雨男(4)

 放課後、いつものようにミズホと一緒に帰ろうとしたけど「ごめん! 今日は女友達と帰る約束をしていて。サトウのことが嫌になったからとかじゃないから、そこは勘違いしないでね」と言われて、久々に一人で帰ることになった。


 靴箱で上履きを脱いで靴を履いていると、僕の肩を誰かがトントンと叩いた。


 振り返るとハットリ君がいた。


「さっき声かけてくれた…確かサトウ君だよね。良かったら一緒に帰らない?」


 今日初めて話したばかりの彼にいきなり声をかけられてびっくりしたが、さっきの話を聞いて一人で帰るのが不安だったので心強かった。


「良いよ。一緒に帰ろう」


「やった! 僕さ、その…雨男の件があって以来、一人で帰るのが怖くて。でも僕って友達がいないから一緒に帰る相手がいなくて。だから勇気を出して誘ったんだ。嬉しいよ」


 ハットリ君はウキウキした様子で僕の横に並んで靴を履いた。



 ハットリ君はさっき話したときより気さくに話してくれた。


 多分、彼は雨男の話を思い出したくないから、無理にでも盛り上げようとしてくれているのだろう。


「でね、竹中先生が保健の授業で鼻血を出したときは皆大爆笑でさ!」


「あの温和そうな竹中先生がね」


 僕とハットリ君は先生の話で盛り上がっていた。


 ハットリ君は饒舌で、そこまで話が巧くない僕からしたらとても居心地が良かった。


「そうだよね。人ってニメンセイがあるよね」


「ニメンセイ?」聞きなれない言葉で僕は問い返した。


「あ、ニメンセイっていうのは、人が持っている表の顔と裏の顔ってやつ。竹中先生で言えば、温和そうな表の顔を持っているけれど、実は裏の顔はスケベっていう話だね」


「へえ、難しい言葉を知っているんだね」僕はハットリ君に感心した。


「僕もそう。ニメンセイを持っている」ハットリ君は難しい顔をした。


「誰でも持っているものなのかな。そのニメンセイってやつ」


「子どもはあんまり持っていないんじゃないかな。ほら、皆純粋だからさ」


 ハットリ君はそう言って笑った。


 僕はしばらく考えたけど分からなかった。


 少し黙っていると、僕の鼻にポタッと雨が降ってきた。


「あ、雨だ」


 僕はそう言うと雨が勢いよく降り出してきた。


「今日って雨予報だっけ⁉ 聞いてないよ」僕は頭を手で覆って、雨を凌ごうとする。


「僕も知らなかった! どうしよう…。ちょっと嫌だけど、どこかで雨宿りする?」


 ハットリ君はそう提案してきた。僕は気が引けたが、このまま雨に当たると風邪をひいてしまいそうだったので、彼の言う通りにすることにした。


 近くにシャッターで閉まった店の軒先を見つけたので、そこに移動した。


 雨の勢いは増すばかりで、止む気配はなかった。


「どうしよう、雨がすごいね」


 ハットリ君は困った顔をした。


「でも、二人だったら雨男もやってこないだろうし、もう少し雨が止まないか待ってみようよ」


 僕はそう言うとハットリ君も頷いた。


「あ! そういえば…」


 ハットリ君はランドセルを開けてゴソゴソと探る。


 そうして彼は透明なレインコートを取り出した。


「なんだ、ハットリ君は雨に降られても大丈夫じゃないか」


「そうそう、実はいつも学校に持ってきてるんだよね」


 ハットリ君は用意周到だなと思っていたけれど、いつもレインコートを持っているんだったら雨男に会った日もわざわざ軒先で雨宿りする必要はなかったのではないかと思った。


 彼はレインコートを身に纏う。


 そして不敵な笑みをこぼした。


「実はさ、もう一つ持ってきててさ」


 ハットリ君はそう言いながら、ランドセルに手を突っ込む。


 僕は嫌な予感がした。


「これ、ホウチョウ」


「冗談になっていないよ」


「いや、僕が雨男なんだ」


 僕は心臓を掴まれたような心地がした。


「だって君は…ほらその包帯だって、雨男に襲われたんでしょ」


「ああこれはね、僕が同級生を襲ったときに抵抗されてついた傷なんだ」


 ハットリ君はニヤニヤ笑って、包帯を外して見せる。傷口は浅かった。


「雨男の噂ってね、もう結構広まっていてね。誰も一人で下校しないから殺せないのが苦しくて苦しくて…。でも君たちFTDが探し回っているのを聞いて、君たちに飴をやってこういう機会を待っていたのさ」


