第26話 復讐を遂げた赤い夜
ブラッドムーンの赤い輝きが、コルデー子爵邸を照らす夜、邸内では盛大な社交パーティーが開かれていた。
豪華なシャンデリアが天井から吊り下げられ、壁には有名な絵画が飾られ、数々の骨とう品が並んでいた。華やかなドレスやタキシードに身を包んだ来客者たちは、笑顔で会話を楽しんでおり、会場には贅沢な時間が流れていた。
そんな中、アジールメンバーは子爵邸の使用人に変装して、パーティーに潜入していた。
ロランは、年齢を考慮して今回の活動メンバーからは外された。
ソフィアとニコレッタ、エマは、食事の給仕を担当するメイドに、アルベールとレオは、荷物の運搬やドアの開閉を担当するフットマンにそれぞれ変装し、屋敷内に紛れ込んでいた。
メイドに扮したエマは、さりげなくコルデー子爵に近づいた。
「子爵様、ワインはいかがでしょうか?」エマは、トレイにのせたワイングラスを子爵に差し出した。
「ああ、いただこう。」子爵がワイングラスに手を伸ばした瞬間、エマはそのグラスをぎゅっとつかんだ。
「うん?何をするんだ、君」と怪訝そうにそのメイドに目をやった子爵の顔色が一変した。
「エマ!何をしているんだ、こんなところで」まさかエマがいるとは夢にも思わなかった子爵は、焦りと驚きで声が上ずった。
「お父様、ご無沙汰しております。本日は、折り入ってお話がありまして、お邪魔させていただきました。」エマは冷ややかな口調でそう告げた。
「話?ここではまずい。私の書斎に来なさい。」子爵は周囲を気にしながら、小声でエマに告げると急いでその場を去った。
エマは、ニコレッタに合図を送ると、書斎へと向かった。
書斎に入ると、すでに子爵はソファに腰を下ろし、葉巻を手にしていた。
「で、エマ。メイドに変装してパーティーに潜り込むなんて、一体何事だ。」ただごとではないと察した子爵が早々とエマに問いかけた。
エマは冷徹な眼差しで子爵を見つめると、静かに言い放った。
「本日、私はあなたへの復讐を果たすためにやってきました。」
その瞬間、子爵の顔から笑みが消え、葉巻を持つ手が止まった。部屋の空気は一気に凍り付き、切り裂くように緊張が走った。
「復讐?何を言っているんだい、エマ。冗談だろう?」と子爵は笑顔を引きつらせながら問い返した。
次の瞬間、エマの身体は異様に歪むと、瞬く間にアブサンに変貌し、子爵の前に立ちはだかった。
積年の恨みが渦巻くその瞳は、子爵に対する怒りと憎しみで燃えたぎっていた。
そこには、血の繋がった父親への情けなど微塵もなかった。
「なんだ、これは!」子爵の顔からはみるみるうちに血の気が引き、青ざめていった。
突然現れたモンスターに恐れおののいた子爵は、葉巻を投げ捨て、必死に部屋から逃げ出そうと身を翻した。が、アブサンの鋭い爪がその背中を容赦なく引き裂き、子爵は激しい悲鳴をあげてその場に倒れ落ちた。
「さよなら、お父様。」アブサンの中にいるエマは、そう冷たく吐き捨てるように言った。エマの心の奥底で燃え続けてきた怒りが、ついに抑えきれないマグマのように爆発し、アブサンの残忍な刃へと姿を変えた。
その怒りの刃は、一瞬のためらいもなく、倒れた子爵に向かって振り下ろされた。その一撃は子爵の身体を深く貫き、彼は血の海の中に沈んだ。
陰惨な粛清現場に静寂が訪れると、アジールメンバーたちが部屋に駆け込んできた。何とか無事にアブサンを捕獲すると、カフェへと急いだ。
カフェに到着したメンバーたちは皆、疲労に満ちた表情で無言のままだった。そして、エマもアブサンも精神的にも肉体的にも限界を迎えていた。
その夜、エマはついに念願だった父親への復讐を果たした。しかし、そこには満足感や喜びはなく、彼女の心に広がったのは、深い虚しさと疲労感だった。
長年抱えてきた憎しみは消えることはなく、復讐が終われば生まれるはずだった達成感も解放感もそこにはなかった。
それでもエマは、復讐が無駄だったとは思わなかった。皮肉にも、その復讐心こそが彼女をここまで支えてきたのだ。復讐は、エマにとって善悪の問題ではなく、義務であり、もはや果たすべき生きる目的の一部となっていたのだ。
エマが感じている空虚感や疲労は、復讐を遂げたからこそ生まれた避けられない代償だった。
「復讐からは何も生まれない?そんなのは、復讐をしたことがない者のきれいごとよ。。。復讐は、私にとって避けられない宿命だった。どうしても果たさなければならなかった。それに。。。私は復讐ができる力を与えられてしまったから。アブサンという。。。魔女の復讐の呪いという暴力を。。。」
エマは、自分自身を納得させるかのように小さくつぶやいた。
その言葉には、今の彼女の拠り所となる確かな真実が滲んでいた。
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