第二章「リハビリテーション」

第一話「新しい足」

「小山内さん、あともう少しですよ!」

「くっ……!」

 一郎の口から苦悶に満ちた声が漏れる。腕にも、脚にも、食いしばり続けている歯にも、全身のいたるところに電気を流されたような鋭い痛みが走り、限界を伝えてくる。けれども、一郎はひるむことなく身体に鞭打った。

 ――一郎が目覚めてから、半年ほどの時が流れていた。既に灼熱の夏は過ぎたものの、十月に入っても外の気温はあまり下がっていない。弥生によれば、ここ数年は春や秋が極端に短くて、冬と夏とを行ったり来たりしているような気候が続いているのだという。一郎が眠っている間に、四季は失われてしまったらしい。

「あと一歩! いいえ、数センチ! 頑張りましょう!」

 一郎の身体を支えながら、若い理学療法士が元気に励ましの言葉をかけてくる。その声を支えに、一郎は再び全身に力を込めて踏ん張った。

 今、一郎は救世山総合病院のリハビリルームで、歩行訓練に勤しんでいた。

 「歩行」と言っても、理学療法士に身体を支えてもらいながら、大型の歩行器にしがみついて、ナメクジよりも緩やかな速度で前に進もうとする程度だ。実質、歩行器の車輪と理学療法士の後押しによって進んでいるだけで、一郎自身の力では脚を動かすことはおろか、まともに立つことすらまだ出来ない。

 足には力を補助する骨組みのような器具が取り付けられており、なんとか恰好だけでも曲げ伸ばしが出来るようにはなっている。けれども、やはり身体を支え、あまつさえ動かすということは無理そうだった。

 だが、病院の人々に言わせれば、それでさえも「奇跡」なのだという。一郎のように十年以上も意識不明で寝たきりだった人間にとって、運動機能の回復というのはそれほど困難なことらしい。

 一郎の場合は関節が固まることも麻痺が起きることもなく、単純に筋力不足なだけだという。恐ろしい程の時間と労力が必要ではあるが、以前のように歩けるようになる可能性も低くはないそうだ。

「はいっ! そこまで。車椅子に戻りましょうか」

「ふぅ……」

 理学療法士に支えられながら、看護師の酒井が押してきてくれた車椅子に、尻もちをつくように収まる。この車椅子が、一郎の今の「足」だった。幸いにして、車椅子に腰かけることくらいは出来るようになっていた。

 尤も、まだ自力での走行は大変なので、看護師に押してもらわないと移動もままならないのだが――。

「お疲れさまでした、小山内さん。今日も頑張りましたね。リハビリ科の人達、むちゃくちゃ褒めてましたよ」

「そうですか。……それが結果に繋がってると、いいんですが」

「大丈夫ですよ! きっとまた歩けるようになりますから。僕らも精一杯サポートしますよ!」

 酒井が力強く自分の胸を拳で叩きながら破顔一笑する。筋骨隆々とした巨漢の酒井にそう言われると、頼もしさのレベルが違う。

「さあ、病室へ戻りますね」

 一郎がずり落ちないように安全ベルトを着けてくれてから、酒井が力強く車椅子を押す。滑るように、しかし安全に配慮した速度で車椅子が動き出す瞬間は、一郎の最近のお気に入りだった。

 病室はナースステーションに接した集中治療室ではなく、個室へと移っている。ある程度の介助は必要だが、自分で食事ができる程度にも回復した。他の多くの病院ならば退院を勧められ、療養専門の病院へ転院するか、自宅からリハビリ通院という形になるそうだが、一郎が入院していたのはそもそも長期療養向けの病棟――医療療養病棟というらしい――だったらしく、そのまま居座ることが出来ていた。もちろん、普通の病棟よりは費用がかかっているのだが、両親が十分な資産を遺してくれたので、すぐに資金が枯渇することもないらしい。

(こういうの、悪運が強いって言うのかね?)

