第16話

 また〈内膳ないぜん〉にやって来たわたしは、早速そでをまくり、おうせんじ始めた。


「今朝のと同じ薬ですね……!」


 おとなり蘇菲そひが、目をキラキラさせている。

 というか蘇菲も蘇菲だよね。なんで私の近くによくいるんだろう。

 まあ、私の女官だからって言うのが正解なんだけど……ね。


ぎょく蘭様らんさまは、お薬にも詳しいのですか?」

「全然? そんなことない。野山に生えている草の見分けなら」


 有毒か無毒か、美味しいか不味まずいか、みたいな判断なら。

 そりゃ、草を食って生きている民族だから……。


 作り方はさっきと同じ。

 二十分くらい煎じて濾過ろかし、適温に下げる。残った固形物はさっきの袋の中に入れて、またしまう。

 そして、できた煎茶に、適量の甘酒あまざけを加えて。


「完っ成」


 味見はいいよね……味、もう分かってるし。わざわざ美味しくない薬は飲みたくないし、健康時に薬を飲むと体に悪いって言うし。


 * * *


「失礼します」


 楊明ようめいさんの部屋の扉を叩き中に入ったが、物音一つとしてしなかった。

 ……あ。


 楊明さんは、長い髪を枕に敷いて、爆睡ばくすいちゅうだった。

 寝顔といえど綺麗な顔に、一瞬ドキッとする。


 ……つくづく思うけど、何でこの人こんなに顔が綺麗なのに太守なの?

 中央行ってみたら、もっと昇格できそうなくらい、出来良いのに……。


 まあいいや。添え書き書いといて、行くか。



致楊明

我祈禱您的情況盡快得到改善、並能够重返公職。我們會將您的藥物存放在這裡、因此請務必在晚餐時間之前服用。

陸玉蘭

(楊明様へ

早くご自身の過労を治していただき、公務に復帰されることをお祈りいたしております。

飲み薬はこちらに置いておきますので、夕食の時間までに必ずお飲みくださいますようお願い申し上げます。

陸玉蘭)


 ごめんなさい、筆と紙を借りました。

 湯呑みのそばにそれを置いて、何礼かしてから部屋を出る。


 ……薬の苦さに顔をしかめる楊明さんの様子を想像できるわ。

 今日とかヤバかったもんなぁ。


 ていうか漢字合っていたかな?

 不安になりつつ、部屋に戻った。


 * * *


 夕餉の時間になり、食事の間に向かった。久しぶり食事の間、十一話ぶりの登場(唐突にメタい)。

 やはりそこに楊明さんの姿はなく、もはや私が広い部屋にポツンと状態だった。


「うわ」


 だから私はシラミか? それとも白アリか? それともムカデか?

 いずれにしろ、私が害虫みたいに見られているのは当然なんだな。……おい。


「本当ブスよね……」

漢服かんぷくがちーっとも似合ってなくて素晴らしい」


 思いっきりけなされた。

 マジでうるさいぞ女官。怒ってはないけど耳障りだな、かいではない。


「自分がぼうだと信じてる、おめでたい人よね」

「全然違うのにね」


 ……は?

 お前ら、何言ってんだ?

 私のどこが美貌? そうと信じてる?

 不細工なことさえ分からないほど、私はおろかじゃないんだよ。


 見ての通りの貧乏人びんぼうにん

 人にこびを売らず、お世辞せじもあまり言わない。

 この後宮で、異質だとは知っている。

 でも、いいんだよそれで。

 人間、それぞれ違っていいじゃん。この世界後宮で好まれる、完璧をいつわった姿なんて、本当は要らないんだよ。


「そんなこと……私が一番分かってる」


 女官たちの方を向いて言い放つ。

 その中で、一人の女官が声を張り上げた。


「名家出身のしんよう様のお邪魔をしているというのに、私たちにまさか挑んでこられるというのですか!?」


 その名前もう聞きたくないよ。

 ついでに何言ってんだ。挑むなんて、かいしゃくの進化がいちじるしすぎて笑える。

 思わず吹き出すと、また別の女官が、


「自分より立場が低い方なのに、そのような見下すような態度はいかがなものでしょうか。大変大胆な振る舞いだと思います。ただし、これは賞賛しているつもりではございません」


 と言ったのだった。

 いやそれで褒めてると受け取るやつって……馬鹿正直だよ。お隣の島国のっちゃんかよ。


「言っておきますが、私はあなたたちを見下すつもりは一切ありません。勘違いさせてしまったなら謝りますが」


 その場の空気が一気に冷めたのを感じ、袖口そでぐちを握り締める。

 女官たちは相当不愉快なのか、全員が氷のように私を睨んでいる。


「………」


 そして、私の怒りの地雷をむ存在が、この気まずい空間に現れたのだった。


「もしよければ『きょう仁豆にんどう』は?」


 料理を運んできたのは宦官かんがんちょうこうさん。

 何でここにと問う前に、女官たちが顔色を変えた。


「張功さん、杏仁豆腐ですか?」

「私も食べたい〜」

「私も!!!」


 ……わらわらと寄ってたかる女官を前に、絶句。

 うわぁ……後宮の人間の手のひら返しって、全員ヤベェんだな……。


「ダメですよ! これは玉蘭様のための杏仁豆腐ですから」

「「「「は?」」」」


 ……ひどい女官だな。

 は? って何だ。私が杏仁豆腐をもらうことに異論があるのか……?

