第18話 花瓶と天使

 –未知流−


 収穫祭が終わって、間もなく来る冬の準備で慌ただしくなった。


 教会では、礼拝堂の暖炉に火を入れるための準備が始められた。暖炉は祭壇の少し手前、正面に向かって右手にあって、他の季節には扉が閉じられている。その扉を外して、内側の炉と上に伸びる煙突の掃除をするのだ。


 礼拝堂の掃除は孤児院の子ども達も手伝う。

 今日はロイスと一番年少のクレアルが担当した。子ども二人だけでする仕事は限られているが、煙突の掃除は身体の小さな子どもにうってつけだ。


 二人は遊びの延長のごとく煙突に潜って内側の蜘蛛の巣を取り払ったり、ほこりを拭き取ったりしていた。


 ちなみに、この国にも蜘蛛によく似た昆虫(正しくは節足動物)がいるが、蜘蛛という名前ではない。


 クレアルが祭壇のそばの花台を拭こうとしていた。花台の上には大きな陶器の花瓶が置いてあった。まだ花は生けられていないので中は空だ。


 五歳のクレアルの身長はちょうど花瓶の高さと同じくらいだった。花台を拭くのに花瓶を下ろそうとしたその時、彼は花瓶を取り落としてしまった。彼にはそれは重すぎたのだ。


 ガシャンと大きな音を立ててそれは粉々になった。クレアルは自分のしでかした事の重大さに驚き、呆然とした。ロイスが慌てて近寄り、「大丈夫、怪我はない?」と言った。

「うん、でも花瓶が‥‥‥」

 クレアルは泣き出した。


「僕がなんとかするから、君は孤児院に戻ってて」

 そう言ってロイスはクレアルを礼拝堂から外に出した。


 ロイスは辺りを見回して誰もいない事を確認した後、花瓶の残骸に両手をかざした。すると、花瓶の欠片かけらはスルスルと集まって元の形に戻り、花台に元通りに収まった。


 面倒なことに、その様子を目撃した人物がいた。ノーディン院長だ。執務室にいた院長は、何かが割れる音を聞きつけて、部屋から出て礼拝堂の横の扉から中に入り、花瓶が元に戻る一部始終を目撃したのだ。


「お、お前は、魔法使いなのか!」

 院長は、ロイスに向かって叫んだ。

「この悪魔め、教会から出て行け!」

「ごめんなさい、許してください!」

 ロイスは泣き叫んだ。


 院長はロイスの腕を引っ張って、礼拝堂の正面の扉に向かって引きずって行った。


「院長、やめてください!」

 厨房の仕事を終えて自室に向かっていた私は、子どもの泣き叫ぶ声に驚いて、礼拝堂に飛び込んだ。ロイスの腕を取り、彼を引きずっていた院長を止めようとした。ちょうど二人の大人が子どもの手を両方から引っ張る形になった。


「離せ、こいつは悪魔だ!」

「悪魔ではありません、魔法が使えるだけです」

「あんたは知ってたのか!知っててこいつをここに?」


 その時、目の前の扉が開いて、外からの光が差し込んで来た。その光の中に美しい女性が立っていた。


「‥‥‥天使?」私は本気でそう思った。

 その天使は、両手を二人の大人に引っ張られて泣きじゃくる少年に向かって叫んだ。

「ロイス、無事だったの⁈」

「若奥さま!」



 –慶太−


「何事ですか!」

 ルイードがいつになく慌てた様子で礼拝堂に飛び込んで行った。未知流に遅れて厨房を出た俺は、騒ぎを聞きつけてルイードの後を追った。


「ルイード様!」

「マリエンヌ、どうしてここに⁉︎」

 未知流が天使と間違えた女性は、モートデルレーン家の息子の妻であり、ルイードの元恋人のマリエンヌだった。マリエンヌは、ロイスをしっかりと抱きしめていた。


「先日のお礼と、‥‥‥あの、ルイード様が司教になられたと聞いてご挨拶に伺ったのですが、どうしてこの子がここに‥‥‥?」

「‥‥‥場所を移しましょう。私の執務室にどうぞ」


 ルイードの執務室のソファは、六人が座るには狭すぎた。未知流と俺は横に立つことにした。ルイードの向かいにノーディンとマリエンヌが座り、ロイスはマリエンヌが離さなかったので、隣に座った。


