第17話

 ……あれ、何か頭、ボンヤリする……。

 ええっと、楊明ようめいさんの部屋に来て、薬を確認して、それから……。


 ……楊明さんの寝台しんだいで、寝落ちした、わたし!?

 幸い私は頭が載っていた程度……いや「幸い」って。


 慌ててお盆を持って内膳ないぜんに向かったが、もう誰もいない。仕方ない、自分で湯呑みを洗って乾かし、お盆も拭いた。


 * * *


 翌朝。


「昨日は誠に申し訳ございませんでした……」


 楊明さんの前で、これ以上ないほど額を床に擦り付ける私。

 本当、見苦しい姿を見せて申し訳ございませんでした。


「大丈夫だ、ぎょく蘭殿らんどの。問題ない」


 聖人せいじんかよ。部下の失態を許して下さるの?

 でも……本人のためには……。


「それに……」

「?」

 それに? まだあるんですか?

「あ、いや、何でもない」

 何でもないんだ……。


 にしても突然目を反らして……変なの。耳も赤く染まっているし……。

 楊明ようめいさんって……。

 変なところで入るよね……。


「あ、そうだ。玉蘭殿」

「はい?」

「昨日、寝落ちする前……何か言ったか?」

「え……」

 私……何か言ったっけ?


「いや、寝落ちする前に何か言った気がしたが……。気のせいか」

「……」

 私……何か口走った? いや、何も言ってないはず。

「玉蘭殿?」

「……あ、いえ。特には」

「そうか」

 楊明さんは納得していないようだったけど、それ以上追及してこなかった。


 * * *


 作業場に向かおうと回廊を歩いていたとき、不運なことに秦芙蓉とその連れの女官に出くわした。


「あら。相変わらず貧相な格好ね」

「……」


 無視。


「何よその目! 生意気ね!」

 いや、あんた第一うるさいだよ……。


 秦芙蓉は連れの女官に目配せすると、その女官が私に向かってきた。

「ちょっと、何その態度? 楊明様の寵愛を受けているからって図に乗らないで!」

「……」

「何とか言いなさいよ!この下女風情が!」


 秦芙蓉は女官の制止も聞かず、私に向かって手を振り上げた。私はとっさに顔を引いたが……。


 パシッ!!


 しかし、覚悟していた痛みはなく、代わりにかわいたおとがした。恐る恐る目を開けると……。


「張功さん!?」

 何と目の前に張功さんが立っていたのだ。


「芙蓉様、これは一体どういうことでしょうか?」

「え……」


 張功さんは秦芙蓉を睨みつけた。


「……楊明様の寵愛を受けている玉蘭様に手を挙げるとは……。しかも、身分が下の者に対する態度ではないですね」


「そ、それは……」

 秦芙蓉が後ずさる。

 そして、踵を返して逃げるように去っていった。


 * * *


 その後……私は張功さんにお礼を言った。

 それにしても、どうして張功さんがここに? すると、彼はこう答えたのだ。


「楊明様から玉蘭様の様子を見るよう言われておりました。しかし、芙蓉様がいらっしゃるとは……」

「そうだったんですか……。ありがとうございます」


 私は頭を下げた。

「いえ、当然のことをしたまでです」

 張功さんは少し照れたように言った。


 * * *


 その後、私は内膳司で薬の調合を行ったが、作業中も頭の片隅ではさっきの出来事を考えていたのだった……。


 やっぱり張功さんって優しいなぁ……昨日の夕飯も、女官に杏仁豆腐を食べられそうになったところ、私のための杏仁豆腐だと説得してくれた。その後毒見に食べられそうになったけど……。


 今日も同じ薬を作って、部屋に運ぶ。楊明さんの部屋の扉を叩くすると、返事が聞こえた。

 部屋に入ると、寝台に腰掛けていた楊明さんが出迎えてくれた。

 そして私はお盆を卓子の上に置いた。

 しかし……。


「……」


 私は楊明さんをじっと見てしまった。


「ん?」

「……あ、いえ」


 いけない……私ったら何を見とれて……。しかも、楊明さんが不思議そうにこちらを見ているし……。


「玉蘭殿? 何かあるのか?」

「い、いえ!」


 慌てて首を横に振ると、楊明さんはそれ以上追及してこなかった。私は部屋を出ようとしたが、楊明さんに呼び止められた。

 え……何? すると、楊明さんは寝台を指差した。

 えっ!? まさか添い寝しろと!?


