割れたステンドグラス
深海冴祈
本編
彩り豊かに煌めくこの世界は美しい。──いや、そんなはずはない。だって、この彩りはどれも私の物ではないのだから。この光さえも、私の光ではない。
己が両掌に視線を落とした。無彩色の身体には濃淡しかなく、私という存在の希薄さを物語っていた。空虚で何も無い。
私がいない。
私の世界は──
私は私の持っている世界からしか世界を見れない。私の世界には彩りなど無い。だから、他の誰かが生み出して溢れ落ちた何かを拾い上げては、その人の世界の欠片を垣間見て、うっとりと溜め息を吐きつつ憧憬する。
荒びれた世界に拾った綺麗な物を私の世界にステンドグラスの様に飾る。射し込む光に通せば世界が彩れど、私の世界自体に有彩色は無く、夢に陶酔しては現実に愕然とするのだ。
私にとって、日々は痛くてとても苦しい。家では辛そうな顔をしていたら拳が飛んでくる。学校では何でもないごく普通の一般家庭の子供のフリをして笑みを貼り付ける。夜の
感情が無くなればいい。何故こんなものがあるのか。その複雑性はそれぞれではあるが、数多の生物が感情を持っている。きっと生物として感情は必要なものなのだろう。でも、何故? 何故? こんなに苦しいなら要らない。要らない。
たしか、人類が感情を捨てた世界を描いた映画があった。人類から感情を消すことで、戦争の無い平和な世界を実現したのだ。いい世界ではないか。そう、あれはいい世界なのだ。感情がなければ、争わない、心穏やかに一生を終えられる。楽しくはないだろうが、とてもラクな生き方だ。
きっと感情は非言語的コミュニケーションツールとして優秀なのだろう。身を護る上でも必要なのだろう。でも、私には必要ない。護る身などない。感情があれば、心が護れない。
……それはひとひらの欠片だった。蝶の羽ばたきのようにヒラヒラ揺れながら私の世界に舞い降りた。私と同じ痛みを感じた。なのにとても美しい。それは透き通った蒼色をしていた。痛みなのに宝石だった。恒星のように自ら煌めいていて、どうしようもなく眩しくて美しかった。小さな光だが、清澄な光が私の世界を照らしてくれた。
この痛みの欠片をなぞるように世界を眺めてみた。雨上がりの朝の空気。冬の結露を纏った窓ガラスを通して見える景色。夏の山に流れる川の水の冷たさ……。いつもと同じはずが、同じではなくなる。モノクロではない。どれもとても美しい。
この世界が好きだ。色の無い世界に色と光を与えてくれた。私の痛みもこんな風に輝くだろうか?
紙に私の痛みを描いた。真っ黒な用紙ができた。無彩色のこの世界には有彩色が無い。捨てて描き直した。無気味なだけの絵が完成した。捨てた。もう一枚描いた。また捨てた。また描いた。捨てた。哀しくなった。涙が溢れた。黒い涙だと思っていた。指で拭きとると、その涙は黒ではなく、よくよく見ればとても濃い藍色をしていた。
私はその涙で深い深い海を描いた。冷たく、水圧で押しつぶされそうな暗闇の中、まだ誰の目にも留められていない生物達が蠢く世界。色が足りなかったから、ナイフで太腿を切った。痛みと共に赤が生まれた。藍と黒と、アクセントでほんの少し赤を使った。
私は自分の涙と血でできたその深海を電子の海へと流した。私の手元を離れて、どこまでも流れていく。
それから私は、色を混ぜ合わせたり、濃淡をつけながら様々な絵を描いては、電子の海へと放流した。
いつからか、声が僅かだが届いてくるようになった。
綺麗だ。
美しい。
胸にくるものがある。
私にはよく分からない。あの痛みの宝石の輝きには敵わない。私には無い世界だ。あの世界にいつまでも浸りたい。
貴女の世界もワタシにはありません。
首を傾げた。
それはそうだ。私の世界は取るに足らない。アナタの世界は私よりも彩りがある。
貴女の世界よりもワタシの世界に彩りがあったとしても、ワタシは貴女のようには自分の色を扱えません。
反論しようとしたが、自分の卑屈さがあまりに執拗に思えて口を噤んだ。この人もこの人で苦しい中、私に言葉を送っているのだ。少なくとも、自分の色を上手く扱えない苦しみは確かに伝わってくる。だから、不器用ながらに私は懸命にこの人へ送る言葉を考えた。それが私にできる精一杯の誠意だった。
使い方を知れば、きっと私とは異なる綺麗な物を生み出せるでしょう。アナタに合う表現の形もあるはずです。それは、絵かもしれない、造形かもしれない、会話かもしれない、料理かもしれない、もっと日常的な何かかもしれない。それがどれか私には分かりませんが、見つかればアナタの世界は花咲くでしょう。アナタは私の作品を美しく思うかもしれませんが、私は苦しい中でも声をかけてくれたアナタに、美しさを感じています。
指を迷わせながらキーボードを叩いてエンターキーを押した。もっといい言葉があったかもしれないが、私はコミュニケーション能力もたいしたことなければ、語彙力に長けた人間でもない。返事が来るまでには時間がかかった。掌に汗をかきながら返事を待った。――返事はちゃんと来た。私は液晶ディスプレイに映ったテキストを読み上げる。
そこには感謝の言葉と、自分に合う表現を見つける為に、色々な創造物に触れてみる事が記されていた。
……私は今のやり方で自分の欠片を表現をしているが、これが自分にとって最も適した自己表現方法なのかは分からない。こうして生み出したもので生計を立てるつもりも、自信もない。自分の欠片を死にそうになりながら、日記のようにひたすらに残していくだけだ。
これからも、きっと。
割れたステンドグラス 深海冴祈 @SakiFukami
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