第5章 恋の想いは春と重なり

第26話

 一連の騒動が終わって、長閑のどかさを取り戻した頃。

 事の発端となってしまったわたしは、みんなと一緒に庭園を歩いていた。


 久しぶりに出る外だ……。

 まばゆい陽光を手でさえぎりつつ、鮮やかな庭園を進む。


 春が来たとは言ったけど、私がぶっ倒れている間にすっかり暖かくなっていたらしい。

 過ごしやすくて、スゴくいい……!


「玉蘭様の名前も花ですからね」

「『も』って?」

ようも花の名前なんですよ……」


 えー、秦芙蓉まで花なの? 私も花で? 何があったのかな……。

 と、そのとき、池のほとりに、透明な石を見た。

 これ……せ、石英せきえいでは……?


「きれい……」

「うわぁ、何それ? 宝石?」

「石英だよ」


 太陽と重ねて、その光を眺めながら、目を細める。

 袖の中に石英をしまって、私たちは庭園を後にした。


 * * *


 部屋の扉に手をかけるその瞬間、肩にぽんと手を置かれて振り向く。

 よ、楊明ようめいさん……!

 こんなふうに面と向かうの、久しぶ──。


 あ、ダメ、直視できない。

 頬と耳が熱を持って、思わずそっぽを向いてしまった。


「どうした、玉蘭殿。……おれの顔を見てくれないが」

「っ……! い、いや、何のことですかね」


 絶対楊明さんのせいだからね、私がこうなってるの……!

 耳元でささやかれて、ときめかない女はいないの。


 特に私みたいな処女しょじょは……!


「まぁ、あのときは心配だったな。どうなることかと思ったが……元気になってくれて本当によかった」


 一瞬その声が涙声に聞こえたのは──き、気のせいだよね?

 でも、抑揚よくようがあって……多分、その言葉は本心なんだと思う。


 と思う間に、楊明さんの腕が私の前にきて……後ろから抱きつかれる形になった。

 ……えぇー!?

 首筋に顔をすり寄せられて……ちょ、これは……。


「楊明さ……」

「……少しだけ」


 その声は、いつもよりはるかに幼く聞こえて……母性本能をくすぐられる。

 つ、罪な……。


「……一旦部屋に入りましょう」



 楊明さんの部屋の中、その寝台しんだい

 そこの上で、後ろから抱きつかれている。


「急にどうしたんですか」

「久しぶりだな、と……」


 確かに婚礼こんれいが近くなってから、顔を合わせる回数も減った。挙げ句の果て冬の間は私が倒れちゃったし……。


「久しぶりですね」

「だから甘えたい。悪いか?」


 甘えたい欲求か……別に悪いことじゃない。

 私も……人を甘やかすのは苦手じゃない。むしろ弟や妹の世話をしている身からすると、得意な部類に入るかも。


「玉蘭殿、前俺が告げたこと……覚えているか?」


 前、楊明さんが告げたこと?

 ……まさか、初仕事のときの……。


『玉蘭殿……私の隣にいませんか? それこそ、秦慶しんけい殿の息女の代わりに』


 秦芙蓉の代わりに、隣にいて欲しい──。

 当時はちっとも分からなかった言葉の意味が、今なら……分かる気がした。


「秦芙蓉は、楊明様の未来の奥方おくがただった人……」


 彼女がいなくなって、空席となった「正室」の座。

 彼女の代わりにいる……いや、彼女がかつていた場所に、私がいる……そんな未来を、提案した……ということは……。


「あれは、私に──よめりをうながしていたのですか?」

「それもある。……でも、もっと深い意味がある」


 もっと深い意味ですって? 一体どんな意味が……。

 ……ん? 嫁入りを促す?

 あれ、それって……。


 い、いや、言葉にするのも恥ずかしい!

 口に出せない!


「どうかしたのか」

「しっ……しゅうしんあおられる……!」


 ふと首を後ろの方に向けると……悪戯いたずらっ子のような笑顔を浮かべる楊明さんがいて。

 変わらねえ……と思う。


「そんなことはない」

「っ……き、きもわってて、何よりですっ」


 多分、今私……耳まで真っ赤になっている気がするっ。

 無理無理、ずかしすぎる……!