「いやいやいやいや! 無理です! 私にはまだ早いですって!」


 慌てて私は部屋を出て行ったのだった……。


 * * *


「誘いに乗ればよかったのに」


 庭園近くの椅子に、蘇菲そひの友人含む女官たちと腰掛けていたとき、一人に思いっきり言われた。

 彼女はせいちょう

 私に「お花が好きな子だと思った」と言ったのも彼女。名前を知ったのは今さっきだ。


「私にとぎなんか無理。理性ぶっ飛ぶ」

「ぶっ飛んでいいんだよ〜」


 恐ろしいよ女官の思想。怖すぎるよ。

 蘇菲そひは何ちゅう子を友達にしてんねん……。


「玉蘭は、楊太守様のこと好きなの?」


 そう言われ、膝の上の拳を握りしめる。

 ……分からない。それが私の結論。


 色恋いろこい沙汰ざたなんか分からなくて、恋愛感情なんか知らなくて。

 この想いが何なのか、分からない。

 って、これじゃあ私が楊明さんのこと、好きみたいだ……。


 私が幸せな道を歩むとき、誰かが傷つくに決まっている。

 例えば秦芙蓉とか彼女の取り巻きとか……。


「太守様の好きなところを列挙して、気持ちに整理をつけよう。向き合おう。蘭ちゃんが太守様を好きになること、悪くないんだよ」


 悪くない。私が楊明さんのことを、好きになってもいい。

 ……本当なのかな。


「え? え? 蘭ちゃん、太守様のこと好きなの?」


 ……青蝶の隣に座っていた、しょうりんという女官が立ち上がり、私の方を見た。

 ……嫌な予感が……。


「恋愛相談なら私に任せて。現実で恋しちゃってる私が、教えてあげる〜!!」


 ……嫌な予感的中したー!!

 やっぱりそういう展開だと思ったもん! 流れ的に!!


「み、みんな落ち着いて……!」


 蘇菲が、私と小鈴の間に立った。そして、道をふさぐように腕を広げる。


「玉蘭様、それなら、太守様の好きなところを書いて、気持ちの整理をしましょうよ。紙と筆、あげますから!」


 ……紙に書いて、気持ちの整理?

 たかだがそれだけで、大丈夫なのかな……。

 でも、ここは蘇菲の厚意に甘えることにしたのだった。


 * * *


 楊明さんの好きなところ、か……。

 列挙して、紙にぶわーって書けばいいんだね?


 まず容姿。根拠不要。

 楊明さんは、貧しくて、世間から見たらドン底だった私を助けてくれた。……優しい。孝行者で、親の死になげいてくれる。

 だから倒れたとき、助けたいって思ったんだ。


 ……でも、私に訪れる結末が幸せなら。

 私は、秦芙蓉から楊明さんのことを寝取ねとった悪役になるのかな。


 人間の奪い合いは嫌いだ。

 ややこしい喧騒けんそうは嫌いだ。


 ……楊明さんのことが、好き?


 優しくて、どんな私にも素直に笑ってくれる楊明さんが、好き。


 あ、敖瓊こうけいとの貿易の件……!

 隣の部屋に入ると、楊明さんが寝て……いや、たぬき寝入りしていた。


「どうした、玉蘭殿」

「あの、私……!」


 さっきの紙の裏側に、急いで文字を書く。


「鉱物事典が欲しい、です!」

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