「嘘だよね…」僕はその言葉しか出てこなかった。心臓がバクバクする。


「このレインコートって何で着ると思う? 返り血を浴びてもこのコートさえ捨てれば問題ないでしょ?」


 ハットリ君はそう言ってケラケラ笑った。


「君みたいな一人の子って大体僕みたいに非力だから、道具さえ持っていれば簡単に殺せるんだよ。前の子は少し力が強かったから手こずったけどね」


 彼は僕に包丁を振りかざした。


 ああ、もう何でこんなことになったんだろう。


 FTDになんて入らなければよかった。


 僕はそう死ぬ覚悟をしたとき、誰かにグッと僕の腕を掴まれた。


「サトウ! こっち!」


 聞き覚えのある声。ミズホだった。


 ミズホはランドセルをハットリ君に投げつけて僕を引っ張った。


 僕たちは雨の中走り続けた。


「ミズホ、友達と一緒に帰るって話じゃ…」


「サトウがハットリ君と帰るのを見かけてもしかしてと思って友達を断って追いかけてきたの! 予想が的中してしまったのが最悪だけど!」


 ミズホは息を切らせながらそう言う。


 後ろを振り返るとハットリ君が追ってきていた。


「こっち!」


 彼女が僕を引っ張り、道路から逸れて「神隠し神社」へと続く石段を駆け上っていく。


 足を止めたかったけど必死になって上っていった。


 僕たちは境内から少し外れた草むらへと入った。


 立ち入り禁止の柵があったが無視した。


 草は丈が長く身を隠すには都合が良い。


 僕たちは草丈より低くなるように屈みながら速足で進む。


「危ない!」彼女の手を引っ張り僕のもとへ寄せた。


 前方には直径一メートル程度にぽっかり開いた古井戸があった。


 草で覆われて注意していないと気づかないだろう。


「サトウ…ありがとう」ミズホは小声で言って、井戸を避けて前へ進んだ。


「声が聞こえたよ」


 ハットリ君の声が後ろから聞こえた。


 ダメだ。追いつかれてしまう。


 僕たちは草むらに身を潜め、草をかき分けていくハットリ君の気配に注意する。


 こうなればミズホだけでも…。


 僕はハットリ君がやってくる方へ向き、襲い掛かってきたときに備えて身構える。

心臓の鼓動が早まる。


 ハットリ君が五メートル圏内に入ってきた。


 僕は立ち上がって覚悟を決めた。


 しかしその瞬間、前方にいたハットリ君は姿を消した。


 ハットリ君の絶叫が聞こえる。


 僕たちはしばらくじっとして、ハットリ君がいた所へと忍び足で進む。


 そこには先ほどの古井戸があった。


 古井戸を覗き込むけれど、底までの距離はかなりあるらしく暗くて何も見えなかった。


「これが…神隠しの正体だったんだね」


 僕は安堵して後ろへと倒れ込んだ。


 ミズホも僕の横に倒れ込む。


「もう、本当にサトウは危なっかしいんだから」


「ありがとう。本当にミズホが友達でよかったよ」


 僕はミズホに感謝の言葉を言った。


 ミズホは少し微笑んで「友達じゃないけどね」と呟いた。


 僕たちは『雨男』と『神隠し神社』の真相を解き明かした。しかし全てを伝えることはできないだろう。きっと雨男の正体が同じ学校のハットリ君であると公表すれば一大事だし、それに頭がおかしい人間と扱われるかもしれない。これは僕とミズホの二人だけの中に留めておいた方が良いと思う。


 空から降ってくる雨がなぜか心地よかった。

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