第10話 雨に濡れた秘密

プチ・ぺシェのカフェ経営は、常連の顧客たちによって支えられていた。


そのことをよく理解しているエマは、注文を受けるたびに、できるだけ自ら赴いて商品を届け、顧客とのコミュニケーションを大切にしていた。


人付き合いが苦手なエマにとっては、容易なことではなかったが、その時ばかりは必死だった。


その日も、マカロンとスコーンを持って、紅茶の仕入れ先でもある紅茶専門店を訪れた。


店内に足を踏み入れるたびに、上品な紅茶の香りがエマの心を満たし、ほっと安らぎを与えてくれた。


「こんにちは。ランバート夫人、わあ、紅茶の香りが素晴らしいですね! いつも癒されます。」


「こんにちは、エマ。新しい商品が入ったから、試飲してみる?」とランバート夫人は優しく微笑んで、エマを招き入れた。


新作の紅茶を試飲しながら、夫人との雑談を楽しんでいると、あっという間に時間が過ぎていった。店を出るころには、ぽつぽつと雨が降り始めていたが、エマは傘を持っていなかったため、大降りになる前に急いでカフェへと向かった。


その途中、海辺のベンチに座る人影が目に入った。


雨の中、じっとしているスーツ姿の人物が気になり、近づいてみると、やはりルカだった。


彼は、雨に濡れてぐったりとした様子だった。


「ルカ様、どうしたのですか?洋服が雨でびしょ濡れですよ」とエマが心配そうに声をかけると、「ああ、エマか。。。頭痛がひどくて、ちょっと休んでたんだ」とルカは疲れた声で答えた。


熱があるのではと思い、ルカの額に手を当てた。


「すごい熱です。とりあえず、うちのカフェに行きましょう。歩けますか?」


エマはふらつくルカに肩を貸すと、カフェへと急いだ。


カフェの裏手の階段を上り、ルカを自室のソファに寝かせた。


その日は、雨が降って肌寒かったので、エマはすぐに暖炉に火をつけ、着替え用の服をレオに借りるため、カフェへと降りて行った。


事情を話し、レオから服を借りて戻ると、ルカの濡れた服を脱がせて着替えさせた。


「え、これは。。。ひどい。。。」


そこでエマが目にしたのは、無数のあざと傷だらけのルカの身体だった。


見てはいけないものを見てしまった気がしたエマは、急いで服を着せ、毛布を掛けてルカを寝かせた。


その日はカフェがあまり忙しくなかったので、エマはずっとルカの看病をしていた。


冷水に浸したタオルを額や体に当てて、体温が下がるのを辛抱強く待った。


幸いにも、しばらくするとルカの症状が落ち着いてきた。安心したエマは、ルカの寝顔をじっと見つめながら、ぽつりとつぶやいた。


「確かにイケメンよね。こんな顔に生まれてきたら、周りが放っておかないわね、みんなにちやほやれて、いろいろ勘違いしてもしかないわ。」


すると、突然ルカの目がぱっと開き、「誰が勘違いだって?」と冷ややかな目で言い放った。


焦ったエマは、「ああ、熱が下がってきたようで、よかったです。もう起き上がれそうですね」と慌てて話をそらした。


「服も乾いたので着替えてください。温かい紅茶とルカ様の好きなラズベリーマカロンを持ってきますね。」


そう言って部屋を出ていこうとするエマに、「おまえか?俺の服を脱がしたのは」とルカがむっとした表情で問いかけた。


「あ、ええ、失礼しました。でも、濡れた洋服のままでは風邪を悪化させてしまいますし、ひどい熱があったので。でも何も見ていませんから、本当に何も」とエマが動揺しながら言い訳をすると、ルカはふっと不敵な笑みを浮かべて言った。


「まあ、いいさ。おまえに隠すものなんてないしな。」


その言葉に、エマは一瞬戸惑いながらも、その意味を深く考えあぐねていた。


その言葉に込められた気持ちが、少しずつエマへの関心としてルカの心に芽生えつつあることに、エマはまだ気づいていなかった。


熱が下がり、頭痛も治り、だいぶ体が楽になると、ルカはようやく食欲を取り戻したようで、紅茶とマカロンに手を伸ばした。


その様子を見てほっとしたエマは、気になっていたことを尋ねた。


「ルカ様、何かあったのですか?あんなところで一人で雨に濡れて。」


ルカは、少し考え込んでから「まあ、人生にはいろいろあるからな」とぼそりとつぶやくと、多くは語らなかった。


そしてふっと立ち上がると、何事もなかったかのようにエマに微笑みかけた。


「エマ、今日は本当に助かったよ。ありがとう。この借りはいつか必ず返すから。」


そう言い残して、ルカはレオが操縦する馬車で帰っていった。


エマはその馬車を見送りながら、どこか心にひっかかるものを感じていた。


邸宅に着いたルカは、運転席にいるレオに話しかけた。


「送ってくれてありがとう。それにしても君たちのボスは、本当に不思議なやつだな。世話好きというか。。。他人のことなんて放っておけばいいのに。」


「エマは、哀しみを知っている人なんです。僕や他のカフェメンバーたちを見つけ出して、手を差し伸べてくれたんです。見返りなんて求めず。今日のあなたにしたように」とレオは穏やかな口調で答えた。


ルカはしばらく考え込んだ後、「そうだな」とぽつりとつぶやくと、屋敷の中に入っていった。


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