Chapter 1-20

「おめでとう、祈里いのり。……あんまり浮かない顔ね。どうしたの?」

「ううん、なんでもない」


 放課後になり、部活へ向かう道すがら、純花すみかが声を掛けてくれた。

 純花は私が晴れて学級委員になれた事を祝ってくれたけれど、私は素直に喜べずにいた。


 楯嶋舞夜たてしま まいやさん。彼女もやはり、『恋君』には登場しない人物だ。なのでその人となりは私が自分の目で見て判断していくしかないのだけれど。

 見た目と態度から、『恋君』の幸宮祈里に似ているものだと思っていた。なので惜しくも学級委員になれなかった彼女は相当悔しがるのではないか、と予想した。

 でも楯嶋さんは、割とすがすがしい表情でこう言ったのだ。


「仕方ありませんね。今回は負けを認めましょう。学級委員、頑張りなさい」


 引き際が良過ぎて、何か裏があるんじゃないかと気が気じゃない。

 なんかもう、昨日から『恋君』に出てこない人たちに振り回されっぱなしな気がする。未来が分かんないと付き合い辛くて不安とか、ゲームの知識が完全にマイナス要素じゃん。


 加えて、私の中に蘇ったあの感覚。あれは間違いなく、引きこもり始めた時の感情だ。だからあれを手繰り寄せれば前世の記憶を全て思い出せるかもしれない。でも、怖い。あんな感情の奥にあるものが、いいものである筈がない。


「大丈夫? 今日は帰って休んだ方がいいんじゃない?」

「そんな、大丈夫だって」

「ほら、みんなには私から言っておくから、早く帰りなさい」

「でも……」

「どうした、祈里」

拓篤たくま君!」

「具合が悪いみたいなのよ。だから今日はもう帰らせようと思って」

「そうだな。ウチの者を迎えに来させよう」

「だ、大丈夫! 自分で帰れるから!」


 純花と拓篤君に押し切られる形で、私は迎えを呼んだ。

 昇降口で迎えの車を待つ間、拓篤君が傍にいてくれた。


「何か、悩みは書いて来たのか?」

「う、うん。ほら、私って顔が怖いから、どうしたらいいだろうなって」


 私の抱えている悩みは殆ど、誰にも相談する訳にはいかない。乙女ゲームの世界に転生したんだけどどうしようなんて、言ったら速攻で精神病棟行きだ。

 私の答えに、拓篤君は私を見つめて来る。

 暫くの間そうした後、「そうか」と彼は息を吐いた。


「本当にそれだけなら、何も心配は要らないんだがな」

「え?」

「人に言えないような悩みがあるんだろう? でなければ、今日の様子は説明できないからな」


 図星だった。というか、まあ、あれだけ心配されてみれば、自分がいかにそういう顔をしていたかなんて嫌でも分かる。


「……ごめんなさい」

「謝る事じゃないさ。いつか、俺が力になれる日が来たら、言ってくれ。ほんの少しだけでも構わない。俺に何ができるかは分からないが、少しでも君の力になれたら、俺はそれを誇りに思う」


 それは多分、昨日の私が純花に向けていた目と同じだ。心配なんだ。

 でも私はその気持ちに応える事ができない。もし他の誰かに話せたとしても、きっと拓篤君にだけは話せない。


「……うん。ありがとう」


 私はそれだけしか言えなかった。

 やがて迎えが到着して、拓篤君と別れた。


 車内で目を閉じて、私は考える。拓篤君と純花を心配にさせたのは、偏に私が前世の記憶に拘り過ぎたせいだ。『恋君』の事、生まれ変わりの事、引きこもりの事。没落を回避するのはダルいなんて言いつつ、結局は回避を前提に立ち回っていて、だからこそ前世の知識にないイレギュラーが怖い。それでいて悪役令嬢に徹するのもしっぺ返しが怖いから、人当たりをよくすることばかり考えている。


 きっとこのままじゃ、いつまで経っても変わらない。人に話せないのなら、それをおくびにも出さないように心掛けないと、心配させ続けるだけだ。

 今ここにいるのは、前世の引きこもりでもなければ『恋君』の悪役令嬢でもない。今、この世界で生きている私なのだ。前世の記憶にも、悪役令嬢としての役割にも振り回されない、そんな私でいられる事。それがきっと、私が望んでいる普通の生活の筈だ。


 よし。私は目を開けた。

 これからは私らしく生きよう。今の私には、自分を貫き通せるだけのスペックは充分過ぎるほど備わっているんだ。だから自分に自信を持て、幸宮祈里。

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