第24話〈side 蘇菲〉

 皆さんご存知、わたしの名前は蘇菲そひ


 元々は西の方の雪国で、小さな家具屋かぐやを営んでいたが、誘拐ゆうかいされてほうしょうぐうに売り飛ばされた。

 元の名前は「ソフィ」。ここ読みで「蘇菲」。


 元々は下女だったが、ある日から、ぎょく蘭様らんさまこと、陸玉蘭に仕えることになった。


 そんな私は。


 せいちょうちゃん、しょうりんちゃんと一緒に、玉蘭様のために頑張っていたけど……。

 とうとう、この日が来てしまった……。


 しんようと、楊太守様ようたいしゅさまの、婚礼こんれいが。


 間に合わなかった、という絶望感よりは。

 玉蘭様を笑顔にできなかった、悔しさの方が込み上げてきた。


 ごめんなさい、玉蘭様……。


 * * *


 宝晶宮で最も格式高い殿堂でんどう鳳凰殿ほうおうでん

 私たちも女官にょかんということで、準備に参加していた。


「蘇菲蘇菲! 一緒にびょう立てて!」


 名前を呼ばれ振り向くと、そこには、屏風の設置になんしている女官がいた。


「えっと……力仕事は苦手なんだけど」

「うるさい!」


 うるさい、だって……あんたの声の方が数倍うるさいよ。

 でも、これ以上わめかれても困るだけだ。

 仕方ないなぁ……手伝ってやるか。


「言っとくね蘇菲、解雇クビになりたくないなら秦芙蓉の味方をするんだよ?」

「何であんなやつの味方をすんのか理解に苦しむんだけど」

「蘇菲、言葉遣い気をつけて」


 おおっと失礼。実は私、目上の人以外の言葉……いわゆる友達口調では、結構きつい言葉が出てしまうんだった。

 玉蘭様は知らないけどね……目上の人だから。


「とにかく、出世したけりゃ猫被れ、って話よ」


 そんな話……嫌というほど聞いてきて、事あるごとに反発してきた。

 私は絶対猫被りはしたくないし、秦芙蓉の味方にもなりたくない。

 別に友達付き合いの人と話すときの言葉の乱れ……あれは二面性には入らなくない?


「それに私たちはしゅくえんにしか参加できないよ。儀式は近親者と新郎新婦の使用人で行われるらしい」


 ……ってことは実際に参加できるのは──飯を食うときだけ?

 う・そ・で・しょ?

 いやいやいや、私たちだって……。


「しゃあないねえ」


 ……んもうっ、理不尽なっ。

 ただでさえ玉蘭様の精神はやられてるっつーのに、脇役に押しやられる? 本当頭イカれてるわ……。


 知ってる? 秦芙蓉って、楊太守様の母親を殺した、ようカクの側室のめいっ子だよ?

 何でしいたげられないのか謎すぎる。

 ……いや、愛彩様あいさいさまの自殺で終わったからか。


 不満や鬱憤うっぷんさえ口に出せず屏風を立て、ふと出入り口の方を見る。

 玉蘭様……。


 駆け寄ってみると、彼女は、周りの騒音にかき消されるくらい小さな声で、泣いていた。

 ……玉蘭様……。


「大丈夫ですか?」

「あ、蘇菲」


 私が話しかけたからか、慌てて目をゴシゴシとこする玉蘭様。

 ……ああ、そんな強く拭いたら目がれちゃう……。


「あ、玉蘭!」

手巾ハンカチあるよ〜?」


 と、向こうから、青蝶ちゃんと小鈴ちゃんもやって来た。

 ……二人そろって……同じ作業場にでもいたのかしら。


「もうっ。せっかくのきれいなお顔が〜……」

「ぜ、全然そんなことないよ……」


 玉蘭様は謙虚けんきょだなぁ。

 でも、自慢していいくらい美人だし、もっと自信持ってもいいんじゃないかな、と思ってしまう。


「大丈夫?」


 青蝶ちゃんが、玉蘭様の顔を覗き込みながら訊く。


「心の準備はできたから、大丈夫よ」


 そう言って笑う玉蘭様の顔は、とてつもなく寂しく感じて……私の胸まで、ズキンと痛くなってきた。


 * * *


 数時間後。長い儀式が終了し、日も暮れた頃。

 祝宴の時間になり、私は玉蘭様、青蝶ちゃん、小鈴ちゃんと一緒に、指定された席に移動した。


 卓上には、ごうに盛り付けられた、見るからに高級感あふれる料理が並んでいた。

 定番の鶏肉や野菜から、異国からの輸入品、ちんまで、種類は様々。


「わぁ、なにこれ!」


 青蝶ちゃんが声を上げる。彼女が指差したのは、皿に盛り付けられた黒い粒々。

 どうやら皿ごとに、最初に盛り付けられる珍味が違うらしい。


「それは魚子醬キャビア。魚卵だよ」

「へえ! お魚の卵なの?」


 そうだよ、と答えて、私も皿を見る。私のには、水母クラゲが乗っていた。水母も、貴族の間では話題の珍味だ。


「私は〜?」

鹿茸ろくよう。鹿の角」


 いや、そんな高級品を女官ごときに出していいの?

