第16話 美女と野獣

 –未知流−


「なーんだ、あの立派な馬車に乗れると思ってたのに」

 私はガッカリして声を上げた。

「あれは公爵閣下夫妻専用なんだろ」

 慶太は特に興味が無さそうだ。


 屋敷から迎えに来た馬車は、祭りの時に夫妻が乗っていた豪華な馬車とは違うものだった。装飾は無く作りも簡素だったが、乗合馬車ほどボロくなく、乗り心地は悪くはなかった。


 公爵家の紋章は付いていた。きっと何台も持っているのだろう。元の世界でも、お金持ちは沢山の自動車を所有している。


 私たち四人と料理の材料が、二台の馬車に振り分けられ、私たちは、教会を出発した。

「忘れ物ない?何かあったら殺されちゃうわよ」


 ナディシアは、出発するギリギリまで、荷物の点検をし、そんな物騒なことを言ってはルイードにいさめられていた。

「ナディシアさん、神の御前みまえです。言葉を謹んでください」


 出発する時、ルイードと長老が見送りに出てきた。

「お気をつけて行ってらっしゃい」

 ルイードの物憂い表情が、何故か気にかかった。


 長老は黙ってルイードの背中に手を置き、何かささやいていたけど、馬車の中までは聞こえなかった。


 ☆○


「でけえな!」

 私たちみんなの第一印象を慶太が端的に表現した。

 モートデルレーン公爵の屋敷は、小高い丘の中腹にあった。初日に広場から遠くに見えた城壁は、その丘のてっぺんにあって、その屋敷からは間近に見える。


「敷地が広すぎてお隣さんの家が見えないわ」

「ホントホント、回覧板回すのに馬車で行くとか?」

「かいらんばん?」

 ナディシアに訊き返された。

 そっか、回覧板分からんか‥‥‥


 馬車は屋敷の正門を通り過ぎて、裏手に回った。裏門も十分に大きかった。馬車は裏門から入って、厨房の勝手口(そんな言い方があれば)の近くにつけた。


 厨房から使用人たちが出て来て荷物を下ろすのを手伝ってくれた。私たちも中に入り、運び込んだ荷物を点検した後、早速調理に取り掛かった。まずはホットドッグ用のパンを焼く作業から。


 厨房は教会のと比べてはるかに広くて使いやすかったけど、屋敷の規模ともてなす人数の多さを考えると、コックや給仕人の数が少ないと感じた。使用人がすぐにいなくなるというナディシアの言葉を思い出してゾッとした。


 オーブンは大量のパンが焼ける大きなものだった。

「まぁ、これだったら、いっぺんに焼けるわね!」

 ナディシアがパンを形成しながら嬉しそうに言った。


 屋敷のコックたちは、こちらの指示に忠実に従って、テキパキと作業をこなした。彼らはみんな無口だった。

「無駄なおしゃべりは禁じられているのかも知れないね」


 彼らに聞こえないように、慶太にそうささやくと

「殺されるのかもな」

 慶太も囁き返してきた。

「怖っ!」


 ナディシアはいつもより少し緊張していた。人見知りのジュールは、見知らぬ人たちの中でますます縮こまっていた。



 –慶太−


 到着してからすぐに俺は、ロイスの描いた見取り図を思い出していた。地下室に行く階段は厨房に向かって右側だった。俺たちは裏手から厨房に入って来たので、階段はここから見て左側のはずだ。


 俺は調理を進めながら機会を伺っていた。

 ある程度、作業の目処めどがついた頃、俺はトイレに行ってくると言って、ドアから出ようとした。すると、コックの一人が「使用人用のトイレがこの裏にあります。そっちの方が近いです」

 と言って、俺をそこに連れて行った。


 万事休す!

