第4話 古着と少年

 −未知流−


 私たちは、ベッドと小さなクローゼット、それに書き物机と椅子のある、こじんまりとした清潔な居室を別々に与えられた。日本風にいえば六畳くらいの広さで、ちゃんと鍵もかかった。

 

 食堂に案内されて少し待たされた。十人くらいは余裕で座れる木製のテーブルには真っ白い清潔な布製のテーブルクロスが掛けられていて、二箇所に燭台が置かれている。


(なんかこぼしたら汚れちゃうよな、毎日洗濯すんのかな)などと出されたお茶を飲みながら私は考えていた。お茶は日本で飲む紅茶に近かった。


「ロンドンかもって思ったのは、寝る前にロンドンを旅するエッセイを読んでたからなの。行ってみたいなって思ってたから願いがかなったんだって」


「ふーん。そっか、そういえば俺は高校生に戻りたいって考えてたよ、今思い出した」

「何で高校生に?」

「なんでかなぁ、忘れた」


 ルイードが戻ってきたので話はそこで終わった。なんか誤魔化ごまかされた気がする。

 彼は、教会の中を案内しながらここで働く人たちを紹介してくれた。

 

「食事はこの食堂でみんなで頂きます」

「一日何食ですか?」

 私が訊くと慶太がギョッとした顔をした。

「朝昼晩三食ですよ」

 ルイードが苦笑しながら答えた。


 良かった、三食だ。私は一日三食きっちり食べたいタイプなのだ。

「分かりました。食事の支度はお手伝いします」

「そうして頂けると助かります」


「お前、何であんなこと訊いたん?」

 慶太があきれ顔で囁いた。

「二食の国もあるじゃん。気になったから訊いただけなんだけど」

「変わんねーなぁ。思ったことすぐ口にするとこ」

 そんなふうに分析されてたのか。


 古いけど掃除が行き届いたトイレと洗面所と浴場もあった。

「掃除もやります」

 慶太が言った。


 こうして私たちの教会での生活がスタートした。

 アーマ神をあがめるその教会は、ローザン地区教会と呼ばれていた。ここではルイードの他に、白い長衣を着た人たちが五人勤めていた。


 他に数人の地域の人たちが毎日代わる代わるやってきて、雑用を担ってくれる。たぶんボランティアなんだろう。


 ルイード以外の職員ともすぐに打ち解けた。

 食事担当のナディシアは、最初にお茶を出してくれた女性だ。おしゃべり好きの気のいいおばさんという感じで、化粧水や石鹸も彼女から分けてもらった。


「香りがいいでしょう。お気に入りの石鹸なのよー」

 確かにとてもいい匂いがして、お風呂タイムが楽しくなった。ポンプ式のボディーソープがなくても不便は感じなくなった。化粧水も天然由来の品でお肌に優しいものだった。もっとも、この国のものは全て天然由来だろうけど。


 食事の支度はナディシアと一番若い職員のジュールが二人で行う。ジュールは物静かで礼儀正しい男性で、陽気でおしゃべりなナディシアとは正反対のようだが、丁度釣り合うのかいいコンビに見える。

 

「着る物がいるわね、それしかないんでしょ?」

 ナディシアが、慶太と私の格好に目をやりながら言った。ほんと気の利く人だ。

「古着でいいならいろいろあるわよ」

「助かります!」


 貧しい人々に配布する為の古着や道具が市民からの善意で教会に集められている。その中から自分のサイズに合うものを選んだ。


 古着は、本当に『古着』だった。よく着古している。日本の古着屋は絶対に引き取らないであろう状態だった。でも、ちゃんと洗濯されており、破れはつくろわれていた。


「これは大きすぎるわねー。こっちはどうかしら?」

 ナディシアが選ぶのを手伝ってくれた。

 私は身体が小さいので、ぶかぶかなのを気にしなければ何でも着られた。


 この世界の服は着るのに手間がかかる。ファスナーはもちろんないので、基本ボタン留めか紐で結ぶかだ。昔、前が全部ボタンのデニムパンツを買ったことがあるけど、あまりにも面倒くさかったのですぐに履かなくなった。


「ズボンがいいの?女は履かないわ」

「ズボンがいいです。スカートはこれ1着でいいです」


 私は一着のスカートの他に仕事着としてズボンを二本、それにシャツを三枚もらった。これだけあれば当分間に合う。有り難い。スカートを履く機会は余りなさそうだけど。


 私の着ていたジャージのよく伸びる生地やファスナーを見て、ナディシアはとても驚いていた。ジャージはこの世界でも部屋着と寝巻きとして活躍しそうだ。


 靴は紐の革靴だった。履きやすそうな短靴を選んだ。やはりぶかぶかだけど、紐をきつく絞ればすっぽ抜ける事はなかった。


 ここに来た時私は自分の部屋で履くスリッパを履いていた。考えてみれば、寝て起きてそのままなら教会まで歩く間裸足だったところだ。スリッパ履いててよかった。


 流石さすがに下着は古着というわけにはいかなかったので、後日慶太と買いに行った。ジュールに店まで案内してもらって、お金はルイードに貸してもらった。道中ジュールを揶揄からかうのが面白かった。


