中編
聞いてください。児相の担当者が、新しい人に変わったんです。
ハセガワさん、という人です。
あの日も玄関先で、あの人は良い母親ぶって最近の様子を話し、ぼくは退屈そうな振りをして、聞き耳を立てていました。
そしたら、玄関にあった芳香剤をハセガワさんが落として、中身を床にぶちまけたんです。
児相がひとんちのもの壊して良いのか、と怒るぼくに、あの人は、ハセガワさんを庇った。児相の人間を庇うなんて、初めのことでした。
そして、ぼくを、まるで汚いものでも見るような目で、睨んだんです。
ぼくは戸惑って、直ぐ、はッと気づきました。
あの人は、ハセガワさんが好きなんだ。
分かってはいたんです。ハセガワさんのために話す声、浮かべる表情、立ち振る舞い。それは初めて見る、あの人の姿でした。
違う人みたいでした。
ぼくは、裏切られたと思いました。
あの人はこれまで、どれだけ客に言い寄られても、心までは動かさなかった。ぼくが生まれてから、良い母親になろうと、子どものことだけを考え、生きてくれた。
ぼくだって、そうだ。どんな人にも、心を動かしたことはない。
ハセガワさんは、男のぼくが見ても、格好いい人なんです。
何かあれば厳しく叱ってくるけど、理不尽なことは言わない。ぼくがした良いことは、些細なことでも、あの低い声で褒めてくれる。
ぼくだって、思っていたんだ。
ハセガワさんが来たら、お喋りがしたいって。
ああ、ぼくはなにを言っている。そうだ、悔しいんだ。色んなものを捨てて、ぼくはあの人と一緒にいるのに。だまされた。嘘つきだ。あの人は、ぼくのお父さんを取った! いや、違う! お父さんが、ぼくのお母さんを取ったんだ。ああ、それも違う。
ぼくは、優しくしてくれるなら、誰でも良いのか。
あはは。すいません、みんなでたらめです。
信じないでください。
けれども、ぼくは、悔しいんです。
ぼくがこんなに愛しているのに、あの人は結局、いつも、いつも、他の人を愛す。そんなことなら、もういない方がましだ。
そう思ったら、ぼくは、恐ろしいことを考えるようになりました。
いっそぼくの手で、あの人を捨てようと思ったんです。
いつか、ぼくは捨てられる。なら、その前に、ぼくの手で捨てよう。捨てられる前に、ぼくが捨ててやる。むごたらしく、出来るだけ、あの人の心に残るように。
はい、泣きません。
ごめんなさい。話せます。
次の日、あの人に付き添い、病院に行きました。そこで、あの人は診察の途中で、暴れ出しました。「全員、嘘つきだ」と怒鳴っていました。
警察沙汰にはなりませんでしたが、ぼくはもう、あの人はダメだと思いました。自分の力では、もう何も出来ないって、分かり始めたんだ。だから、わざと騒ぎを起こし、子どもたちを捨てたくなった。そうです。それを知った時、ぼくは、はっきりと、あの人を、諦めることが出来たんです。
こんな人を愛した自分の馬鹿馬鹿しさも、笑うことさえ、簡単に出来ました。
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