第25話〈side 蘇菲〉


 * * *


 向かった先は、お医者様の治療室。


 中には、お医者様と、黒と赤の髪を枕に敷いて口元をゆがめるぎょく蘭様らんさまと、その様子を緊迫きんぱくした表情で見つめる楊太守様ようたいしゅさまがいらっしゃった。


 玉蘭様……!! 玉蘭様、玉蘭様……!!


「玉蘭様……!」

「……蘇菲そひか……、どうした?」


 楊太守様がわたしの存在に気づいて振り向く。肩が上下していた。

 私は玉蘭様を見て、思わずなみだぐみそうになる。


「すみません……私のせいで……」

「……どういうことだ」


 楊太守様はいぶかしげに眉をひそめた。お医者様もこちらを見ている。


 私は事の顛末てんまつを話した。

 しんようが指示し女官が毒を盛ったこと、その毒は致死ちしりょうだったこと、でも玉蘭様が生きていること……全て話した。

 すると二人は目を見開いた。


「玉蘭殿……?」


 河豚毒のせいで体調不良を訴え、苦しんでいる。

 このままじゃ……ど、どうしたら……!!


河豚ふぐどくに効果的な治療法はありません。人工呼吸をして回復を待つしか……」


 人工呼吸……最終手段を使うしかないなんて……。

 それくらい河豚毒が危険な毒ってことだ。誰だよ盛ったやつ、ごくの果てまで追ってやる……!


「ん……う……」

「玉蘭様ー!!」


 私が声をかけると、玉蘭様はゆっくりと目を開く。その目はうつろで、何も映っていないようだった。

 これが生き物の目? ……ううん、そうは思いにくい。


「……蘇菲……?」


 私の名を呼ぶが、それはまるで寝言のように弱々しい。

 私は思わず、彼女の手を握った。すると彼女は握り返してくれた……が、その手は冷たい。


「人工呼吸をして、回復を待ちましょう」


 とは言うものの、私自身は技術不足。

 ただの女官が、そんな本格的な簡易救急治療をできるわけがないのだ。


 ……え。

 私じゃ人工呼吸ができないから、やるのは──楊太守様?


 楊太守様の人工呼吸って……。


 ちょ、処女しょじょの心には悪いから目を背けよう……と思う間に、彼は玉蘭様の口に自分の口を近づけた。

 彼の特徴とかのせいか、くちい並みになまめかしい。

 数秒経ってから、楊太守様は口を離した。……いや、刺激が強すぎますて。


 当の本人はじんも気にしていないらしい。ただ慌てた表情でいる。

 ここまでゆうのない楊太守様……珍しい。


 っていうか、玉蘭様は!


「……ぎょっ、玉蘭様」


 私が声をかけると、彼女はうっすら目を開ける……が、その目は虚ろだ。

 

「っ、ぁ……?」


 また私の名を呼ぶ。しかしそれはまるで寝言のように弱々しい。

 でも河豚毒を食らったらほぼ十割死ぬというから、玉蘭様の生命力は恐ろしい。


「玉蘭様……私です、蘇菲です」


 私は彼女の手を握りながら、必死に声をかける。しかし彼女は何も答えない。


「玉蘭様……」


 もうダメなの? このまま死ぬの? 嫌だ、そんなの!

 死んじゃダメ!


「玉蘭様!」

「……そひ」

「え?」


 何か聞こえた……? いや、気のせいじゃない!

 確かに今……『蘇菲』って……!


 * * *


 あれから何日か経った。


 秦芙蓉は証拠不十分で死刑こそまぬかれたが、後宮の出禁が約束された。

 これにより楊太守様と秦芙蓉の結婚は取り消しになり、宮中には平和な空気が流れ出した。


『わたくしが出禁!? 有り得ないわ!!』


 そう叫ぶ秦芙蓉を、軽蔑けいべつの眼差しでにらむ女官たち。

 流石の秦慶しんけいも納得できないのか、台を叩いて激昂げっこうする。


『うちの芙蓉を出禁とは! 彼女の生まれた地はこの後宮なのだぞ!?』

『命があるだけ喜べ。本来この行為は死刑だ!』


 あんなに感情的な楊太守様の姿を見たのは初めてだった。

 普段から作り物のようなあいわらいを浮かべ、感情のふくが小さく、年齢の割に大人で。


若造わかぞうのくせに! ぼうしか取りえのない……!』


 しまいには楊太守様をけなすような発言をして反感を買い、不服そうに宮殿を出ていく始末。


 一応、秦家は立派な家だ。

 彼らも立派な輿こしに乗せられたが、その姿に圧倒される人間など今さらおらず、皆アクビをしたり伸びをしたりと自由だ。太守の元花嫁とその一族を見送るようには見えない。


 後でせいちょうちゃんと小鈴ちゃんに聞いたが「あんなやつに頭を下げる必要ない」という理由でほぼサボっていたようだ。



 そして私はその間、玉蘭様の看病を続けていた。

 もう毒は抜けていて、あとは言語障害の回復のみらしい。

 ……回復、はやぁ。


「玉蘭様……」


 でも、河豚毒って……致死量入れると死ぬんだよね(文章崩壊)?

