第3話 老兵弱者






 ある日、少し時間が経った頃。



「爺。起きてる?」


「年寄りなもんで……眠りは浅いのです。」


「雷……鳴ってる。こんなボロ小屋に落ちたら……ねぇ、近くに行ってもいい?」


「雷は温もりでは消えませぬ。恐ろしければ、危機の備えを……」


「……分かった。逃げる準備をする。」


「そうしなされ。」



 恐怖に怯える相手への言葉としては不正解だろう。しかしこれでいい。

 備えを怠らない、それが老人が長く生き延びた理由なのかもしれない。





 ――次の日の朝――



「はっ、生きてる……」


「よくお眠りで。」



 彼は折れた剣を使って鍛錬をしていた。

 その剣の動きは決して早くはない。


 剣を振ったことのない彼女でも、目で追えるほどに鈍重な剣技。

 それでも老人は、剣を振ることをやめなかった。



「何年……何年奴隷戦士だったの?」


「……79年。6つの頃から奴隷でした。」


「一度も……負けなかったってこと?」


「まさか。生き延びただけにございます。」



 彼女はわかっていた。そんな質問をしてはいけないと。

 老人の人生をその言葉で軽々しく片付けてはいけない。


 それでも、口からは自然とその言葉が漏れてしまった。



「その……弱さで?」


「ふぉっふぉっ。手痛いですな。」


「違っ……ごめんなさい。」


「ごもっとも。騎士であれば弱き兵。しかし、わしは奴隷兵。」



 その一言で、彼女は老人の意図を察した。

 彼がどのような手段で生き延びてきたのか。


 そもそもこの世界の「奴隷戦士」とは、買い手のつかない男奴隷を見世物にして金を稼ぐ存在だ。



「私が……私が引き取るまで、誰にも……」


「そうなりますな。」


「辛く……なかったの? 苦しくなかったの?」


「ふぉっふぉっ。当然苦痛です。」


「どうやって、何を支えに……どうやって耐えたの?」



 彼女はそれが気になって仕方がなかった。

 それは、今の自分自身の境遇を理解しきれていなかったからだ。


 老人の助言によって、何かが変わることを期待していたのだろう。

 だが、返ってきた答えは彼女にとって、衝撃的なものだった。



「何も。」


「え?」


「ただ耐えるのみ。」


「え……79年も?」


「左様。」


「そん……な。」



 精神性が違った。忍耐強さの次元が根本から異なっていた。

 彼女はもう何も言えなかった。


 正確に言えば、かけるべき言葉が見つからなかった。

 それを察した老人が、話題を変える。



「して、次の食事は?」


「……お願いできたりする?」


「承知。」



 老人は見事な手際で、トカゲを3匹捕まえてきた。






 ――食事――



「いつまで……こんな生活を続ければいいの?」


「持つまでにございます。」


「持つまで?」


「力を持つまで。」


「そうよね。私の場合は富を得ることが、一番現実的?」


「さぁ、年寄りにはなんとも。」



 彼女は決して絵が上手いわけではない。

 唯一の特技である絵も不気味がられ、異端審問にかけられれば即座に釜茹でだろう。


 今でさえ、良家の子という立場にあるのにこの扱いだ。

 外に出れば、より劣悪な状況に追い込まれるのは目に見えている。



「つくづく世界は、私にこのままでいて欲しいみたいね。」


「さぁ、どうでしょうなぁ。」



 そうして二人は、炭化したトカゲを噛み砕く。

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