餅田丸夫が体験した恐怖の8月31日(2)
図書館には既に小野君と花村君がいた。
「これはこれはマルオ殿。重役出勤でやんすか」
ねちっこくて嫌味ったらしい言い方をしてきたのは小野君だ。ぐるぐるした模様みたいな瓶底眼鏡をくいっと上にあげて綺麗に精錬された鏡のような出っ歯で僕の顔を映した。
「ちょっと今日はお腹の調子が悪くてね。ここに来るまでに三回はトイレに寄ったよ」
外の鬱陶しい暑さで出た汗がねっちょりついたリュックを置いた。そしてコーラ缶を取り出す。
「あ! いいな~僕にもちょうだい」
花村君は鼻をほじりながら言った。顔はちょっぴりカッコいいのに台無しだ。
「いいよ。はい」
僕は小野君と花村君にコーラをあげた。
小野君は受け取るとピーピー喚いた。
「温いでやんす! これならまだおしるこの方がマシでやんすね」
「文句を言うならあげないよ」
「いや、オイラはカンヨーでやんすから甘んじてもらってあげるでやんすよ」
小野君はしたり顔をしながら歯でプルトップを開けて、その勢いでコーラを口に注いでいった。
花村君も小野君の真似をして開けようと試みたが、「いたっ!」って言って歯を押さえる。小野君のその一芸は専売特許みたいなものなのだろう。
僕は普通にコーラ缶を開けて飲んだ。
「ん~~じょわじょわって感じ」
「じょわじょわって変な擬音でやんすね。そんなオノマトペは存在しないでやんすよ」
「本来のコーラはしゅわしゅわ~って感じだけど、ここに温さが合わさって炭酸感がノロく味わえるんだよ。すぐにしゅわしゅわするんじゃなくて、だんだんとしゅわしゅわする感じ。だからじょわじょわ」
「それだったら僕はしょわしょわかな。しょぼい炭酸感を味わえるからしょわしょわ」
「ならオイラはみょわみょわでやんす。妙な味わいだからみょわみょわ」
「小野君が一番わけわからんないよ」
「オイラはチミたちとは違って最先端なセンスを持ってやんすから」
僕たちはくだらない話で盛り上がった。周りの視線が痛く刺さった気がしたけどきっと気のせいだろう。
「ところで、今日集まったのは他でもないでやんす」
小野君はまるでFTDのハザマさんみたいに仰々しい面持ちで話を仕切り始めた。
「今日は何の日でやんすか。花村君」
「今日は…日曜日。日曜日といえば日曜洋画劇場だね。たしか今日『Refrain』っていうループものをやるらしいよ」
花村君は頭の上に重そうな本を三冊乗せてバランスを取りながら言った。
「あの映画は確か、やんちゃなボーイたちが何度も同じ日を繰り返しながら少女失踪事件の真相を突き止める話だよね。あれはしびれるな」
僕はポテチを食べながらのん気にしゃべる。
「チミたち危機感ないでやんすね。今日は夏休み最終日。チミたちは宿題終わったでやんすか?」
僕と花村君は二人して目をあわせながら首をブルブルと横に振った。
「そうでやんす。我々は算数ドリルに国語ノート、絵日記、読書感想文、自由研究、何一つ手につけてないでやんす。残り一日。今日で全ての宿題を終わらせるでやんすよ」
僕はすっかり本題を忘れていた。そう、今日はこの三人で宿題を終わらせるために図書館に集まったのだった。決して口うるさい親から離れて冷房が効いた図書館でお菓子を頬張るためにやってきたのではない。
「小野君はたしか、セキダ博士っていうだらしないけど何か賢そうな人と仲良かったんだよね。その人に自由研究を手伝ってもらわなかったの?」
僕は聞いてみた。小野君にはこの町で細々と実験しているマッドサイエンティストのセキダ博士という知り合いがいるらしかった。
「セキダ博士はこの夏休みの間ずっと三木先生とラブラブハワイ旅行中なんでやんすよ。さすがに間に入るのはオイラの美徳に反するでやんす。それに三木先生にチクられると厄介でやんす」
三木先生というのは僕たちの担任だ。誰か男の人と付き合っているみたいな話は聞いていたが本当だったようだ。ただ、小野君のことだからこの二人に弱みをちらつかして宿題を帳消しにすることなんてお手の物だと思っていたが、それをしない程度の倫理観はあったみたいだ。
「もう間に合わなくない? 宿題なんかほっぽりだして遊ぼうよ」と並べた椅子に寝転がりながら言う花村君。小野君より花村君の方が倫理観が欠如しているようだ。
「大丈夫でやんす。オイラたちで分担して終わらせたら何とかなるでやんすよ」
小野君は珍しくまともな発言をして、宿題を広げながら「マルオ君は算数ドリル、花村君は国語ノートを担当するでやんす。で、オイラは絵日記」と指示した。
僕は小野君のリーダーシップにあっぱれと心強さを感じながら、ポテチの脂をついた指で算数ドリルを開けた。
しかし小野君が絵日記を仕上げたとして、それをどう使い回しするのか。
「え、でもそれぞれ違う夏休みを送ったわけで、小野君の書いたものを丸々コピペするのはバレるんじゃない? それ分担できてなくない?」僕は自分のキャラでもない正論を唱えた。
小野君はギクッと肩を揺らした。
「うるさいでやんすね。オイラに従っていれば万事うまくいくでやんす」
「小野君は僕たちの宿題を写せばいいけど、僕たちはどうなるんだ。それよりも読書感想文の本の内容を共有するとか、自由研究で共同テーマを作って進める方が効率良いよ」
「ムキーッ! オイラに指図するでやんすかっ!」
小野君は消しゴムを机に擦り付けて作った消しカスを団子にして僕に投げてきた。僕は腹が立って脂ぎった手で小野君の宿題を脂塗れにしてやった。
僕たちが醜い争いをしている間、花村君は大量の本をトランプタワーの要領でブックタワーを立てていた。もう既に僕たちの背を遥かに超えていた。
ドカドカポカポカしていると、大きな体の大人が僕たち三人の目の前に立ちはだかった。
「お前ら、出禁だ」
どすの利いた声で言い放つと、強大な力で僕たちの服を引っ張って図書館の外に放り出した。
図書館の外は蒸し暑く、僅かに生き残っているセミがミーンミーンと悲しげに鳴いていた。
「…オイラたち、放り出されやんしたね」小野君の目が点になっていた。
「いやぁまいったよ」と他人事のように花村君が呟く。
「…誰かの家で宿題する?」僕は提案してみた。
三人でうーんと頭を捻って考えてみたが、「宿題はやめだ。明日みんなで一緒に怒られよう」と結論づけてそのまま市民プールに行くことにした。プールでお腹が冷やされてトイレに籠りっぱなしになったのは言うまでもない。
◆
家に帰るとお母さんから「宿題終わった?」って聞かれたけど、空元気に「終わった終わった!もう順調すぎて自分が怖いよ!」とかてきとうな返事をした。
明日怒られるのが面倒だなとちょっとどんよりしていたけど、晩御飯は大きな唐揚げにオムライスと僕が大好きな献立だったのですっかり晴れた。
テレビでは「Refrain」がやっていた。僕たち三人くらいの年の白人子役たちがコメディータッチだけど重めなストーリーの中で華麗に演技をする。そして最後には物語のストーリーテラーによる一言で幕を閉じた。
「ものがたりは特別な何かに終止符を打つことで幕を閉じる」
当たり前なことだが、何か意味がありそうな一言のように聞こえた。
そして僕は今日の反省を活かして、パジャマをズボンに入れて眠りについた。
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