 なのに何で生きてるの?

 あ……もしかして秦芙蓉が故意に致死量ではなく弱めの毒を盛ったとか……? いや、それは考えすぎか……。


「……蘇菲?」

「え!?」


 突然聞こえた声に、私は驚いて飛び上がった。ここまではっきり名前が聞こえたのは何日ぶりか!


「玉蘭様!」


 私は思わず、彼女の手を握った。すると彼女は握り返してくれた……。

 が、その手は少し冷たい。でも、私の体温が移って徐々に温かくなってくるのを感じた。


「蘇菲……?」


 ああもうっ! この弱々しい声……! もう我慢できない!!


「はい、私です! 蘇菲です!!」

「……ふふ」


 あ〜笑った顔かわいいなぁ〜!


 * * *


 それからさらに数日後。


 玉蘭様は無事回復した。

 河豚毒を盛られて食らい完全回復する例は今回が初めてで、お医者様も腰を抜かしていた。


「玉蘭様、もう動いて大丈夫なんですか?」

「うん。お医者様も驚いてた」


 そう言って笑う彼女の表情は、以前のような無邪気な笑顔だった。

 よかった……本当によかった……!


「蘇菲も看病してくれてありがとう!」

「いえいえ! そんなお礼を言われるなんて……」


 と、そのときだ。突然扉が勢いよく開いたのは!

 見るとそこには青蝶ちゃんと小鈴ちゃんの姿が!

 あ、そういえばこの二人にまだお礼言ってないや……。


「あ〜いた! 玉蘭! 元気!?」

「もう〜死ぬかと思って、怖かったよぉ〜」

「あ、二人とも!


 玉蘭様は笑顔で彼女たちの方へ駆けて行く。私はそれを追いかけた。


「もう元気だよ! 心配かけてごめんね?」

「よかったぁ〜……本当に心配したんだから……」

「でもさ、毒盛られたのに何で生きてるの? もうびっくりだよ」


 青蝶ちゃんは玉蘭様の手を握りしめて言う。小鈴ちゃんもうんうんと頷いていた。

 すると彼女は少し考えて言った。


「……愛の力、かな?」


 あ、愛の力!? そんな大袈裟な言葉……! 違う違う。

「玉蘭様の生命力ですよ……!」


「それもあるけど、蘇菲が看病してくれたおかげでもあるよ! ありがとう、蘇菲!」


 え? 私? 私は何もしてないよ……?

 いや、したっちゃしたけど……。


「本当に感謝してる。ありがとう、蘇菲」

「……はい!」


 久々に元気な玉蘭様の顔を見れた。

 それだけで大興奮なのに、私に感謝してくれた……。

 あ、それは流石に自意識過剰だよね。


 でも、玉蘭様とまた毎日を過ごせることが嬉しくて、嬉しくて……。


「うれじぃ……!」


 私は泣いてしまった。

 すると玉蘭様は「もう、蘇菲は泣き虫だなぁ」と優しく微笑んでくれた。

 その笑顔も、また見れるなんて……! 私は幸せ者だ。


「玉蘭様、ほら、もう春が来ましたよ」


 言ってから気づく。


 庭園に咲き誇る、色鮮やかで美しい花々。桜のつぼみは大きくふくらんでいて、今にも咲きそうだ。桃の花も輝く。

 あたたかでうらららかな春の光と、ぽかぽかとした陽気。

 草花も咲いている。鮮やかな花も淡い花もある。


 玉蘭様にとっては、ほうしょうぐうで迎える初めての春。

 目の前の光景に、まるでチビッ子のように目を輝かせていた。


「綺麗……」

「宝晶宮の名前の由来は、輝かしい宮殿もそうですが、このような美しい花々が宝石のように見えることから、という説もあります」


 色鮮やかな花が咲いているこの景色を見れば納得だ。たくさんの宝石が輝くような。

 もとは、花好きの皇帝こうていが肥えた土を見て花を植え始めたとか……何とやら。


「ねぇ、私この季節が一番好きなんだ! 見て? こんなにも美しい!」


 そう笑いかける玉蘭様は、あの日見たときよりも美しく見えた。


【あとがき】

 次話で最終章に突入します!

 ここまで読んでくださった方には、感謝してもしきれません!

 で、一度試したいことがありまして……。

 それは「番外編に読者様の考えたエピソードを書く」という、いわばリクエスト企画!

 本編が終わった後の後日談になるので、最終話公開後でも構いません。

 皆さんのご回答待っております!

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