Chapter 1-10

 なんでやねん!

 私は脳内で盛大に頭をテーブルに打ち付けた。実際にやってしまうと昼食が台無しになってしまうので辛うじて堪える。


 いや、どんな華麗なピアノソナタを披露してくれるんだろう、とか勝手に期待してたのが悪いのかもしれないけどさ! 超絶技巧を駆使してアドリブ入れまくった『ねこふんじゃった』のクオリティパねぇけどさあ!


 弾き終えた結城ゆうき君は、私が微妙そうな顔をしているのに気付いたようで目を丸くする。


「あれ、不評だった? これ、小学校の時は大ウケしてたんだけど」


 「大ウケ」て。それは君みたいな子の口から出ていい台詞じゃありませんよ?


「い、いえ……。素晴らしい演奏でしたわ」


 私が拍手を送ると、他のみんなや学食にいた人たちからも拍手が巻き起こった。

 結城君は照れながらも礼を返す。さながらコンクールの会場のよう。


「そっか、結城ってあの結城か! 『雷光の貴公子』って言われてる……」

「は、はい。父がそう呼ばれてるみたいです」


 結城君が何者か気付いたお兄様の言葉に、結城君は顔を真っ赤にして俯きながら答える。かわいい。天使かこの子。


 それにしても、『雷光の貴公子』だもんなぁ。普段はそんな異名のお父さんがいるなんて欠片も思えないくらい穏やかな美少年だ。でも演奏を始めた瞬間、別人に変わった。まあ、ピアノ弾き始めたらガチなのは『恋君』で散々見てきたけどさ。

 それでも中学生の時からこんなに凄かったなんて。いずれは彼が父の名を継ぎ、『雷光』二世として世界に名を馳せるピアニストになっていくのだろう。


 結城君が席に就き、私たちは改めて食事を始めようとする。

 が、結城君と交代するかのように純花すみかが立ち上がった。


「済みません、私、用事を思い出したのでこれで失礼します」


 と、彼女はトレイを持って返却口の方へ行ってしまった。明らかに用事を思い出して慌てて、と言った風ではない。


「純花……」


 純花の事情を知ってしまっている私には、結城君の姿に何か思う所があったようにしか思えない。私が心配げに純花の後姿を見送っていると、お兄様が声を掛けてくる。


祈里いのり、行ってやりな」

「は、はい」

「っと、その前にちょっと耳貸してくれ」


 お兄様の言葉に後押しされて立ち上がった私は、純花を追う前にお兄様の口許に耳を寄せる。お兄様の息が耳に当たってちょっとドキッとする。って何不謹慎な事考えてるんだ私は!


「……それは」

「ま、オリエンテーションみたいなもんさ。まずは自分たちのから、って事でよろしく」

「分かりました。では、失礼致しますわ」


 耳打ちが終わり、私は頭を下げると純花の後を追った。廊下を走るのは校則違反なので歩かなければいけないのがもどかしい。

 昇降口の辺りでようやく純花に追い付く。


「純花」

「祈里。どうしたのよ?」


 純花は追いかけて来られるとは思っていなかったのか、驚いた様子で私を振り返った。


 さて、何と答えようか。様子がおかしかったから、なんて言っても純花なら袖にしてしまいそうだし、返事に窮してしどろもどろになるのは幸宮祈里らしくない。


「お兄様からの伝言ですわ。各自、ベルマーク十枚と今悩んでいる事を明日の部活までに纏めて持ってくる事、だそうです。いきなり依頼人の方のお相手をするのは難しいから、という事で、オリエンテーションとしてまずは部員同士でやってみようとの事でしたわ」

「……ん。了解」


 純花は微笑み、身を翻す。

 その姿に私は後ろ髪を引かれる思いで、って引くのはこっちなんだけどさ。むしろ引いてやりたい? とにかくまだ声を掛け足りない気がして、私は足を踏み出していた。


「ちょ、祈里!?」


 驚く純花の声がやたら近い。うわ、何やってるんだ私。自分の心臓の音が跳ね上がるのが聞こえる。思わず純花に後ろから抱き付いてしまった。


 私たち以外に誰もいない昇降口。運動部の掛け声が外から聞こえてくるだけの、静かな空間。


 ……ええい、ままよ!


「純花。このまま聞いて」

「……。はいはい」

「もし、純花が人に話せないような悩みを抱えているとして、それは多分、聞いても私にはどうにもできないと思う。でも、少しずつでいい。少しずつ、打ち明けてくれたら嬉しいし、ちゃんと聞いてあげたい。だって」


 私は純花から離れ、彼女の身体をこちらへ向かせる。

 真正面から純花の目を見て、告げる。


「純花は、私の初めての友達だもん」


 純花は呆然とこちらを見る。

 ……不味い事言っちゃったかな、なんて不安になり始めた所で、私は純花に抱き締められた。


「……ごめん。なんでもない、なんでもないのよ……」


 すすり泣く声に、私は純花を抱きしめ返し、そっと背中を叩いてあげる。

 暫くそのまま、純花の声だけが私の耳に届く。


「……ありがとう、祈里」

「ううん。言えるようになったら、いつでも言ってね。私、待ってるから」

「うん。また明日ね」

「バイバイ、純花」


 落ち着きを取り戻した純花が離れて、私たちは手を振り合って別れた。

 さーて、お昼にしましょうかね。

 私はすっかり冷めてしまったであろう昼食を摂るべく、学食へ戻る。


<――純花は、私の初めての友達だもん>


 するとお兄様のスマホから私の声が聞こえたので、私は超人的なスピードでそれを奪取してSDカードを没収したのだった。

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