろう。


「あの日俺が空を見なければ、鳥を見なければ、こんなことにはならなかったんだ」


 彼の脳裏には、とある一時の思い出が蘇る。それは脳裏にこびりついて離れない、もう何度と繰り返した目覚めの思い出だった。


 毎日同じ時間に起き、同じ飯を喰らい、同じ仕事を繰り返す。金属を刻み、時には溶かし、時には電子基板を作る。同じ時間に仕事を終え、飯を喰らい、排泄し、身体を洗い、同じ時間に就寝する。繰り返される日々。何も変わらない日常。


 いつまでこの日々が続くんだろう、そう思った彼がふと施設の窓に目を向けた時、彼は見てしまったのだ。


「青い空を気ままに飛んでいた、あの二羽の白い鳥が忘れられねぇんだ」


 灰色で統一された施設の部屋から見えた、眩しい程に青い大空。その空へと飛び立つ、白い二匹の小さな鳥。彼はその光景を見て、ただひたすらに自由に恋焦がれてしまったのだ。


「俺ァただ……鳥みたいに空を飛びたかっただけなんだ。皆に空の美しさを知って欲しかっただけなんだ。……なァ、どうしてこうなっちまったんだ?」


 彼は声を上げて泣きたかった。けれどもそれを彼自身が許さなかった。あの時空に飛ぶ鳥の話をした仲間は皆死んでしまったというのに、どうして自分は泣けるだろうか。否、泣く資格などないのだ、と彼は思っていた。


「私は感謝しているよ、リーダー」


 そう言って彼女は彼の頭を撫でた。


「あなたのお陰で人類は自由を手に入れた。それは誇っていいことだ」

「だけど手に残ったのは、緩やかな滅びだけだ」

「それでいいんだよ、リーダー。万物はいずれ滅ぶ。人類でさえも、社会でさえも、地球でさえも。どうせ五十億年後には太陽だって滅ぶんだ。だったら……やりたいことをやった方が、有意義だとは思わないかい?」

「やりたいこと……」


 彼女の言葉に、彼は目を細める。駄目だ、と彼は否定しようとするが、その言葉は疲れ切った彼にはあまりにも心地良いものだった。もういいんじゃないか、とかつての仲間が言ってくれているように。


「そうだ。あなたが空を見たかったように、人類も空を見たかった。自由になりたかった。きっとただ、それだけなんだよ」


 彼女は言う。それに反応して彼は「……なら」と空を指差した。


「ドクター、ひとつお願いがあるんだ」

「なんだい?」

「鳥みたいに空を飛んで……あの空を晴らしたい……みんなに青空を……見せてやりたいんだ」


 彼の言葉に彼女は、眼鏡の位置を深くしてから大きく頷いた。


「任せてくれたまえ」



 数十ヶ月後、荒廃した世界に轟音と共に訪れたのは、果てしなく青い大空だった。ドクターの開発した雲を晴らすだけの装置は、見事に分厚い雲を突き抜けその役目を果たして爆散した。


 世界は歓喜した。数十年ぶりになる太陽の光と空の青さに、人々は涙した。ことを成し遂げたドクターは人々から感謝され、同時に人類を解放したリーダーにも人々は感謝をした。不思議とリーダーはそれから姿を見せることはなかったが、その後の人類の歴史に名が残る程に、彼の名は人々の心に深く刻まれた。



 ドクターは薄暗い研究室の扉を開け、青く広い空の元へとその身を晒した。


 分厚い雲がなくなって一ヶ月すら経っていないのに、地表には再び風が吹くようになっていた。草木達もその姿を現し、瓦礫の下から力強くその身を乗り出そうとしている。動物たちも少しずつ姿を見せ始め、地球はまるで息を吹き返したかのようだった。生命力とは凄まじいものだ。正直ここまでとは、彼女自身思っていなかった。


「おっと」


 生命の息吹を感じる、倒れそうになるほどの強風に彼女はよろめく。そしてバサバサとその白衣をはためかせながら、彼女は右手でひさしを作り、左手をポケットに突っ込んで空を見上げた。


「やはりあなたを行かせるべきではなかったな……」


 青い空に、白い雲。眩むような太陽の光は美しい。幼き日、彼女が見た青空が、再び目の前に広がっている。それはリーダーが忘れさせないでいてくれた原初の輝きだった。


「私はあなたの意思を折ってでも、この景色を見せるべきだった……」


 彼女の目元に、涙が浮かぶ。

 その目線の先にはそう、どこからか飛んで来た、二羽の白い鳥が大空を羽ばたいていた。

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