 車椅子に揺られながら、一郎は亡き両親に感謝した。

 とはいえ、いつまでも現状に甘えてばかりもいられない。一郎は当面の目標を、自力で車椅子での移動が出来るようになることに設定していた。まだ乗り降りにさえ四苦八苦している身としては、気が遠くなる思いだったが。

 ――そんなある日、一郎に転機が訪れることになった。


   ***


「ベンチャー企業の社長?」

「そう。是非、一郎くんに会いたいって。うちの病院の理事長にしつこく営業かけてきてるらしいの」

 ある日の朝のことだった。久しぶりに朝のメディカルチェックを担当してくれた弥生が、ついでの世間話のように、何やら気になることを聞かせてきた。

 なんでも、とある医療系ベンチャー企業の社長が、一郎と面会したがっているらしいのだ。

「なんで俺に?」

「えっ? なんでって……一郎くんの記事を読んだんじゃない?」

「ああ、あれかぁ」

 一郎は思わず苦笑いを返した。「記事」というのは、しばらく前に受けた新聞の取材によるものだ。

 『二十年目の奇跡! 昏睡から驚異の回復』と題されたその記事は、とある全国紙の片隅に掲載された。一体どこから聞きつけたのか、一郎の目覚めを「奇跡」という安っぽい物語に仕上げて耳目を集めようという気満々の記者がやってきて、あれこれ訊いていったのだ。

 「家族のことは書かないでくれ」と頼んでいたのにも拘らず、両親や姉の死までお涙ちょうだい的な演出と共に記事にされてしまったので、一郎は「二度と取材は受けない」と憤慨したものだった。

 そんな記事に触発されて面会を希望しているのなら、その社長とやらもろくでもないのではないだろうか。

「ベンチャー企業って聞くと、なんか胡散臭いなぁ」

「その点は同感だけどね。理事長が結構ノリノリらしいのよ。私や集貝先生も立ち会って変なことはさせないから、一回会ってもらえない?」

「う~ん、弥生がそういうなら……」

 理事長というのは、つまりは病院の最高責任者だ。弥生や集貝医師の一番上の上司ということになる。二人には世話になっているので、むげには断りにくい。

「それで、何の会社の社長なんだ?」

「ええとね。なんでも、『先進的な電動車椅子』を開発してるんだとか」

「……なんか一気に胡散臭くなったな」

 一郎が学生だった頃から、謳い文句が「先進的」だとか「先鋭的」だとかいう商品には、ろくなものがなかった。一過性の話題作りに終始して、初動でたくさん売りさばいて、その後はとっととトンズラする謎の健康食品やトレーニング器具に多いキャッチコピーという印象しかない。

 だが結局、一抹の不安を覚えつつも、一郎はその社長と面会することになってしまった。


   ***


「どうも、初めまして小山内さん。別府リチャードと申します」

 件のベンチャー社長の第一印象は「なんか思っていたのと違う」だった。

 地味に抑えられながらも作りの良さと清潔感が感じられる濃紺のスーツ。学生時代ならあだ名は「委員長」だったかもと思わせるような、野暮ったい黒縁眼鏡。きっちりと短く整えられた髪。パッと見の印象は「できる銀行マン」といった印象だ。

 ベンチャー社長というからには、「サーフィンかゴルフかで真っ黒に日焼けした、派手なスーツに身を包んだ胡散臭い男が来るのかな」等と思っていた一郎にとっては、全くの肩透かしだった。挨拶と共に差し出された名刺も、地味めのデザインで「質実剛健」と言った感じだ。

 その割に会社名は「プロメテウス株式会社」と、やや俗っぽい。一郎の記憶では、プロメテウスとはギリシャ神話の神の名前のはずで、ややオタク臭いなと思った。

「初めまして、小山内です。生憎と名刺は準備がなくて」

「……なるほど、それは仕方ないですね」

 何が「仕方ない」のか分からないが、別府は一郎の言葉にしきりに頷いて見せた。何やら独特のテンポの持ち主なのかもしれない。

「それで、その。私にお話というのは? なんでも、電動車椅子の会社を経営されているとか」

 一郎が傍らを気にしながら話を切り出す。今、彼らがいるのは一郎の病室ではなく、病院内にある小さな会議室だった。この場には一郎の他に、看護師長である弥生、主治医である集貝、そして一郎が初めて見る初老の男性がいた。なんでも、病院の渉外担当者らしい。