 ナディシアに聞いた話では、冬のような寒い季節が三か月ほどあってそれ以外は過ごしやすい温暖な気候だそうだ。あと四ヶ月くらい先に、その冬がやってくるらしい。


「冬にはまた冬の服を用意するわよ」

 ナディシアは常に親切を先回りしてくれた。



 −慶太−


 古着でも着られるものを貰えたのは嬉しかった。学ランは着慣れているとはいえ、窮屈だった。


 俺は身長百八十センチなので、ズボンのサイズと袖の長さが合うものがなかった。長さに合わせると幅がブカブカで、幅に合わせるとちんちくりんになった。


 ある程度妥協して、短めのズボンをオシャレだと思うことにして履いていたら、ルイードに呼び止められた。


「ズボンが短いようですね。私のお古で良かったら差し上げますよ」

 ルイードは俺と同じくらいの身長だ。


「ほんとですか。ありがとうございます」

見繕みつくろって夜にでも寝所に届けます。気に入れば履いてください」

 気に入るもいらないもない。贅沢ぜいたくを言える立場でもない。


 届けてもらった二本のズボンのサイズは俺にピッタリだった。布地は上質だが、かなり履き古したものだった。ルイードがモノを大切にする性格なのか、それともアーマ神の教えなのか。


 いや、現代日本での使い捨てのような生活に慣れてしまった俺の考えがおかしいのだ。昔は日本でも着る物食べる物何でも大切にしていたはずだ。


 この履き古したズボンも、ルイードが古着として寄付していなかったのは、まだ着るはずだったからだ。

 大切に履こう。俺はそう誓った。


 靴は初めから履いていたスニーカーでもよかったが、ブーツを一足貰うことにした。確か未知流はあの時スリッパだったなぁ。よくあの広場をスリッパで歩いたな。


 未知流と一緒に下着を買いに出た。ジュールが店まで案内してくれた。

「ブラジャーとかあるのかなぁ」

 未知流がジュールに訊いていた。


「よくわかりませんがあるのでは?」

 ジュールが顔を赤くしてモゴモゴ答えているのが可笑おかしかった。


「分かんない?ちちバンドってやつよ」

「‥‥‥」

 ジュールはますます困惑してうつむいてしまった。


「お前、若い男性になんてこといてんだよ!困らせてんじゃねぇよ!」

 三十五歳にもなると、恥じらいというものもなくなるのか?


 店に着いてからは、ジュールは俺にピッタリくっついて女物のコーナーを避けて歩いた。


「ああ良かった。ふんどしじゃない」

「ふんどし?」

 ジュールが不思議そうな顔をした。

「ふんどし分かんねーか」


 俺はパンツがふんどし型だったらどうしようかと心配だったが、普通にパンツだった。ただし当然だが、伸縮する布地の物ではなかった。お金はルイードさんに借りた。いつか返せるのか?


 衣料品店からの帰り道、事件は起こった。

 教会の手前で路地から飛び出してきた何かとぶつかって、危うく転びそうになったのだ。見ると、十歳くらいの少年が倒れていた。


「大丈夫?」

 少年を起こしながら声をかけると、彼はおびえたような目で一瞬俺を見たが、何も言わずに立ち上がり走り去ろうとした。


 長いこと歩いたのか、裸足の足は傷だらけだった。しかも転んだ拍子に足を痛めたようで、少年はうまく歩けなかった。


 誰かから追われているように辺りを見回し、痛めた傷だらけの足で無理に先を急ごうとしていた。


怪我けがしてます」

 ジュールは、そう言って少年を抱き上げてそのまま教会に連れて帰った。少年は激しく抵抗したが、ジュールは決して彼を離さなかった。


 談話室の椅子に座らせて怪我の様子を見た。軽い捻挫ねんざのようなのでとりあえず包帯で固定し応急処置をした。足裏の傷には軟膏を塗ってあげて、寄付された古靴の中から子ども用のを探して履かせた。


 未知流が厨房からお茶とお菓子を運んで来た。

「どうぞ召し上がれ」

 少年はゴクリと喉を鳴らしたが、目をそらして手を出そうとしなかった。


「大丈夫ですよ。君の為のものですよ。遠慮なく食べていいよ」

 ジュールは、まるで少年の心を読んだかのような言い方をした。


 少年は少しのあいだ躊躇ためらった後、飢えた犬のようにガツガツと平らげた。よほど腹が減っていたのだろう。未知流はさらにパンを持ってきて少年に与えた。彼はそれも平らげた。


 少年はサラサラの金髪に薄い緑色の瞳で整った顔立ちをしていたが、身なりはかなりみすぼらしく痩せ細っていた。


 少年はかたくなに名前や境遇を話そうとしなかった。俺は、少年の心を解きほぐすべく、宴会用に覚えたコインマジックを披露した。普通の大人なら大概たいがいタネを知ってるような安っぽい手品だ。


「お兄さんも魔法が使えるの?」

 少年は目を輝かせながら、初めて口を開いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る