 終わった。


 何か他の手を考えなければ。したくもなかったトイレを済ませて、厨房に戻ると、未知流が、諦めろという顔をして首を振った。


 だが、チャンスは向こうからやって来た。

「教会の方、どなたか来ていただけますか」

 パーティ会場のテーブルに、どんなふうにホットドッグと焼き鳥の皿を配置すればいいか教えてくれという事だった。

「俺が行きます」

 こんなチャンス絶対に逃すものか。


 給仕人に続いて会場に入った。広い会場に長い長いテーブルがあった。高級そうなテーブルクロスが敷かれたテーブルには、三十人分の高級そうな皿とカトラリーとナプキンが置かれている。豪華な花と燭台もテーブルのところどころに飾られている。天井には豪華なシャンデリア、沢山の蝋燭に火が灯されていた。


 焼き鳥とホットドッグだけならカトラリーは要らないのだが、そんなわけにはいかないので、最初はオードブルとスープとサラダを出すことになったらしい。そっちは屋敷のコック達が準備する。


 焼き鳥とホットドッグの盛り付け方なんかどうでもいいのだが、俺は勿体もったいつけていろいろな御託ごたくを適当に並べた。


「分かりました。貴方は厨房にお戻りください。私はもう少し準備が必要なので。厨房の場所は覚えてますか」

 俺を案内してくれた給仕人が言った。


 チャーンス!

「はい、大丈夫です」

 俺は、スキップしたくなる気持ちを抑えて、会場から出た。


 地下室への階段はすぐに分かった。辺りに人影のない事を確認して、俺は階段を降りた。


 降りた先は暗かった。燭台が壁に設置されていたが、当然蝋燭は灯されていなかった。上からの光で辛うじて二つのドアが見えた。どちらのドアも鍵は掛かっていなかった。


 左側のドアを開けると食品庫だった。小麦粉や香辛料の袋が積んであった。


 右側のドアの中に滑り込んだ。隠し扉があるはずだ。しまった、こんなのを見つけるのはミステリーを読み倒している未知流が適役だったかも。


 だが簡単に見つかった。隠し扉といっても扉の前に物を置いているだけだった。大きな棚のようなものの後ろに普通の扉の半分の高さの扉があった。でも鍵が掛かっている。ここまでだ。

 俺は、倉庫から出てそっと階段を上り始めた。



「そこで何をしているのですか」

 見上げると、綺麗なライトブルーの衣装を身につけた美しい女性が階段の上からこちらを見下ろしていた。


「トイレを探していて迷いました」

 階段を昇りながら予定通りの台詞を吐いた。


「貴方は‥‥‥ああ、教会の方ですね」

「はい、申し遅れました。ローザン地区教会から参りました、ケイタと申します」


「 当家のクリスタン卿の妻のマリエンヌです。‥‥‥あの、ルイード様はお元気でいらっしゃいますか」

「ルイード司教をご存知なんですね。元気ですよ。今朝も俺たちを見送ってくれました」


 俺は出発するときのルイードの暗い表情を思い出した。

「司教様になられたのですね‥‥‥」

 夫人は、どこか懐かしむような面差しを浮かべたあと、そっと目を伏せた。


 クリスタン卿というのが公爵の息子の名前か?そういえばルイードは息子さん夫婦を知っていると言ってたな。奥さんの方が知り合いだったのか。


 彼女は、歳の頃なら三十代前半というところか、ほっそりとした体型を、決して派手ではない上品なドレスに身を包み、艶やかなブロンドの髪を綺麗にセットしていた。


 大きなブルーグレーの瞳を縁取る長い睫毛まつげ、現代の若い女性がよく付けている、瞳を大きく見せるコンタクトレンズとか、つけまつ毛などはない時代だから全てホンモノだ。小ぶりだがスッキリと高い鼻、小さくて形の良い唇、思わず見惚みとれるくらいの美女だった。


「あの‥‥‥、その下には‥‥‥」

 彼女は階段の下に目をやって何か言おうとした。


「マリエンヌ、誰と話しているんだ!」

 遠くから、男の声がした。男は話しながらこちらに足早に近付いて来た。


 夫人はハッと我に返ったように振り向いて「今日のパーティにお食事を作って下さる方です。トイレをお探しのようなので、教えて差し上げていました」


「そんな身分の低い者と口を聞くんじゃない。何度言ったら分かるんだ。そろそろ客がくる時間だ。迎えに出ろ!」


「はい、申し訳ございません、クリスタン卿」

 夫人は、丁寧に夫と俺に礼をして、その場を去った。


「お前も屋敷内を勝手に彷徨うろつくんじゃない。食事の支度は済んだのか、もう客が来るぞ!」


 この家の主のモートデルレーン公爵にそっくりな赤ら顔で背の低い醜男ぶおとこは、あの美女の夫と思われるクリスタン卿なのだろう。俺を見上げながら居丈高いたけだかにそう言い放った。


「申し訳ありません、まもなくできます」

 そう言って、俺は厨房に戻った。





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