 つまりこの話は、一郎に持ちかけられたのと同時に、救世山総合病院への営業でもある、ということなのだろう。けれども、形としてはあくまでも一郎個人と別府との面談なので、話を主導するのは一郎になる訳だ。

 だから、会議机を挟んで別府と向かい合っているのも一郎で、他の面々はそれぞれ一郎の両横に並び無言を貫いていた。

「まずはこちらを。……小山内さん、タブレット端末の操作方法は分かりますか? 二十年前にはまだ普及していなかった物ですが」

「ああ、大丈夫です。手が動かせるようになってからは、自前の物を用意してもらって、ぼちぼち練習してますから」

 別府が差し出したタブレット端末を受け取りながら、一郎が答える。どうやら別府は、ある程度以上の配慮が出来る男らしい。一郎はまた、彼への評価を少しだけ上方修正した。

 タブレットの画面に表示されていたのは、いわゆるプレゼン資料だった。

『独立稼働する六つの車輪で階段の上り下りも可能』

『手や指の僅かな動きや視線と連動した、直感的な操作感』

『AI学習により使用すればするほど操作精度がUP!』

『安全装備も充実。衝突防止、落下防止、急発進抑制など。今後も追加予定』

『データリンクによりリアルタイムに利用者と車体の情報を共有可能。まさかの時のレスキューサービスも検討中』

『変形機能により、常に快適な姿勢をサポート』

『PRT001-1P ハーキュリー1の導入をどうぞご検討ください』

 ――資料の方も必要最低限の説明と製品画像が貼られているだけで、質実剛健というか地味だった。だが、逆に分かりやすい印象を一郎は持った。

 全体の形は、高めのひじ掛け付きオフィスチェアと車椅子を組み合わせたような感じだ。手すりの突端には手を乗せる部分らしき半球形のパーツが付いており、一郎は「昔、こういう操縦席のロボットアニメがあったな」等と益体のないことを思った。

 モーターは六つある車輪それぞれに独立して付いており、バラバラに回転するだけでなく、サスペンション部が伸縮し階段の上なども張り付くように移動出来るらしい。

 謳い文句が本当ならば、極めて優れモノと言えるだろう。

「いかがでしょう?」

「はあ、まあ、なんか凄いですね。SF映画みたいだ」

 「この謳い文句を信じれば」という言葉を呑み込みつつ、一郎が答える。いくら資料が立派でも、実物は似ても似つかない、というケースはいくらでも思い付く。

 と、別府が一郎のそんな心情を読み取ったかのように、「実は、実機もお持ちしているんです」と言い出した。

 ――会議室のドアが開く。姿を現したのは、プレゼン資料そっくりそのままの「ハーキュリー1」と、それを操る眼鏡をかけた若い女性だった。

「失礼します」

 高く張りのある声を響かせながら、女性が車椅子を操り会議室へと入ってくる。

 音は静かだ。甲高いモーター音が僅かに響くが、無音に近い。

 謳い文句通り、女性は視線と指の僅かな動きくらいしか見せていない。にも拘らず、ハーキュリー1は狭い会議室の中をスムーズに進み、一周してみせた。

「彼女は弊社の従業員で南と申します。私の補佐などを務めておりまして、ハーキュリー1に乗るのは今日が初めてです」

「南と申します」

 女性――南がハーキュリー1から降りて眼鏡を外しながら、丁寧なお辞儀をする。

 年の頃は二十後半くらいか、長く艶やかな黒髪を腰の辺りまで伸ばした、目鼻立ちのしっかりした美人だ。

 「美人秘書」という言葉が、一郎の脳裏に浮かんだ。

「今、別府からお話しました通り、私がハーキュリー1に乗るのは今日が初めてとなります。弊社開発ルームにてまずは三十分程度の試運転を行いまして、その後は救世山総合病院様のエントランスからこちらの会議室まで移動してまいりました――こちら、その際の映像となります」

