第3回 ライジング・サン お題:夜空に輝く太陽さん


 その勇者は苛烈なまでに炎魔法を得意としていた。その炎は敵を焼き、全身に纏えば流星の如く敵城を破壊し、剣に炎を宿して勝利を掲げるその姿は、空を夜に支配された人類にとって正しく希望の光であった。


 しかしある時、その炎を扱う勇者の噂はパタリと途絶えた。誰もが期待した、炎の勇者を見かける者はいなくなった。消えたのだ。


 人々は困惑した。勇者はどこに行ったのだろうか。怪我でもしたのだろうか。ただ一時的に休んでいるだけなのだろうか。それともまさか───息絶えてしまったのだろうか。


 人類は再び絶望に打ちひしがれようとしていた。もう何年も魔なる王の力によって夜が明けていないのだ。炎の勇者は人々の間に語られていた小さな噂であったが、それでも人類を奮起させるほどの灯であったと言うのに。


 炎の勇者の噂が絶えて、ひと月、またひと月と経っていく。魔物の被害は不思議と抑えられていたが、人類は静かに、ゆっくりと滅びの道を辿っていた。



 そんな中、魔王が住む城塞からもっとも近い人間の街に一人の旅人がやってきた。彼は傷の激しいこげ茶色のローブを纏っており、深く被ったフードによって口元しか見えなかった。


 街の人々はそんな彼を歓迎しなかった。単に怪しい、というのもあるが、炎の勇者の噂が途絶えてから毎日のように続く魔物の襲撃に、兵士も、街の人々も疲弊していたのだ。堅牢な門があるとはいえそれはボロボロに傷つき、魔物によって内部に進行されたのか一部の民家は倒壊している。終わりのない襲撃と破壊に、諦めの二文字に支配されるのは時間の問題だった。


 しかし旅人は、それを良しとしなかった。彼は街の人々に煙たがられたが、奇異の目で見られたが、それを気にする様子も見せず一人で倒壊した民家の修理を始めた。


 一人でできることなど高が知れてる、と街の人々は最初馬鹿にした様子だったが、あれよあれよと崩れた家を元の形に戻していくその姿を見て目を見開くこととなった。彼の作業は街の人々が寝静まる時間になっても続き、そしてある時ふらっと姿を消した。


 見張り兵はいつもより静かな森の様子に目を凝らしていたが、その日、魔物の襲撃がやってくることはなかった。


 街の人々が目覚める時間になり、襲撃が来なかったことを不思議に思っていると、旅人は再び街に現れた。───どこに行っていたのだろうか? 街の人々は一瞬疑念の目を向けたが、自分達が寝ている間に倒壊した家を直してくれたこともある。余裕が生まれたからといってもいいのかもしれない。家主が真っ先に彼に感謝を伝えに向かったことから、徐々に街の人々の態度は軟化していった。


「旅人さん、ありがとう!」


 直した家の、家主の娘が笑顔で言った。それに旅人は初めて笑みを見せ、彼女の頭を撫でた。


 それからというもの、魔物の襲撃はパッタリと途絶えた。余裕ができた街の人々は旅人を歓迎し、宴を上げ、共に復興作業を行った。作業が進むにつれ街は明るくなり、かつての希望を取り戻していった。その間に家主の娘は旅人にすっかり懐き、二人はよく会話を交わした。