 いや、食後の贅沢ぜいたくってモンでしょ! それに、私が料理長にお願いしたわけじゃないし!


「玉蘭様、まだ腹に余裕はありますか?」

「ありますが……あ、食えってことか。有り難く頂きます」


 渡された杏仁豆腐は、皿の中で燭火しょっかに反射して白く光り、皿がわずかに振動するだけで上下左右に細かく揺れた。

 表面にちょこんと載った赤い枸杞くこの実との色彩の対比が綺麗。


 一口目。


「あっまぁぁぁあい!!!」


 メチャンコ甘い! でも、甘すぎないから食べやすい!

 何だろう、まろやかな味がする。石峰せきほうきょうにはこんなお菓子はなかったから、名前は知ってても初めての味だった。


「この辺は大陸の中でも比較的南方に位置するので、南杏ナンシンという杏仁豆腐の原料が多く採れるのです。南杏は甘いんですよ」


 だから甘いんだ。糖度はさぞ、高いんだろうなぁ。

 にしても、プルプルで超美味しい。


「ええ、大丈夫? どくは私の得意分野だよぉ」


 途端、女官の輪の中からそんな声が聞こえて、さじを握る力が強くなる。

 毒見って……絶対食う気だろ。

 それに毒見ってのは、私に出される前に食べておくんよ。


「誰だっけ」

「知らないのけい? 宦官に一番人気の毒見、こううん!」


 なるほど、あの女官は高夏雲というのか。覚えておこう。

 いつかのために役に立ちそう……へへっ。


「ちょっとあんた、ちょいと食わせ──」


 ひょいっと皿を持ち上げて、夏雲の匙をけた。

 夏雲の匙はくうを切って、卓の上に落ちる。


「は……?」

「私に毒見は要りません。多少、有害物質があれど、それが多少なら生きられます」


 女官の輪がザワザワしたのち、クスクスという笑い声が聞こえてきた。

 夏雲は数秒、あっ気に取られたように立ちすくんでいたが、やがて私をマジマジと見て、目を吊り上げる。


「……何よ、突っかかって。毒見の有り難さも分からぬくせに」


 卓に置かれた匙を投げ捨てて、私の足を蹴った。

 帰れ、とでも云うようにあごを動かしたが、それには応じず椅子いすに座った。



 ……後宮の女どもは、高位な男のそばで愛されることを望む。

 ここの女は多くが楊明さんの隣を望み、そのためには手段を選ばない。


 だから、利己的で、人を傷つけることに躊躇ためらいがなく。

 平気で人を裏切り。

 あざ笑い、言葉で、こぶしで殴り、それにさえ笑う。


 ……嫌な場所だなぁ、後宮って。

 やっぱ政界の人間関係って、愛憎あいぞうが渦巻いてみにくいんだよ。

 私みたいな一介いっかいの人間が、たやすく来ていい場所じゃないんだよ。



 そんな愚痴ぐちを呟きつつ、回廊を通って部屋に帰──る直前。


 隣の扉を叩いて中に入ると、寝台の上で三角座りをする楊明さんがいた。


「楊明様、お薬は」

「ああ、飲んだ。……不味かった」

「当分は我慢して頂けますと幸いです」


 空になった湯呑みをお盆の上に載せて、楊明さんの隣に座る。


「顔色は良くなりましたが、無理は禁物です」

「分かっている」


 何だかんだこの人勝手に職務に戻りそうだから怖いんだよなぁ。

 今浮かべる笑顔も、裏が読めないし。


「はぁ……」


 ため息をついた瞬間、肩にずっしりと重みが。

 横を見ると、楊明さんが、私の肩に顔を載せている。見るからに弱い顔に、母性本能をくすぐられる。


「どうしたんですか」


 疲れちゃったのかな。まだ回復していないしね、すぐ疲れちゃうのも仕方ない。

 彼の顔の輪郭りんかくを撫でた途端、なぜか頬が熱を持つ。

 じ、自分でやってるのに……。


「玉蘭……ここにいて」


 いつもの楊明さんからは考えられない弱い声に、私も答える。


おおせのままに」

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