第15話 特務捜査官
「言葉通りの意味ですよ」
と、加賀見は肩をすくめた。
「彼が、夜な夜な帝都の街を
「勝手に先生を犯人扱いしないでください!」
大きな声を上げてから紗由はハッと口に手を当てる。
節度のない新聞記者が家の周囲にいるかもしれないのに、ここでアランの話をするのは得策ではない。
「……中で、お願いできますか?」
紗由は、しぶしぶ加賀見を家の中に入れた。
本当は勝手に人を上げてはいけないと思ったが、あとで事情を話せばアランもわかってくれるだろう。
包まれたままの弁当を食卓に置き、緑茶を用意して加賀見のいる居室に持っていく。
「ご丁寧にすみませんね。あなたはここの使用人ですか? それともブラックウッド先生の交際相手か、あるいは――」
「私は……っ、ただの居候です。篠田紗由といいます……」
思わぬ単語に動揺して、紗由は
それから、溜めていた息を吐いて、加賀見の向かいの長椅子に浅く腰掛ける。
「いろいろあって……家を出てきたので、ここでお世話になりながら仕事を探しているんです」
探している? 紗由はそう答えてから、きゅっと眉をひそめた。
(先生が優しいから、つい甘えさせてもらっているけど、本当は一人で生きていかなくちゃいけないんだ……)
湯呑から立ち上る湯気を見つめながら、しゅんと肩を落とす。
「なるほど。ここへ来てから何か不審なものを見たり、聞いたりしたことはありませんか?」
加賀見はペンを持ちながら手帳の頁を開く。何やらびっしりと書き込まれていたが、紗由のところからは一つも解読できなかった。
「いいえ。何も」
「先生があなたに危害を加えようとしたことは……なさそうですね」
彼女のムッとした顔を見て、加賀見は口端を上げる。
「ブラックウッド先生のことは、どれくらい知っていますか? たとえば、日本に来る前の話を聞いたことは?」
「……小さい頃に、ご両親を事故で亡くしている、とだけ」
きっと思い出したくないはずだから、本人には確かめていない。
(そうよ。だって私もつらくて考えたくないから……)
当時のことは、ずっと記憶に蓋をし続けてきた。
「事故……、表向きにはね」
「何か知っているなら、はっきり言ってください」
この人、苦手だ、と紗由は
「では、率直に言いましょう。彼の父親は
加賀見はひどく神妙な面持ちで紗由を見据えてきた。
「ヴァン……パイア?」
聞きなれない言葉に、唇が震えた。
「人の生き血を吸う化け物ですよ。日本にも
そこで加賀見は言葉を切った。
「こういう話をすると、皆さん同じ顔をなさるんですよね。そんなもの見たこともないと」
「あ、当たり前じゃないですか。化け物とか妖怪なんて……物語の中でしか聞いたことがありません」
ぽかんとしていた紗由は、ハッとして首を横に振った。
突拍子もないことを言って相手を混乱させ、何か話を聞き出す作戦なのだろうか。
「あまりにも非現実的で、信じがたいです」
「ははっ、一般人はそういう認識でいいのです。ですが、今でもそれらは実在するんですよ。数は減りましたが、人間社会にうまく溶け込んで隙あらば人を襲う。それを阻止、あるいは食い止めるのが我々――
「特務捜査官? さっきは警察って……」
「本来の所属は内務省です。我々はそこから陸軍や警視庁などに派遣されているだけで」
加賀見の説明に、紗由は言葉を失った。
「ブラックウッド先生が母親の親戚の戸籍に入れられていたので、調べるのに時間がかかりました。あ、諸外国にも我々と同じような機関があるのですよ。彼らに協力してもらい、先生が日本へ渡航した当時、退治された吸血鬼の足取りを追ってもらったら、その二人に辿り着いたわけです」
加賀見は手帳を見ながら話を続ける。
「彼の後見人である桐野直道氏とブラックウッド先生の父親との間に、親交があったのも確認しています。おそらく父親は
加賀見は呆れたように肩をすくめた。
「私には……そんな話、到底信じられません。先生のどこが化け物だというんですか?」
アランの存在を一方的に否定された気がして、紗由は悔しくて膝の上でぎゅっとこぶしを握る。
「吸血鬼というのは日の光を嫌い、活動時間は主に日没以降。人の生き血を啜り、何百年も生き永らえる種族です。かつては鏡に映らないとか、十字架を恐れると言われていましたが、実際はそんな単純なものではありません」
彼は
「奴らには人間以上の知恵と力があり、普通の人間とは見分けがつかないことが多いです。あなたが信じているような親しい人が実は……ということもあるのですよ」
加賀見は子どもを
アランが吸血鬼など、信じられない。あんなに穏やかで優しい彼が、人の生き血を啜る化け物?