 絶対みっともない顔してるもん私……!


「可愛いからいいんだが」

「う、うるさいです……」


 可愛い、だなんて言葉……私に似合わない。

 もっと可愛い女の子が、このこうきゅうにはいると思うんだけど……。


「……あ、言い忘れていた」


 突然話題が変わって首を傾げる。

 言い忘れ? 何か……?


「今日、ここに客が来るんだ。……出迎えるか?」


 客? 今日? ここに?


「そのお客様は、どちら様?」

「見てからのお楽しみだ」


 そう言いながら、私の髪をく。その所作の一つ一つが大人っぽくて、心臓が跳ねてしまう。

 ……この人ってば……!


 * * *


 やーっと楊明さんから解放された私は、門の前で、お客様を待っていた。

 無論、楊明さんも隣にいる。

 ……あーと、距離が近いです。


「そのお客様は、私も知ってる方ですか?」

「ああ。よく知ってる」


 知ってる方なんだ……じゃあ、一体誰?

 宝晶宮に用事がある、私の知り合いって……ま、まさか!?


 と、目の前の重々しい朱色の門が開いて、視界が開けた。

 差し込む日の光と、八つの人影──。


「玉蘭!」


 ──刹那、聞き覚えのありすぎる声が響いた。

 えっと、この声はお兄ちゃん。

 ……お、お兄ちゃん!?


「お兄ちゃん!?」

「馬鹿野郎。どうしたことかと思ったじゃねえか」


 そう言って、私のデコをはじくお兄ちゃん。

 ひ、久しぶりだな……声を聞くのも、顔を見るのも。


 そのすぐ後ろには英紗えいしゃを抱いたお母さんと、お母さんと手をつなぐこうがいた。


「おねぇちゃーん!」


 恒が駆け寄ってきて、抱っこしてと言わんばかりに両手を上げる。脇のところをつかんで、頭上より高いところに上げた。


「うわぁ! たかーい!」

「久しぶりだね恒! 元気だった?」


 いつになく興奮した、恒の無邪気な笑顔。その姿に目を細めていると、英紗までもが「たかいたかいしてー」と言い始めた。


「ちょっと待ちなさい英紗……玉蘭、無事だったのね! よかったわ〜」


 お母さんも駆け寄って、目に涙をたたえて私を抱きしめる。

 少し力が強くて、身をよじった。


「何だよお袋、家ではあんな能天気だったくせに」

「よ、余計なこと言わないのずい! 心配してたんだからっ」


 久しぶりに見る、全員そろった家族の姿に、胸が熱くなって……。

 い、いけないいけない。涙腺るいせんが……。


 と、お兄ちゃんが楊明さんのことを見て、首を傾げる。

 あ、そっか……初めましてだもんね。


「えっと……」

宝頴郡ほうえいぐん太守たいしゅ、楊明です」

「兄の瑞です」


 楊明さんとお兄ちゃんは握手を交わす。その笑顔には、全くと言っていいほど緊張感がなかった。


「本当に心配で……玉蘭がこのまま出仕もできないんじゃないかなとか……」

「もういいよお母さん」


 心配してもらえるのはありがたいけど……。


「でもよかった。元気そうで」

「……うん、ありがとう」


 私は家族と、それから楊明さんに見守られながら、庭園に入っていく。


「玉蘭、ここでは何か変化はあったの?」

「うん。すごいことがあったよ……」


 私は、ここでやとわれたこと、たくさん仕事をしたこと、楊明さんが過労で倒れたとき看病したこと、秦芙蓉に毒を盛られたこと、蘇菲が看病してくれたこと、それから……楊明さんの想いを聞いたことを話した。


「そっかぁ……玉蘭も恋する年頃かぁ〜」


 お母さんはそう言って笑う。その目にきらりと光る何かを見た気がして、首を傾げた。


「お前、あいつが初恋だろ」

「な……!」


 お兄ちゃんの指摘に思わず顔が熱くなる。そ、そんなわけ……。

 いやでも……は、初恋だ!


「お母さん、応援してるからね!」


 ……どうやって想いを打ち明けようか分からない。そもそも、楊明さんの方が私のことをどう思ってるか分からないし……。

 でも、私はあの人のことが──。

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