 南がタブレット端末を取り出し会議机の上に置く。画面には、病院のエントランスから順調にこの会議室まで辿り着く一人称視点の動画が流れている。どうやら、リアルタイムに状況を録画し、連携したタブレットから再生する機能もあるらしい。

「ほうほう、危なげない感じですね。すれ違う人なんかも上手に避けている」

 集貝が感心したように呟く。仕事柄、こういったものが気になるのだろう。弥生も同じく、興味津々といった様子だ。

「いかがですか、小山内さん。よろしければ、ハーキュリー1を試してみませんか?」

 別府が平静そのものな口調で、そんな提案をしてくる。集貝も、弥生も、その他の人間も、皆が期待のまなざしを一郎に向けていた。

「は、はい。じゃあ、折角なので」

 ――こういう時の一郎は、同調圧力に弱かった。


   ***


「お、お、おお!?」

「いい感じですよ、小山内さん!」

 ――病院の中庭広場。普段は入院患者や病院の職員たちが軽いスポーツなどに興じる憩いの場所に、一郎の戸惑い気味な声と、それを励ます南の声援が響いていた。

 ハーキュリー1の乗り心地はすこぶる快適だった。基本操作はひじ掛けの前側突端に付けられた半球形のコントローラーで行う。手を軽く添えて、両手でコントローラーを前に押せば前進、後ろに引っ張れば後進。左右どちらかだけを押せば旋回。右と左をそれぞれ前と後ろにバラバラに押せば、その場で回転。

 更に、両手を右に押せば右方向にスライド移動、左に押せば左にスライド移動、といった動きも出来る。斜め移動もコツを掴めば可能で、片手での操作にも対応している。

 ブレーキはコントローラーを左右外側に押すとかかる。力は殆ど必要ないので、きびきび止まってくれるし、それでいて急ブレーキにもならないので快適だ。

 少しの段差なら衝撃もなく乗り越えられるし、ゆっくりではあるが階段の上り下りも出来る。残念ながら視線連動機能はオプションの眼鏡が必要らしく試せなかったが、今の状態でも十分に使い物になった。

 一郎が最も驚いたのは、障害物をほぼ自動で避けてくれることだった。一度、操作をミスして花壇に突っ込みそうになったのだが、ハーキュリー1は危なげなく減速し花壇を回避し、そのまま動き続けてくれた。

 他にも、乗り越えられないような、例えば落下の危険性がある程の段差や落差に差し掛かっても自動停止や回避をしてくれる機能もあるらしい。至れり尽くせりだった。

「凄い! まだ十分くらいしか動かしてないのに、普通に移動する分には十分ですよ!」

「ふふっ。ハーキュリー1には学習機能もあるので、小山内さんが乗れば乗るほど手癖を覚えてくれて、どんどん快適になっていきますよ」

 すっかりハーキュリー1に夢中になった一郎の様子に、ここぞとばかりに南が猛アピールする。「なるほど、別府さんにはこれは無理だな」等と、一郎は少々失礼なことを思ってしまった。

 しかし実際、ハーキュリー1は凄い。意図的に急発進、急ブレーキをかけることも出来るのだが、その際にも安全ベルトを付けていない状態でも身体がずれることなく安定している。南の説明によれば、急激な速度変化があった場合は、座面や背もたれ、ひじ掛け等の角度が変わって搭乗者の姿勢が安定するように自動調整してくれるらしい。

 ベンチャー企業だからと色眼鏡で見てしまったが、ハーキュリー1の出来栄えは一流企業にも匹敵するように思える。チラリと別府の様子を盗み見ると、彼は病院の渉外担当者と何やら真剣な表情で会話を交わしていた。一郎が自在にハーキュリー1を操る姿を見て、病院側も導入に前向きになったのかもしれない。


 その一郎の予感は当たっていた。

 数日後、一郎を含む数名の患者がハーキュリー1のモニターとなることが決まり、救世山総合病院とプロメテウス株式会社は正式に契約を結んだ。

 こうして、一郎は「新しい足」を手に入れることになった。

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