「この美しい方は司教のお知り合いで?」

 ノーディン院長が尋ねた。

「はい。モートデルレーン家のご子息の奥方様です」

「ああ、例の屋台の‥‥‥」

「初めまして。マリエンヌと申します」


 院長はルイードとマリエンヌの関係を知らない。ルイードは未知流と俺が二人の関係を知ってることを知らない。


「あ、私も初めましてです。未知流と申します。慶太から話はよーく聞いてますが」

 未知流は勝手に自己紹介した。


「この子はいつからここに?」

 マリエンヌが口を開いた。

「五ヶ月くらい前ですね、院長?」


「そのくらいかな、あの二人が来てすぐだ。

 アイツらが拾ってきたんだ、全く‥‥‥」

 院長は、俺たちを指差してそう言った。


「だったら逃げ出して間もなく助けて頂いたのですね、良かった」

 マリエンヌは、我が子に対するみたいにロイスの頭を撫でた。


「貴女の‥‥‥モートデルレーン家の地下に、監‥‥‥閉じ込められていたと聞きました」

 ルイードは、元恋人への配慮なのか、慎重に言葉を選びながら尋ねた。


「お恥ずかしい事です」

 マリエンヌは、俯いて目元にそっと指をあてた。

「若奥さまだけは、僕たちに優しくしてくれました」

 ロイスがマリエンヌをかばうように言った。


「そんなことより、この子は魔法使いなんだぞ、アイツらはそれを知ってて隠してたんだ」

 ノーディンが口を挟んだ。


「魔法使い⁈ それは本当ですか!」

 ルイードが驚いた声で俺たちに向かってそう訊いた。

「はい、本当です。そして俺たちはそのことを知っていました」

 俺は正直に答えた。


「こいつは悪魔だ、さっきわしは見たんだ。花瓶が、割れた花瓶があっという間に元通りになったんだ!」

 ノーディンは興奮気味に喋った。


「ロイスは悪魔ではありません。ただ魔法が使えるというだけです、普通の子どもです」

 俺は抗議した。


「普通の子どもが割れた花瓶を元に戻せるもんか!」

「でも悪魔ではないです。ウェイドン院長、悪魔の定義は何ですか」


「その話は後にしましょう。ロイス、あなたはここに来てからずっと魔法を使わなかった。今日は何故使ったのですか」


 ルイードは悪魔裁判にかけられているようなロイスの気持ちを推し量って、話を変えた。

「花瓶を割ってしまったからです」

「あなたが割ったのですか」

「‥‥‥そうです」


 俺は、ロイスの一瞬の表情を見逃さなかった。

「ロイス、正直に言ってくれ」

「今日の礼拝堂の掃除当番は、ロイスとクレアルだよね」

 未知流も同じことを考えているらしい。


「クレアルは、さっき居なかったよね。まだ掃除の時間なのに」

「花瓶を割ったのは、クレアルだね?」


「‥‥‥ごめんなさい。クレアルはまだ五歳だから、怒られるのはかわいそうだと思って」

「やっぱり」

 ロイスはクレアルの為に魔法を使ったのだ。


 しかし、クレアルは花瓶が粉々になったことを知っている。どうやって元通りにしたのか、クレアルに訊かれたら何と説明するつもりだったのか、そこまでは考えが及ばなかったらしい。まだ子どもだ。


「僕は、モートデルレーンの家に帰されるんですか」


「それはないわ!」

「それはありません」

 マリエンヌとルイードが同時に発した言葉は同じ内容だった。二人は目を見合わせた。マリエンヌは、はにかんだように微笑んだ。ルイードは少し俯いて笑みを隠した。


 未知流を見たら、未知流も俺を見て、ニッと笑った。考えていることはきっと同じだ。


 間違いない、この二人はまだ愛し合ってる。


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