第13話 アトリエで紡がれる絆

エマは絵画を鑑賞するのが好きだった。


その理由は、画家たちが作品に込めたメッセージを読み解くことで、自分の内なる感情を呼び覚まし、共感することができるからだ。そして、絵を通じてその時代の歴史や文化への理解を深めることで、知識の幅が広がり、知的好奇心が満たされることも大きな魅力だった。


元の世界では、自らも絵を描いていたエマにとって、絵は自分の世界観や思いを表現し、他者と分かち合うことができる貴重な手段だった。


そんなエマに、ルカから絵画展へのお誘いがあった。


「エマ、今度、面白そうな絵画展が開かれるんだけど、一緒に行かないか?」


「ええ、もちろんです。楽しみにしています」とエマはうれしそうに答えた。


異世界に来てからは、絵画が楽しむ機会がなかったエマにとって、久しぶりに海外の世界に浸ることができる絶好のチャンスだった。


展示会の会場は、この街で最も大きく、歴史のある美術館。重厚な石造りの外壁には、歴代の芸術家たちの彫像が施されていた。


館内は、まるで時間が止まったかのような静寂と荘厳さに包まれており、中央にある巨大な円形の天窓からは、柔らかな光が降り注ぎ、幻想的な雰囲気を醸し出していた。


そこは、絵画の世界に深く没頭し、その歴史の重みを感じることのできる特別な空間だった。


エマは、数ある絵画の中で、ある一つの作品に心を奪われた。


それは、フレデリック・ブラックウッドという画家の「おぼろげな祈り」という作品だった。


彼の作品の多くは、人間の内面世界とその葛藤を描き、暗闇に潜む希望や絶望をテーマにしていた。


「おぼろげな祈り」には、絶望の淵に立たされた人間が、最後の希望にすがる姿が描かれていた。荒廃した街の片隅でひざまずいて祈る少年と、暗闇に輝く微かな光が印象的だった。


この作品は、絶望の中にあっても希望が完全に消え去ることはなく、どんなにかすかな希望の光であっても、それは未来を切り開く剣となる、との生きることへの強いメッセージを伝えていた。


「希望は、キラキラ輝いたものではなく、どんな辛く困難な状況でも自ら手繰り寄せるもの、という作家の強い信念がひしひしと伝わってきます」とエマが熱っぽく語ると、「そうだな」とルカが冷静に言った。


二人は、絵画の魅力に心が満たされながら、美術館を後にした。


帰り際、ルカはふと思い立ったように「エマ、今からうちに来ないか?見せたいものがあるんだ」と誘った。


二人は石畳の道を馬車に揺られながら、アッシュフォード伯爵邸へと向かった。


邸宅に到着すると、エマはまだ見ぬ異世界に初めて足を踏み入れたような気分になった。


「おかえりなさいませ、ルカ様」とメイドが声を掛けた。


「ただいま、セシル。アトリエまで紅茶を持ってきてくれないか?」とルカが頼むと、


「かしこまりました。お客様、どうぞごゆっくりおくつろぎくださいませ」とエマに微笑みかけてから立ち去っていった。


「ありがとうございます」とエマはお礼を言うと、ルカと一緒に邸宅の中へと入っていった。


ダーリントン伯爵邸も風格があって荘厳で素晴らしかったが、アッシュフォード伯爵邸も伝統が息づく趣がある大邸宅だった。玄関を入ると、煌びやかなシャンデリアが輝き、広々としたホールには、豪華なカーペットが敷かれていた。


長い廊下を進むと、ルカは左手の奥に位置する小さな部屋へとエマを案内した。


そこは、油絵の具の匂いが漂い、使い込まれたパレットと筆、絵の具チューブが無造作に散らばるアトリエだった。壁には、これまで描かれた作品が並び、床には描きかけのキャンバスが立てかけられていた。


画家の魂が息づく神聖な空間だった。


「ええっ、ルカ様、画家だったのですか?」とエマが驚いて尋ねると、


「ああ。さっき見た「おぼろげな祈り」、あれは俺が描いたんだ」とルカは淡々と答えた。


ルカの予想外の告白に、エマは思わず息をのんだ。


「そうだったんですね。。。」


エマは、その絵に込められたルカの内面世界を感じ取り、胸が締め付けられる思いに駆られた。ルカの抱える深い哀しみや孤独、そしてかすかな希望を必死に手繰り寄せようとする彼自身の姿があのキャンバスに織り込まれているようにエマには感じられたからだ。


重い沈黙が続く中、エマは場の雰囲気を和らげようと口を開いた。


「ルカ様の作品、とても好きです。心の奥まで深く沁み込んで、何か大切なものをつかんで離さないような感じがしました。もっと他の作品も見てみたいです。」


エマは、自分でも気づかぬうちに、ルカの作品に引き込まれ、その背後にある彼の本心に触れたいという衝動に駆られていた。


ルカはエマの気づかいを感じ取ったのか、少し微笑むとある提案を口にした。


「エマ、今度ここで一緒に絵を描かないか?俺でも何か力になれるかもしれないし。」


思いがけない提案に、エマの心は一気に高鳴った。


「はい、ぜひお願いしたいです!」


異世界に来てから絵を描く機会がなかったエマにとって、とても興味深く、魅力的な提案だった。


このアトリエで、絵を描きながらルカと一緒に過ごすことで、彼の心に少しでも寄り添えるのではないか、そんなかすかな期待がエマの心に静かに芽生えていた。


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