第11話 巨人と涙

 –未知流−


「ニニンガシ、ニサンガロク、ニシガハチ‥‥」

 集会所の掛け算九九教室は大盛況だ。


 二十人の子ども達が声を揃えて九九を唱えていると、近所の店や家から大人達が何事かとのぞきに来た。


「私もこれで覚えたかったわぁ」

「なんか楽しそうだなぁ。おらぁ算数はでぇっ嫌いだったからな」

 子どもが唱える九九を親が真似して唱えている。素敵な光景だなと思った。


 そのうち他の地区からも、何人かの子ども達が乗り合い馬車で通って来るようになった。

「わざわざ馬車で子どもを通わせるなんて、よほどのお金持ちじゃないとできないわ」

 ナディシアが腰に手を当ててうらやましげにため息をついた。


 教育の格差ってこんな風に生まれるんだ。初めて実感した。

 私たちが始めた事業で、しかも初めて訪れた異国で、こんな格差を生ませてしまうことは意に沿わなかった。



「出張授業ですか⁉︎」

 ルイードは目を大きく見開いて、驚きを隠さずにそう言った。日頃穏やかな彼にしては珍しい反応だった。


「はい。馬車で通ってくることが出来るのは裕福な家庭の子どもばかりです。そうでない子ども達にも機会を与えたいのです」


 ルイードは私をじっと見つめた後、下を向いて首を二、三度横に振り、ゆっくりと口を開いた。

「次から次にいろいろと思いつくものですね、あなた方は‥‥‥」

「駄目ですか」


 やっぱ駄目かぁ。諦めかけていたのだが、

「いえいえ、やってみましょう。その地区の区長さんとは、私がお話します」


 協議の結果、二箇所の出張教室を開くことになった。ますます忙しくなったけど、充実した毎日を過ごしていた。


☆○


「ここで降ろしてください」

「はいどうぞ。他にここで降りる方はいませんか」

 馬車を駆る御者は、丁寧な言葉遣いで話した。

 

 他の地区に行く時に初めて乗合馬車に乗った。バス停のようなものはなく、通り道のどこでも停めてくれた。


 乗る前に降りる場所を御者に伝えておくのだが、場所を覚えていない御者も中にはいる。だから、降りたい場所に来たら、自分でもう一度伝える必要がある。


 乗り心地はあまりよくなかった。長く乗り続けると酔いそうだったが、隣の地区までなら大丈夫だ。自転車があればこれくらいの距離なら通えたかも知れないのに。


 掛け算九九教室は、他の地区でも評判を呼んだ。お金をとればいい商売になるかも知れないが、あくまでも教会主催の慈善事業だ。私も異世界で儲ける気はなかった。


「慶太、あんたが一緒でよかったよ」

「いきなりどうした、未知流、どこか悪いのか?」

「一人だったら何も出来なかっただろうなって思って」

「なんか気持ち悪いぞ。何か企んでんのか?」

「もういい!」 


 この世界に放り込まれて数ヶ月。当初はとても不安だった。でも一人じゃなくてよかった。慶太がいてくれて本当によかったと心からそう思う。


 教会での掃除や洗濯、厨房の手伝い、孤児院での子ども達の世話と算数の授業、合計三箇所の集会所での九九の授業、日本で暮らしていた時と比べ百八十度変化した日常。


 いきなりの変化に戸惑うことなく身を置くことが出来たのは、一人じゃなかったから。慶太の存在に改めて感謝した。ずっと一緒にいたい、かも。


 談話室で慶太とその日の報告をして、昔話をして、たまに一杯飲んで、ぐっすり寝る。私たちはとても健康的な日々を過ごしていた。



 –慶太−


「今日乗った馬車に途中から乗ってきたお客さんがおしゃべりなおじいちゃんでね。面白かったの」

 未知流が乗合馬車での出来事を話し始めた。

 いつもの談話室での報告会だ。今日はジュールも一緒だ。


「あ、その人知ってるかもしれないです」

 ジュールが反応した。

「白い髭を生やしたおじいちゃん、薬屋の前から乗ってきた」

「多分同じ人です。巨人と一緒に暮らしてるって話ですか?」

「そう、それ!」


「巨人?」

 俺は思わず口をはさんだ。前に魔物の話をしたので、何か関係があるのかと思ったからだ。

「魔物じゃなくて巨人?」


「どうですかね。この辺では有名なご老人ですが、巨人を見た人はいないようです」

 ジュールは誰に対しても敬語で話す。魔物の事はスルーされた。


 ひとしきり、老人と巨人の話で盛り上がった後、話は孤児院の子ども達のことに移り、ロイスが何か心配事を抱えているのではないかという話になった。


「あの子は身売りされて何年も奴隷として飼われていたから、何かしら自分の望みや願いを言うことをしてはいけないと思っているかも知れません」


 ジュールは、同じ身売りされた者として共感を覚えるのだろう。

「私もそうでした。何かを望んでも、無視されるか殴られるかのどちらかでした」

 ジュールが敬語を使うのは、身を守るすべだったのかも知れない。


 ロイスも殴られていたようだ。ここに来た時、いくつもの傷やあざがあった。そのことを思い出して、俺は暗い気持ちになった。

「そっか。明日、ちゃんと聞いてみようかな」


 翌日孤児院に行って、カポランの餌当番をしていたロイスにさりげなく聞いてみた。そばには誰もいなかった。


「何か言いたいことがあるんだろう、ロイス。ここは、君が閉じ込められていたところとは違うし、君はもう奴隷なんかじゃない。相談があるなら話してみないか」


「‥‥‥あの家に残っている人たちのことが心配なの。僕がいなくなったからそのことで叩かれたりしてるかも知れない」


 ロイスは、躊躇ためらいながら震える声でそう答えた。一緒に閉じ込められ奴隷としてひどい扱いを受けていた他の人たちの身を案じていたのだ。


「とても歳をとっているおじいさんがいて、病気なんだ。僕を一番可愛がってくれて、自分の食べ物も僕に分けてくれて」

 ロイスの淡い緑色の瞳が見る見る涙でいっぱいになった。


「僕が逃げ出すのを手伝ってくれたんだ。お願い、おじいさんを助けて」

 ロイスは絞り出すようにそう言うと、畜舎の床に座り込み膝を抱えてとうとう泣き出した。


 ロイスはあれからずっと彼らのことを考えていたのだ。

 だけど、俺に何ができる?

 ランボーみたいにナイフと弓矢を持って貴族の家に乗り込み彼らを救い出すか?そんなことは無理だ。


 ロイスはしばらく泣き続けた。

 俺は何も応えられなかった。

 大丈夫、俺が何とかしてやる、そんな約束はもちろん出来なかった。


 ロイスが泣いているところに、一番年長のネリーがやってきた。

「ロイス、ケイタ先生に怒られたの?」

「ううん、そうじゃな‥‥‥」


「そうだよ、カポランにやる餌の量を間違えたから怒ったら泣き出したんだよ」

 俺はそんな作り話をしてロイスが泣いたことを誤魔化した。


「そんなことで?泣き虫だなぁ。許してあげてよ、ケイタ先生」

「うん、もう行っていいよ。俺が言いすぎた。ロイス、ごめんな」

 ロイスとネリーを残して畜舎を出た。


 俺は無力な自分を呪った。

 


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