餅田丸夫が体験した恐怖の8月31日(3)

 僕の朝はきゅるきゅると悲鳴をあげるお腹の違和感から始まった。


 部屋はクーラーによって冷えきっていた。布団はベッドの下に落ちている。そして本来パジャマで覆われているはずのお腹が冷気にさらされている。


 きゅ~きゅるきゅるきゅる~~~~


 お腹を絞られたような感覚とお尻から洪水の予感がする。


「やばいよこれはやばいよ!」


 自分のお腹に対してやばさを訴えるけどお腹の不調は待ってくれない。


 僕は重たい身体を持ち上げてすぐさまトイレに駆け込む。


 しかしトイレのドアノブは下がらない。


「お~。はいってま~す」


 トイレからお父さんの怠そうな声が聞こえてくる。お父さんはいつもトイレで新聞を読む癖があってこれがまた長いのだ。


「お父さん!!緊急事態だよこれは! 僕のお腹がピーピーでお尻からビュルビュルで!」


「それよりもマルオ。お前、夏休みの宿題はもう終わったのか? 今日で夏休みも終わりだぞ」


「お、終わったから!!」


「あ、今吃ったな。終わってないんだろう」


「ちゃんと終わらせるから!!」


 力の限りトイレのドアを叩き続ける。「もう仕方ないな~」とのんびりした様子でお父さんがトイレから出てきた。


 僕は一目散に駆け込んでズボンをずらして便座に座ると、お尻から汚らしい音とともに大量のうんちが排出された。水っぽいうんちがトイレの水の中でいっぱいになった。


「ふぅ~」


 あったかいお風呂に入ったときのような心地良い気分で満たされる。


 でもお尻からうんちを出し切ったはずなのに、まだお腹には違和感があった。


 十数分粘ってみたけど違和感は消えなかったから仕方なくトイレから離れた。


 かなりの量を出したから体重も軽くなっている気がした。僕は洗面台にある体重計にのってみることにした。


 体重計に表示される数値は…50.7kgだった。昨日測ったときと同じだ。


「昨日と同じだけ食べても平気ってことか!」


 僕はそう言ってからお腹の具合とは別の違和感に気づいた。


 なんだか同じことが昨日もあった気がする。


 というより、お父さんは「今日で夏休みも終わりだぞ」と言ったけど「今日から学校だぞ」の間違いなんじゃないか。そうならお父さんは寝ぼけていたのかもしれない。


 そして僕は宿題に何一つ手を付けていない。すごくどんよりした。


 僕は冷蔵庫からコーラを取り出して飲み干してテーブルにつく。


 ホットケーキが五枚積まれていた。


 昨日と同じ朝食だと思いながら僕はペロリとホットケーキをたいらげる。


「マルオ。あんた宿題は終わったのよね?」


お母さんから問いかけられる。昨日の夜も聞いてきたのにすごく念押しされている。


「あ。当たり前だよ。今日から学校なのに終わってなかったらまずいよ」


「何言ってんの。今日は8月31日でしょ?」


「え。今日は9月1日でしょ。月曜日だから学校だよ」


「まったく寝ぼけちゃって。ほらテレビを見なさい」


 お母さんに言われるがままテレビでやっている朝のニュースをみると、8月31日としっかり表示されていた。


「え、ええええええ!」


 僕は素っ頓狂な声をあげた。


「ほら、顔でも洗って支度しなさい。今日は小野君たちと会うんでしょ?」


 お母さんは至ってまともにそう言った。



 図書館には既に小野君と花村君がいた。


 もしかして、小野君たちも昨日の8月31日を過ごした記憶がなくて同じ言葉を話すのだろうか。次の言葉はたしか…。


「これはこれはマルオ殿。重役出勤でやんすか」


 ねちっこくて嫌味ったらしい言い方をしてきた。


「う、うわあああああ」


 僕は後ろに倒れて尻もちをついてしまった。


「しーっ! また図書館の人に追い出されるでやんすよ」


 小野君は僕の口を押えて周りをチラチラ見渡した。


 周りの視線が突き刺さったが、何事もなかったかのようにみんな本に没頭し直した。