「ねぇねぇ、旅人さん。旅人さんは炎のゆうしゃさまはどこに行っちゃったのかな?」

「さて、どこに行ったんだろうね」

「炎のゆうしゃさまのお話をみんながしているときは、みんな今みたいに明るかったの。でもゆうしゃさまのお話を聞かなくなって、旅人さんが来るまではみんな、暗かった」


「だからね」と彼女は笑顔を向けた。


「旅人さんが来てくれて、うれしかった! みんなが明るくなって、うれしかったの!」

「うん、そうか。それならよかった」


 彼は頷き、少女に目線を合わせた。そして、


「炎の勇者がいなくても、生きることを諦めてはいけないよ」


 と言った。それは彼女だけでなく、街の人々にもよく説いていた言葉だった。彼女はそれに大きく頷き、そしてふと思ったことを口にした。


「そういえば旅人さんは、どうして私たちの街に来たの?」

「……それはね、僕は魔王を倒しに来たからなんだ」

「ほんとう? ゆうしゃさまみたい!」

「ありがとう。勇者の代わりにしては、力不足かもしれないけどね」

「そ、そうなの?……ほんとうに、魔王をたおせるの?」

「まぁ、安心してよ、こう見えても結構強いんだ。それに……実は一つだけ、魔王を倒す方法があるんだ」

「ほんとう!? すごいすごい!」


 彼は最後に「皆には内緒だよ」と言って、口に人差し指を当てて笑った。


 そして二週間の時が経ち、旅人が旅立つ時がやってきた。街の人々は彼に様々な物資を持たせ、盛大に見送った。彼はそれに対して静かに笑みを返し、どこか遠くへと歩いていった。彼が街を立ち去ってから少しすると再び魔物の襲撃が訪れるようになったが、彼らの目が曇ることはもうなかった。旅人が、彼らの心に火を灯したのだ。



 炎の勇者は死を予感した。突如として現れた魔王の手下に告げられた真実とその強さに、己の力不足を強く確信した。


 魔王を倒しても魔物が減ることはなく、また数百年もすれば魔王は復活し世界は夜に包まれる。魔王の肉片を一つ残らず消し去らなければ、魔王が復活できぬほどに焼き尽くさなければ、人類に安寧は訪れない。


 その事実が、右肩をえぐるように付けられた傷に重くのしかかる。力が、火力が足りない。このままでは、炎では駄目だと勇者は確信した。


 勇者は炎を使うことをやめ、己が内に蓄え始めた。それは内なる炎を強め、魔王を一片の肉片も残さずに焼き尽くす為に。そして炎の勇者の噂を、途絶えさせるために。


 今後の世界に必要なのは一つの大きな灯火ではなく、幾つもの小さな灯火だ。炎の勇者が消えていなくなっても、絶望に抗う意思を持たなければ、人類は滅びを迎える、


 勇者はそれを確信し、身分と炎を隠して旅を続けた。寄るべき場所は多いが、最後の目的地はただ一つ。それは魔王城であった。



 旅人が立ち去って二週間が経ち、彼と親しくなった少女は、今日も家の屋根の上で星空を眺めていた。


「旅人さん、まだかな」


 少女は旅人と、一つだけとある約束をしていたのだ。彼女は彼が約束を果たす日を、今か今かと待ちわびていた。だからこうして、屋根の上で空を眺めていたのだろう。


「こらー? はやく寝なさーい!」

「はーい」


 彼女のお尻の下から母親の声が聞こえて、彼女は名残り惜しさも感じつつ屋根から降りようとした。その時だった。


「わぁ……太陽さんだ」


 彼女は旅人から教えられた、生涯目にすることのなかった光を目にした。


 魔王の城を下に構える夜空に、カッと目が眩むほどの閃光が放たれた。丸く、そして白く、赤く、彼女が呟いたようにまるで太陽のような大きな火球が、魔王城と夜空を焼き尽くしていた。それは彼女と旅人の、約束の証であった。


 街の人々は、否、全ての人類は何事かと誰もが魔王城に目を向ける。その眩しさに目を細めるが、決して目を逸らす者はいなかった。


 やがてその火球は光を失い、夜に溶けていく。しかし同時に、地平線の彼方から新たなる光が差し込んだ。二つ目の太陽は、より強い輝きを放っていた。


 その光景を見て誰もが確信した。

 魔王が、討たれたのだと。

 そしてそれは誰もが願った、『朝』の訪れなのだと。

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