けれど、アランは朝が苦手だと言っていた。地下室で調べ物をしているとは聞いているが実際は何をしているのかわからない。病院で働いているなら血液は手に入りやすいのかもしれない。
そこまで考えて、紗由は彼を疑っていることに気づいて自分に腹が立った。
「それなら、どうして私を襲わないんですか? しず子さんだって、桐野さんの本邸にもたくさん人がいるはずです!」
「知恵があると言ったでしょう? 親しい人には普通の人間だと思わせておいて、
どうしても、加賀見はアランを犯人に仕立て上げたいらしい。
「アラン先生はそんなこと……」
「絶対と言い切れますか? なぜ最近帰りが遅いのか、理由を聞きましたか?」
加賀見の目が鋭く光り、紗由はぐっと言葉を詰まらせた。
たしかにアランが嘘をついていたことは否めない。でも、何か事情があるはずだ。
(先生が悪い人のはずがない……)
アランが本当に吸血鬼の血を引いているとして、それを知っている人間はいるのだろうか。直道はそれを知りながらアランを育てることしたのか、そこに不安はなかったのか、わからないことだらけだ。
「そもそも、どうして私に……そんな話を? 内務省だなんて機密情報ではないんですか?」
「あなたが彼に近い存在だからです。吸血鬼というのは、時に一人の女性に異常なまでに固執する。血の供給以外に理由があるとされていますが、女性が天寿を全うするまでそばを離れないそうですよ。家出少女など格好の
「それは……先生がただ優しいだけで……」
紗由は言いよどんだ。
たしかに、少し不思議に思うところはあった。これほど優しく親切にされたことなどなかったから舞い上がっていたけれど、本当は別に理由があるとしたら――。
(先生は私の血が欲しいだけ……?)
そう考えてから、紗由はぶるぶると首を振った。まだ彼がそういう存在だと決まったわけではない。何か事情があるのは感じるが、悪事を働くような人には見えないのだから。
「彼はあなたになら油断して何か証拠を漏らすかもしれない。その時はすぐに知らせてください。ブラックウッド先生が危険な存在であれば、私たちが対処する必要があります」
加賀見の声は氷のように冷たかった。
――対処する、とは。
警察に派遣されていながら、逮捕という言葉を使わなかったということは、存在自体をなかったことにする、ということなのかもしれない。
だから、一般の人には、そういった人ならざる者の存在は明るみに出ない。
(この人たちが、今までもそうやって治安を維持してきたの?)
それはありがたい話でもあるが、アランに関しては話が別だ。
「……わかりました。何かあれば、必ずお知らせします」
そう答えたものの、紗由の胸の中は混乱していた。
アランが吸血鬼とやらだなんて――それが本当だとしたら、自分はどうすればいいのか。彼の優しい笑顔や、落ち着いた声が脳裏に浮かび、彼がそんな存在だとは到底思えなかった。
「ご協力感謝します。それでは、またお会いしましょう。お茶、ごちそうさまでした」
加賀見は軽く頭を下げて、静かに家を出て行く。
彼の後ろ姿が消えた後も、紗由はしばらくそこから動けなかった。
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