「お、小野君は昨日何してたの?」


 僕は恐る恐る訊いてみた。


「昨日はチミに消しカスを投げたら図書館を追い出されやしたね」


 僕はほっと肩を撫でおろす。こんなに小憎たらしい小野君をみて安心してしまった。


「花村君は?」


「日曜洋画劇場の『Refrain』を見て感動しちゃった。最後のセリフかっこよすぎるでしょ」


 花村君も平常運転だが、僕と小野君と同じように8月31日を繰り返しているらしい。


「これって…」


「同じ8月31日がリフレインしているみたいだね」


 花村君がしたり顔で白人子役の決め台詞を言い放った。


「朝起きて学校に行こうとしたら『学校は明日でしょ』って言うでやんすから驚きやしたよ。でもセキダ博士から貰った『絶対に正しい時計』が指す日付は8月31日(日)なんで、これはもうループものだって気づいたでやんす」


 小野君はウンウンと頷いて分かってる感を出してきた。


「どうしてそんなのん気なんだい? もしかしたら永遠と8月31日かもしれない」僕は至極当然な質問をした。


「むしろ好都合でやんす。だってずっと夏休みということは遊びたい放題。大人も子どもも誰も成し得なかったロングバケーションが実現するんでやんす」


「つまり?」僕はピンとこなかった。


「チミ用のセリフに言い換えると、家に蓄えてあるお菓子を全部食べきっても次の日には元通りでやんす。お小遣いを全部使っちゃっても次の日には元通り。だって次の日も8月31日でやんすから。この現象はパラダイスみたいなもんでやんすよ」


「なるほど!」僕はお菓子に囲まれた世界を思い浮かべてハッピーな気持ちになった。


「そうと決まれば宿題なんてやめて遊ぶでやんす!」


 そうして僕たちはずっと続く8月31日を楽しむことにした。


 まず僕は全財産の三千円を使ってお菓子バイキングに行った。ポテチやチョコレート、グミやキャラメル、それにケーキまで食べ放題でその日一日で体重が二倍になるんじゃないかと言うくらい食べ漁った。しかし次の日には下痢と一緒に全てが消化されるみたいに体重が50.7kgだった。さらに三千円は手元に戻っているから、駄菓子屋で全てのお菓子を買って冷房が効いた家で食べ漁る。また次の日にも元通り。今度はコーラをありったけ買ってコーラ風呂を楽しんでみた。お母さんにはこっぴどく怒られたし、下痢が何度も訪れてトイレと風呂の往復は辛かったけど、叶わない夢だと思っていたことができて満足した。その次はオムライス巡り、その次はラーメン巡り、その次はカレー巡りと普通の小学生ができないことを全てやっていった。


 小野君はおませなことをしていた。女子全員に手当たり次第に告白していったらしい。結果は惨敗。同学年に留まらず小四と小六にも手を伸ばしていったが「語尾のやんすが気になる」だとか「突出した歯をどうにかした方がいい」だとか「昭和レトロ漫画みたいな眼鏡って逆によく手に入ったよね」だとか、辛辣な捨て台詞を投げかけられていくうちに、流石の小野君でもかなり応えたようで懲りたらしい。その後は同学年のスキャンダル調査に精を尽くして闇の情報屋として生きる道を選んでいた。


 花村君はめちゃくちゃだった。一日の間に自転車でどこまで行けるかのチャレンジに励んでいて、関東平野から富士山まで、房総半島まで、伊豆半島まで、東北のよく分からない地までと走り続けたらしい。花村君のチャレンジで分かったことだけど、8月31日の24時になると意識がなくなって、気が付くと自分の部屋で朝を迎えるのだという。花村君は向こうみずで走った結果よく帰れなくなることが多かったらしいけど、この現象のルールによく救われたみたいだ。


 でもやっぱり、僕たちは各々の楽しみ方で8月31日を楽しんだけど、次第に飽きがきていた。僕たちだけじゃなくて、周りのみんなも変化というか、同じ時間を過ごしている感覚が全くなくてそれが少しずつ辛くなって、僕たち三人はまた図書館に集まるようになった。

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