 それだけ財力があるってことね……少々、腹が立つな。


「玉蘭様のは……河豚ふぐ?」

「これが河豚……美味しそうね!」


 確か河豚も高級品……私のような階位の人では、めっに食べられるものではない。普通は貴族が食す。

 ずいぶん贅沢ぜいたくだ。


「美味しいと思いますよ」


 そう言いつつ、私は、すぐ近くの席の方を睨んでいた。

 そこにはわゆる敵、秦芙蓉に協力する女官たちが座っていたのだ。


 てかあの女、河豚の毒をどうとか言ってたあいつじゃ……。


「うん! 美味しい」


 と、私たちがキリキリしている間に、玉蘭様は一口目を食べていたらしい。御口に合ってよかった、と部外者なのに思ってしまう。


「あ、玉蘭もう食べた〜」

「私も食べる!」

「さっさと自分の食べなさいよ……」


 全く、私たちは何も変わらないわね……。


 でも、玉蘭様はすごく笑っていて、すごく美味しそうに食べている。

 ふふ、やっぱ玉蘭様はわいいや。

 私もその笑顔にほだされて、コリコリの水母を食べたのだった。


 * * *


 夜もけ、酒に酔った貴族たちが高笑いしながら盛り上がる。

 その様子を隅で眺めていた私は、隣の玉蘭様が眉をひそめているのに気づいた。


「どうしました、玉蘭様?」

「ん? ううん。舌がピリピリして」


 香辛料でも入っていたのかな。舌が麻痺まひするような感覚、確かにこの大陸では好まれる食材だ。

 美味しそう。


 だが、どうしても気にかかる。顔が、何か。

 何か突っかかるなぁ……。


「玉蘭様、大丈夫ですか?」

「う、うん。平気平気……だよ」


 だ、大丈夫かな……もしかして玉蘭様、辛すぎるの苦手?

 でも、手震えてる……食べる速さも落ちているし……。


「ほ、本当に大丈夫ですか?」

「……?」


 首を傾げる……? さっきまで聞こえていた内容が聞き取れなくなったの?

 過呼吸まで?

 体が震えて……ぎ、玉蘭様……大丈夫……?


「玉蘭様、一度お医者様を──」


 玉蘭様の手を引き、お医者様のもとへ連れて行こうとしたそのとき。

 ガタン! とイスが倒れる音が後ろでした!

 振り返ると、立てなくなった玉蘭様が、床に座り込んでいる。


「玉蘭様? 立っ……」

「あ……う……」


 幼児が発するような舌足らずな発音に、耳を疑う。

 玉蘭様?

 しかし彼女は動くことはなく、とうとう床に寝転がる始末。


「玉蘭様!? 大丈夫ですか!?」

「ん……あ、えう……」


 ひとまずは会場にはいられない……でも、立てないようじゃ、どうやって会場を出るのかしら。

 と、そこへ、ぬうっと人影が現れた。

 新郎衣装に身を包んだ……よ、楊太守様!?


「玉蘭殿……」


 立てなくなった玉蘭様のことを心配そうに見つめる、楊太守様がいらっしゃるお陰で、視線がずいぶんこちらに集まっている。


「……医者のところへ向かう。蘇菲は、ここで待っていろ」

「え?」

確かめろ」


 ……毒ですって?

 いつそんなこと見抜いたの? もしかして、太守様の母親が亡くなられた際の……?


 太守様は玉蘭様を軽々と抱きかかえると、出口まで走って行った。


 主役が一人欠けた宴会場が一瞬静かになったと思えば、また騒がしさを取り戻した。

 あいつらの席を見る。皆、何か共通の話題で笑っているようだ。

 聞き耳を立てる。


「玉蘭に毒の耐性があるから盛ってみたけど、全然ないじゃん〜」

「致死量入れて生きてるだけでいいでしょ、終わり終わり〜」


 は? 今なんて言った? 致死量入れて生きてるだけでいい?

 吐き気する。あなたたちには病人を気にかけ悲しむ感情さえないの? 玉蘭様が苦しんでいるというのに!?


「でも芙蓉様の指示だしね〜」


 ……秦芙蓉の指示ってことは……秦芙蓉が毒を盛るよう言ったってこと!?

 一体何のために……!? 玉蘭様を殺そうとでも思ったの!?


 一方、張本人の秦芙蓉は、平然と料理を食べ進めている。信じられない……。


「玉蘭様、大丈夫でしょうか……」

「うーん……ちょっと心配だけど」


 青蝶ちゃんは不安そうに言う。でも、その目はどこか冷たく感じた。

 私は思ったことを口にした。


「秦芙蓉は……何のために毒を盛ったの?」

「玉蘭を殺すためか、苦痛を与えるためだよね」

「でも、玉蘭様って毒耐性あるんじゃなかったっけ?」


 そう。秦芙蓉は、玉蘭様が毒に耐性があることを知らないの? それとも……知っていてやったのか。


「……ねぇ、私ちょっと行ってくる」

「え? どこに?」


 私は宴会場を飛び出した。

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